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【嗚呼、人生 vol.12】〜写真を撮るということ②〜

①では、写真を撮るようになったきっかけについて横道に逸れながらも書きました。今回は、私が友人や家族との思い出を残すという目的の他に、自分が見聞きした景色を残すという目的のために風景の写真を撮るようになったきっかけについて書きたいと思います。

マガジン『日記を書くことについて、日記のすゝめ』のどこかのタイミングで少し触れたことがあるように記憶しておりますが、私は高校生の時に約1年間オーストラリアへ留学をしていました。公的な機関を介しての留学で、留学前後には研修制度などもあったので、恵まれた環境で留学の準備や振り返りなどをすることができました。また幸運なことに私はホストファミリーにも大変恵まれていました。

私を受け入れてくれたのは当時50代の夫婦と、当時大学生だった彼らの娘と、犬と猫が1匹ずつ暮らしている、そんな家庭でした。当初は、最初の1ヶ月間だけお世話になる予定だったのですが、様々な事情があり最終的には留学期間中ずっとその家庭で生活することができました。この家族は、本当にみんな愛の溢れる素敵な方々で、彼らが仲良くしている方々もそれはそれは素敵な方ばかりで、良い人の周りは良い人が集まるんだなあ、なんてことを当時は思った気がします。この思いはもちろん今も変わっていません。そして彼らは、私がお世話になっていた期間も、あれから5年経った今も変わらず素敵な方たちで、幸運なことに今現在も定期的に連絡を取り合えています。

私が日本語教員を意識するようになったのにも彼らの存在は大いに関係していて、彼らが日本の文化や歴史や自然や日本語に興味を持ってくれていることが、英語力をもっと磨こうと思ったり、日本にまつわる様々なことを積極的に知ろうと思える源になっています。

さて、やっと本題の自分が見聞きした景色を残すという目的のために風景の写真を撮るようになったことについて書いていこうと思います。

これにはやはり、高校生というまだ多感な時期に、オーストラリアという日本とは全く違う風土や歴史を持つ場所へ約1年間留学したという経験が大きく関係しているのだろうと考えます。

私が滞在させていただいたホストファミリーがとても素敵な方だったということは上記しましたが、その方々は私が色々な経験ができるようにと、お休みの日には国立公園や地域の朝一に連れて行ってくれたり、学期間の長い休みなどにはキャンプカーでオーストラリアのアウトバック近くまでキャンプに連れて行ってくれたり、彼らの家からは少し離れている地区に農場を持つ彼らの親族のところへ連れて行ってくれてオーストラリアの農業を体験させてくれたり、家族ぐるみで仲良くしているお友達が持つ海辺の別荘へ連れて行ってくれたりなど、それはそれは貴重な体験をたくさんさせてくれました。

私が留学前までに暮らしていた、いわゆる都会では見聞きできないような風景や日常にたくさん触れさせてもらえたことで、私はオーストラリアの自然や美しい風景などを記録しておきたいと強く思うようになりました。

そこで手にしたのがメモ帳とiPhoneでした。

メモ帳は日記を書くため、iPhoneは写真を撮るためです。私が留学した頃は、SIMカードなどの使い方もよくわかりませんでしたし、wi-fiがある建物の中であれば日本にいる家族や友人に簡単な挨拶をすることができたので、オーストラリア全土で電波が通じるような加工を施したiPhoneを持参する必要は特にありませんでした。なので、ホストファミリーが連れて行ってくれる自然の場にiPhoneを持って行っても今でいうInstagramのストーリーにあげたりすることはできませんでしたが、写真を撮ることは簡単にできました。だから私はひたすらに写真を撮りました。そして時間ができたときにその写真を見返しながら目にした光景を日記として英語でメモ帳に書き落としました。

私が現在居住している都内でも、区や市が違えば雰囲気が違ったり日常的に目にしている標識や植物などが真新しく見えることはあります。もちろん県が違えば、日本の風土と歴史があるからこそ目にすることができる感動的な光景を目にすることもできます。

しかし5年前の私にとってはオーストラリアで目にした自然や風景が、日本で目にできるそれとは全く違うもののように見え、とても、とても新鮮で毎日が感動の連続だったことをよく覚えています。

今振り返れば、当時高校生だった頃の私は、自分が生まれ育った日本という場所のことをあまりにもよく知らなすぎたせいで、また、学校の課題や受験勉強などの様々な煩わしいことに追われすぎていたせいで、日常的に目に入るものに特別な意識をやることもなく、ただただ淡々と機械のように毎日をやり過ごすことしかできていなかったのだろうと思います。

私が通っていた都立高校からその公的機関を通じて留学した人は、私の他に1人しかおらず、高校の特色上、大学進学を目指す生徒が多かったので、私たちが留学していた当時、高校の同級生はみんな日本で大学受験のために勉強をしていました。留学中の私はその現状に対する焦燥感に加え、オーストラリアでしか経験できない科目を母語でない英語で勉強し、そしてオーストラリアでの日々を五感全てを使って満喫することで精一杯だったので、撮った写真を現在のように公の場に出したり、その日に体験した出来事などを日本にいる家族や友人に報告する余裕はありませんでした。というよりも、日本での生活がどんなに忙しくてストレスフルなのかを嫌と言うほど知っていたからこそ、彼らの日常生活の邪魔をしてはいけないという思いもあり、自分のメモ帳とiPhoneに留めておくことしかできなかったのかもしれません。私のそばにいてくれる家族や友人は心優しい人が多いので、私が何か連絡をすれば時間を割いて耳を傾けてくれることは容易に想像できました。しかし日本の高校の暦などももちろん私は知っていたし、受験勉強がいかに苦痛なものかを知ってもいたので、そういう諸々を鑑みるに最低限の挨拶に留めておいた方が彼らも安心して自分の「やらなければならないこと」に集中できるだろう、とそう考えたのかもしれません。何しろ5年もの月日が経ってしまっているのでその時私が考えていたことを正確に思い出すのは困難を要しますが、まあこのような思考から、今のように自分が撮った写真などを放出しようとは思わなかったのだと思います。

ああ、また脇道に逸れてしまいましたね。ですが、5年前のことを思い出しながら書いていると、留学がきっかけで仲良くなった他校の子や研修中に行った都内の博物館のことなども思い出せる上に、5年前の自分の思考回路も想像できたりするので、やはり書くことは楽しいです。

当初書く予定だった、なぜ植物の写真を撮るようになったのかには触れられなかったので、これは③で書きたいと思います。

ちなみにトップの写真は、素敵なホストファミリーのお家の裏庭からみれた、思わず目を疑ってしまうほど美しい夕焼けです。

こんなに長くて首尾一貫していない文章を最後まで読んでくださり、ありがとうございました、、!

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