台風一過
大切な人を思いながら自分の気持ちを綴るのが本当に好きだとようやく気付いた今日この頃。アデレードに住んでいる、私にとってかけがえのないホームステイ先に宛てたお手紙を書いている。
5年前にオーストラリアを去るとき、日本語で心に溢れ出てくるとめどない想いを、「感謝の手紙」という形で和英辞書の力を借りてやっとの思いで書き上げた。
あの頃の私は、辞書に載っている表現を借りるのがやっとだったけれど、似通った単語を見比べては修正を繰り返し、全身全霊で英語の手紙を書いた。
感謝の気持ちを話し言葉で伝えようとしても何をどこからどんな風に話せばいいかわからなかったし、うまく話せる自信もなかったからこそ、手紙という媒体を選んだんだと思う。
そしてそれを知ってか知らずか、彼らも私にメッセージカードをくれた。私のことを思いながら書いてくれたのかと思うと嬉しくなって、涙が溢れた。今でも彼らが書いてくれた手紙や絵は私の宝物で、大事にしまってある。
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あれから5年の月日が流れた。私は東京の慌ただしさに呑まれ「やらなければならないこと」に追われる日々を過ごしていた。
最初の1,2年は隙間時間を見つけては彼らのことを思い出し、messengerを介して近況報告などをしたり、節目ごとにメッセージカードを送ることができていた。しかし大学に入学し年次があがるにつれ、どんどん忙殺されていった。
日本に戻ってきた時に発生した多忙という名の台風は4年目に強い勢力で接近し、衰えることを知らないまま5年目でついにその目に私を捉えたのだ。ごく狭く、限られた情報源しか持ち合わせていない上に警戒心のない無防備な私は、まんまとその目に捕らえられ、心身ともに滅ぼされた。カラッと澄み渡った淡い水色を纏った空と金木犀の薫りを運ぶ風は秋を迎える準備ができていた。
そんな気分屋な空とは対照的に、私は台風が私に残した爪痕を整理することに追われた。忙しさという名の台風は「安らぎ」を私の心から奪い去り、私の心をバラバラにしたのだ。
このように弱り果てた私は、失われた時やものを求めて盲目的に「やらなければならないこと」に取りかかることになる。まったく、台風一過もいいとこだ。
「安らぎ」を奪われた私はそれに付随する物事を無我夢中に探し回った。澄み渡った空がその青さの中に隠した「やりたいこと」を私は闇雲に探した。そしてそんな私を「やらなければならないこと」が執拗に追いかけた。それはまるで濃霧に包まれた深い森の中のいたちごっこのように。
そんな風にして私は深い森を抜けるため手探りに歩き回ることになる。歩くとさまざまなものが見えてくる。満開に咲いて静かに儚く散る桜や、雛を必死に守る水鳥、大合唱をする蝉、山道に落ちている青々とした毬栗と、秋を知らせに来た水際の蜻蛉。そんな自然の中に身を置くと、「安らぎ」は私の心にゆっくりと戻ってきた。
好きな小説に没頭すること一一目を瞑って登場人物がいる場所を想像し、登場人物が聴いている音楽に耳を澄ませ、その小説について話をする一一
好きな人を想うこと一一その人と行った場所を想像し、食べたものや見たもの、話したことを思い出す一一
伝えたい想いを伝えること一一台風が吹き荒らした塵と穏やかに降り積もった新雪とが混在する心を時間をかけて整理すること、そして、自分の言葉で伝えること一一
このことに気付いてから私の心はとても穏やかになった。私を包んでいた「やらなければならないこと」という濃霧は姿を消し、気付けば「やりたいこと」という名の穏やかな風が私を包み込んでいた。
そして今、穏やかな気持ちで5年間の想いを英語で書いている。端的に要点を掴んで伝えようと思いながら書き始めた手紙は、便箋7枚にも及び未だ留まることを知らない。そして、次々にお手紙を送りたい人の顔が浮かんでは心が満たされていく。いろんな人に想いを伝えよう。好きな人を想うことは、楽しい。私を襲った台風は「忙しさ」と「安らぎ」の摩擦で消え、私の心はカラッと晴れて澄み渡っている。
お手紙を完成させて、出すのが楽しみだ。