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ラベンダーをくれた担任の先生のお話


前回の記事で

小学校の卒業式の日に、担任からクラスのみんな1人1人に合う花と花言葉をもらった話をしたのだが、他にも担任の先生から言われた心に残っているエピソードがある。



その先生は女性で、当時20代。
(実ははっきり年齢を聞いたことはないが、若くてとても綺麗だった)
私が小学5年生から6年生のときにお世話になった。

3年生と4年生の時の担任も女性だったのだが、何かと厳しくて何故か私に八つ当たりをしてくることもあり、何もしてないのに怒られたりと嫌気がさしていた。
その時は早く担任かわらないかなと常に思っていた。

5年生になりクラス替えとともにやっとこさ担任が代わるタイミングが来た。
始業式の日に各学年、クラスの担任・副担任、各教科の担当教員が発表される時が来て、今度の先生は誰だろうとみんな目を光らせていた。もちろん私もワクワクしていた。

そして担任になったのが今回出てくる先生だ。
先生は新任で、前は中学校で教員をやっていたらしい。
中学の教員から小学校の教員になったのは何故だろうと当時思ったが子どもにはわからないことかもしれないと思い、深くは追究しないことにした。

先生はとても美人だったので生徒みんなから人気だった。
話もしやすく、みんな先生のことが好きだった。

いつもみんなのことを気にかけてくれ、
私が当時からかなり変わり者だったために親に心配をかけさせたりし、先生が家まで様子を見にきてくれたこともあった。仕事終わりだったのか休みだったのか、当時私がハマっていたドッジボール大の球を投げてキャッチする遊びを一緒にした。

そして5年生のときに研修という名目で隣の市の研修施設に1泊2日の合宿のようなものへ行った。

高学年になり、自主性やみんなとのチームワークを図るという意味で開かれたものだった。合宿の前から他のクラスの子とランダムで組まれたチームを作り、そのチームの名前を作ったりオリジナルの旗を作成したり、誰がなんの役割をするかを決めたりした。

私は何の役割を担ったのか覚えていないが、信頼されているリーダシップのある子が選ばれる班長や副班長にはならなかったのだけは覚えている。平部員的な位置だ。

その研修で初めて親元を離れて遠くで宿泊をしたのでそれはそれは寂しくて辛くて仕方なかった。他のみんなはどうだろう。こんなに寂しい気持ちになっているのは自分だけかもしれないと思い聞くことはできなかった。

特にお風呂の時間が苦痛で、思春期真っ只中の自分には刺激が強かった。
普段は何気なく接しているみんなの素っ裸を目の当たりにし、黙りこくってしまった。

5年生にもなるとここまで体つきが変わるのかと勝手に友達の裸を見てショックを感じたのである。自分の体の変化もその時から起こっていたので、この時から他人とお風呂に入ることが苦手になってしまった。

苦痛だったお風呂の時間はなんとか終わって研修も終わりに近づいた。

そして研修は無事に終わり、私たちは研修での出来事ごとの感想文を書かなければならなかった。

感想文を書いて提出をし、あるとき授業が終わって遊んでいると先生から呼ばれた。

「○○さんは作文が上手だね」

と言われた。

その時の作文は率直にその時感じた言葉をあるがままに書き上げたものだった。作文は苦手だったがなぜかその作文だけは自分の感情が溢れ出してきてスラスラと書くことができたのだ。

あの、寂しくたまらなかった気持ちを全て吐き出していたのだ。
作文の構成としては親元を離れて寂しかったけど、こういう経験もいいなと思い、これからの糧にしたいというような流れだったと思う。

それを先生に「上手だね」と言われたことが嬉しく、たった一言だけどそれが私が文章を書くことに楽しさを見出した原点になったのかもしれない。子供の頃は単純なので褒められると特に嬉しく、自分には素晴らしい才能があるのだと思って意気揚々と家に帰り、意気揚々と親にも作文を見せた。普通自分が書いた作文を親に見せるなんて恥ずかしくてそうそうしないであろう。でもその時の自分は、これは上手く書けたし先生に褒められたからという自信で誰かに見せずにはいられなかったのだ。


当の母親の反応は「ふ〜ん」という感じだった。
特に感想もなく、「そうだったんだ〜」というような浅い反応だったが自分はそれで満足していた。

大人になるにつれ自分より遥かに優れた人間を見て劣等感を抱いたり勝手に嫉妬をしたり、次第に心がズタズタになることがあった。

でも子供の頃の褒められた記憶はふしぎなもので何かあったときも「あの時ああ言われたんだから自分は大丈夫」と落ち着きを取り戻していた。

先生のあの言葉がなかったら私は一生書くことに何も意味を抱かない人間になっていたかもしれない。

いろいろと感謝したいがきっと先生は私に言ったことなんて覚えていないだろうし、まさか十何年も経っていまだに自分が投げかけたことを覚えていてくれていて原動力として活かしているとは思ってもいないだろう。

先生とは私が小学校を卒業して8年後に同窓会で再会した。
今どこで何をやっているのかを聞かれただけで特に深い会話をしていないが先生と久々に会えたことは嬉しかった。

私が小学生当時おそらく20代だった先生は今は40代だろうか。
私も随分大人になったと同時に先生ももうそんな歳??と驚く。

あれから同窓会はその一回きりで月日は流れたが、もし何かの機会があればまた再会したいなと思う。

何気ない一言が誰かの心の中にこうやって一生残り続けるのであれば、私は少しでも相手のいいところを見つけて素直に褒めてあげたいなと思う。


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