二重思考の天邪鬼
毎日、毎日、色々な事を考える。そのうちのいくつかを自身の中で芽生えた最適解として行動に移す。そんなプロセスを実行する事で1日を平穏無事に過ごしているはずなのだけれど、時々違和感に思うことがある。
それは、最適解として選んだはずの行動Aを行なっている時に、Aとは類型が異なる(むしろ真反対とも言えるような)Bの行動こそが最適解なのではないかと思うことである。
優柔不断なだけであると考えていたことも勿論あるのだけれど、行動Aが最適解と信じて疑わない状況下において生じる思考であるため、優柔不断であると一概に断ずる事が出来ず、悩みの一つとして長年苦しんでいる。
これをただの天邪鬼と言っても良いのかもしれない。しかし、この感覚はジョージ・オーウェルの『1984年』を読んだ時に実感と共に腑に落ちた。
作中では、これに似たような感覚/思考体系を「二重思考」と呼んでおり、物語において非常に重要な概念として度々登場する。それは、相反する二つの事実を矛盾していると理解していながらも双方を信じているというものである。
なるほど、なんとなく感じていた感覚はこれに準ずるものだったのだなと初めて読んだ時に思った。あくまでもフィクションにおいて言及されているに過ぎないと言われればそうなのかもしれない。しかし、当時の自分においては人生の熟成を確かに早める重要なピースであったのは間違いない。
この感覚は今もなお芽生えることはある。しかし今までのような違和感や不快感はなく、むしろ心地よい。自分自身を過信せず、冷静に生きていることの証左であると解釈するようになったからだ。この感覚が芽生えている間は恐らく思考プロセスには錆びつきがなく、数多の可能性を思考しうるだけの余裕があるのだろう。
しかし、こんな事を口頭で人に言ったら煙たがられるだろうということに関しては絶対の確信がある。