見出し画像

【デザインあっ!】岡山大学正門 in 「美しい学都」(キャンパスデザイン考)

       ここが、岡山大学正門です。
     正門の門が取り払われたことによって、
     「おお、美しい学都の入り口になった!」
        と、お思いでしょうか。


前2稿で、岡山大学正門消失について考えてきた。

 【デザインあっ!】岡山大学正門が消えていた(キャンパスデザイン考)

 【デザインあっ!】よみがえれ! 岡山大学正門(キャンパスデザイン考)

これで、私の役目は果たし終えたと思っていたが、どうしても心に残るのは、「正門消失の謎」である。
古い物すべてを残せばいいという訳ではない。残すべき物には、
 歴史的遺産として残すべき物
 そこにあるべきものとして残すべき物
がある。
は、形を残しておけばよいので、邪魔になれば、移転すればよい。
邪魔になって移転したものには「旧事務局棟(陸軍第十七師団・歩兵第三十三旅団司令部庁舎)」がある。
今のところ邪魔にならないから、そのまま、そこに残しているものは、広大な敷地のキャンパスに点在している。例えば、「岡山大学情報展示室(陸軍第十七師団司令部衛兵所)」がある。
は、文字通り、そこにないと意味がないものである。歳月が経てば、歴史的遺産になるかも知れないが。

いま、目を向けている「門」について考えてみよう。
門の役目を考えれば、そこにあるから、門なのである。そこになければ、門ではない。
新しい門に造り替えるため、古い門を壊して取り除くのは、致し方ない。壊してしまえば、もったいないなら、移転して保存しておくこともあろう。

前稿で述べた とおり、岡大正門は、通行の邪魔になるから移転したものと思われるが、なぜ、わざわざ、遠くの方へ移転したのか。
すぐ脇にある、なんの邪魔にもならない、デッドスペースに移動させて残しておいたら、門の役目を維持できたのに。

当時の移転構想を知りたい一心で、あちらこちら、訪ね、尋ねて、探し回った。
移転当時の学長が、森田潔第13代学長(2011年4月〜2017年3月)であることが分かった。
なんと、「森田ビジョン」なるものが見つかった。
「岡山大学キャンパス整備大綱」に基づき、「キャンパスマスタープ ラン」が策定され、「美しい学都」の創造が掲げられた。
キーワードは「美しい学都」だ。
ええっ!
門柱とモニュメントを取り除けば、すっきりと美しい正門になった、ということなのか。
ページ TOP へ戻って、現在の正門の写真を見直してください。
う〜ん。
どうも、気持ちがすっきりしない。
そこで、
  「キャンパスマスタープ ラン」
を、のぞいてみることにした。
以下、抜粋して掲載する。

TOPページ表紙



目次の部分



P15の部分



P16の部分



P19の部分



P19の部分の画像を拡大



「美しい学都」から始まり、ついに、出て来た。
いちょう並木の南北道路(正門)の画像には、
黄色の一点鎖線が引かれていて、
(岡山大学構内を認識させる整備が必要)と記載してある。
この一点鎖線が大学構内市道の境界線であることを明示している。
そうであれば、正門を境界線まで前進させて(南へ)、デッドゾーンへ横滑りさせる(東へ)のが当然の帰結である。
そうすることによって、大学構内を認識させる門の役目が果たせるのである。

それなのに、
(津島)南北道路環境整備では、
「国際的な研究・教育拠点として、大学と都市・地域が一体となった『美しい学都』の実現に向けて計画された構想の一環として整備を行った」結果として
🟦  正門付近整備後、🟦  モニュメント移設の画像
のようになってしまった。
これは、「岡山大学周辺の自然豊かな周辺環境に調和させた、落ち着きと品のある美しいキャンパス景観の形成をめざし、大学・都市・地域の内外に開かれた整備を目的としている」とのことのである。

https://www.okayama-u.ac.jp/user/shisetsu/files/comp/nanbokudouro.pdf


しかし、モニュメント正門でもあることを、まったく念頭に置いていない。
キャンパスマスタープランにある(岡山大学構内を認識させる整備が必要)ということを考えもしていない。
実は、私も、モニュメントの基礎が正門の門柱であることに思いが至らなかったことがきっかけで、前2稿を投稿したのであるが、計画策定段階で見落とすなんてありえない。

いったい、デザインとは何なのか
古い物を取り払って、見た目を美しくすることがデザインなのか
正門・モニュメントに関する限り、取り除いて、美しくなったとは思えない
正門・モニュメントが持つ機能・役目を忘れることは、心を失うことである
デザインが心を失わせていいものか


正門建立に当たっては、正門に建学精神が込められている。
正門の碑文を読み直して欲しい。
以後、正門は、長年月にわたって、多くの青春を見つめてきた。

脱線するが、
今になって言わせてもらえば、正門門柱上のモニュメントはいかがなものか。
キャンパスの入り口であり、顔でもある門柱の上に乗っかかるとは何事か。
モニュメントは、モニュメントとして、正門の近くに設置すべきであったと思う。
設置当時の斬新なアイデアによるデザインであったのだろうか。
ならば、それはそれとして、尊重しなければなるまい。

元に戻って、
キャンパスは一変した。
1960年代には、まだ、学舎に旧兵舎が使われていた。
寒風は、ガラス窓の隙間から、容赦なく吹き込んで来る。
ストーブなど何の効果もなかった。
現在の近代的建築が立ち並ぶキャンパスからは、想像もつかないであろう。
1956年建立の正門は、そのようなキャンパスを、見つめて来たのである。
正門は、毎日、学生を迎え、送って来たのである。
これからも、正門として、見つめ続けてもらわなければならない。

現時点では、正門は、歴史的遺産として飾っておくべきものではない。
まだ、正門の存在意義は残っている。
今すぐ、正門が、本来あるべき位置に帰還することを願う。

岡山大学正門よ
キャンパスの門としてよみがえり
キャンパスの顔を取り戻し
キャンパスの青春を見つめ続けよ
キャンパスに心を通わせよ

本稿を含むキャンパスデザイン考では、自分なりの見解を展開して来ました。誤解に基づき、とんでもない方向に行き着いているかも知れません。どうか、忌憚のない、ご意見を、お聞かせください。