【新日本プロレス】1998年④ アントニオ猪木引退試合 中編
猪木の引退試合の相手はドン・フライに決定。
小川直也に期待がかかる中での結果で、更に試合後の態度もあって場内は大ブーイング。
ザワザワした異様な空気を引きずったまま大会は進みます。
この決勝戦から、猪木の引退試合までは、あいだに試合を3つはさみます。
IWGPジュニアヘビー、タッグ、ヘビーの三大タイトルマッチです。
ジュニアヘビー級王座戦ではケンドー・カシンが飛びつき十字でライガーをあと一歩まで追い詰め、タッグ王座戦では西村がパートナーに橋本、対戦相手に武藤・蝶野組と闘魂三銃士に囲まれる形で蝶野のケンカキックを顔面に受けながら仁王立ちするなど新世代が奮闘。会場の空気が一気にリングに引き戻され、どちらも盛り上がりを見せます。
カシンは、元々から格闘技的な強さを猪木に認められている「ストロング・スタイル」を体現する選手でしたし、西村もこの頃の新日本主流のハイスパートレスリングに迎合せず、しなやかなスープレックスとコブラツイストなどのストレッチ技で魅せる、第三世代で一番アントニオ猪木の背中を感じる選手でした。
新日本プロレスの祖を送り出す大会で、新たな世代の頑張りで希望を見せたかと思いきや、セミファイナルとなるヘビー級王座戦では新日本旗揚げから参加してきた藤波辰爾がまさかのまさか、健介からのIWGP奪取に成功。
猪木引退に華を添える…というには大きすぎる番狂わせを起こします。
この試合は「藤波が全盛期の入場曲『ドラゴンスープレックス』で入場」「藤波がジャーマンスープレックスを解禁」の二点に尽きます。
まず入場曲についてですが、藤波は節目節目で入場曲を変えていて、それは同世代の別のレスラーと比べると異質でした。
後の世代では武藤が同じように頻繁に入場曲を変える選手でしたが、二人はともに、節目で戦い方も変えてきた選手です。
藤波に関して言えば、まず世界中に「飛龍」として注目されていたWWFジュニア王者時代があります。この頃使っていたテーマ曲が自身のフィニッシュホールドの名を取った『ドラゴンスープレックス』で、プロレスラーらしからぬ優しい曲調が、当時の藤波の温和にピッタリ合った名曲でした。
いつもニコニコと優しい藤波が、イメージ通りの曲で入場してきて、試合では素早い動きと空中殺法で暴れまわるわけですから、それはもう女性から子供からとんでもない人気になったわけです。
ここから、あの迷曲・マッチョドラゴンのインストバージョンなども挟んで、その活躍に合わせて入場曲を変えていきましたが、飛龍革命直後の1989年、腰の大怪我で1年以上の欠場を経験します。
この復帰以降は、アップテンポで勇ましい曲調のテーマ曲を使っていくんですが、それとは対称的に藤波のファイトスタイルはかつての「飛龍」とは違う、グラウンドと丸め込みで勝ちを狙いに行くスタイルに移行していきました。
改めてですがこの時の藤波は、前年はIWGPタッグ王座に返り咲いたり活躍はしているものの、コンディションとして100%からは遠く、いまの健介の猛攻を受けきれるとは到底思えない、というのが大半のイメージでした。
なので、ただただ「タイトルマッチとして見られる試合になればいいな」というところだったんですが、まず入場時に流れる『飛龍・藤波辰巳』の代表曲であるドラゴンスープレックスにドームが大歓声につつまれます。
テレビで見ていても入場曲が聞こえなくなるくらいの歓声で、会場にいた人から話を聞くと、ちょっと地面が揺れてるような感覚になるくらいの盛り上がりだったそうです。
そして試合も往年の飛龍の如く…とはいかず、やはり王者である健介の猛攻に耐えるような試合展開になります。
しかし、健介のラリアットをかいくぐった藤波が、決死の覚悟で放つジャーマンスープレックス!
決してきれいなジャーマンではない…というか、あの投げ技の角度がきつくなり始めていた90年代後半にはちょっと弛すぎるスープレックスだったと個人的には思います。
でも、一時は「痛みで自殺も考えた」というほど苦しめられた腰の爆弾を乗り越えるジャーマンスープレックスには観客も健介も虚をつかれました。
そして、この技で3カウントが入った瞬間、入場と同様会場が揺れるほどの大歓声に包まれました。
どよめき、歓声、そして藤波コール、ドラゴンコールで会場が一体に。
前までの試合とは逆に、時計を巻き戻すことになった藤波のIWGP返り咲き。
こうして、アルティメットチャンピオンを相手に引退試合を行う猪木に、最高の形でバトンを渡したのでした。
さあ、いよいよメインイベントとなるわけですが、
続きはまた次回とさせていただきます。