〜第2話〜陰キャな私、母との確執
母の叫び声で、はッ!と気がつくと、私は額に痛みを感じ 次の瞬間、土間に吹っ飛んでいました。
「何で片付けしてないの!」振り返ると、鬼の形相で立っている 母の姿がそこにあったのです。
そう!度々、母は私に、鉄拳をくらわせたのでした。
【私は母に喜んでもらいたかった】
母を笑顔にしたかった、認めてもらいたかっただけなのに!
人生はうまくいかないものです。
頑張れば頑張るほど、母の要求はあがっていき、母の期待値も上がっていったのです。
いつの日からか、「お姉ちゃんなんだから」そんな言葉を浴びせられました。
【私は、お姉ちゃんなんかになりたくなかった。】
私も一人の娘として母に認められたかっただけ、頑張って果敢なチャレンジをしても、その行動とは裏腹に母の笑顔を見ることは一切できず、顔を見れば私は母に怒鳴られる始末
私の想いなど聞いてもらえる事はなかったのです。 今でいうと、かなりの虐待ですよね(笑)
そのころは、そんな言葉もなく、そんな教育は当たり前でしたし 私は、この母親が、まさか変だとは思わなかった。逆に、私が母を大好きな気持ちは変わることはなかったのです。
そんなやるせない状況は、小学校の間中、続いたのでした。
【暴力的は言葉を浴びせられた私】
息を抜く間もなく、暴力的は言葉を浴びせられた私は、いつの日か自分の意見は全く言えなくなり、大人の顔色を伺うようになっていったのでした。
今だからわかります。全てにおいてダメ出しをされていたのは、私に対する愛情だったと、私も母になって初めてわかりました。
色んな愛情の表現があると思いますが
私も同じような事をしているのではないか?と感じることがあったからです。
私達、女性というのは「世の中で一番最初に社会の理不尽を教える」と誰かに聞いたことがあります。
そう、母も私も、世の中の女は「理不尽」なのですww
そんな家庭環境もあってか、いつしか外でも、自分の意見は言えない子!
それが私でした。
【だから、いじめの恰好の標的にされたのかもしれません】
そう!私はいじめられっ子だったのです。
「美奈子ちゃん。あなたの負けだからカバン持ちなさい!」私は、何も言えず、涙も流さず、そのボスの女の子に言われるまま、全てのカバンをもって歩いていたのです。
ある日 私が「おはよう」と声かけても誰も私に振り向く子はおらず、目もあわせてくれない事もありました。
そう!私はクラスの全員から無視されたのです。
【学校に行くのが嫌になりました】
何で生きてるんだろうと思ったものです。でも、私は家ではニコニコしてました。相変わらず母の言う事を聞きました。
認めてもらおう、褒めてもらおうと私は必死だったのです。 そう、この地球上に私の居場所はなかった。
だって強い振りをしていないと、私がいじめられてるなんて知ると 母が、どんな顔するか想像できなかったのです。
【でも、あの時、話していたらどうだっただろう?】
きっと母は、悲しんでくれたんだと思います。そんな感情は当時の私にはなく「怒られるかもしれない」「また殴られるかもしれない」この思いが、私の行動の全てを支配していたのでした。
【そんな陰キャな私は】
物ごごろついたころから、大声で歌っていたのでした。
その当時、大人気だった「桜田淳子ちゃん」の「気まぐれヴィーナス」♬
と、桜田淳子ちゃんになり切って、夕暮れの田んぼに向かって、大声で歌っていました。🎤♬
そう!その瞬間だけ
私は、田んぼのスターだったのです。✨✨✨🌟
【大きく実った稲穂は、私の観客でした。】
大勢の観客の中で一人で歌ってる私がそこにはいました。
友達も殆どいない私の唯一の相手が、大自然だったのです。
時に私は、涙ながらに歌うこともありました。別に、引退コンサート🎤でも
解散コンサート🎵でもありません。
そう。ただ怒られて悲しかっただけだったのですww
私が、悪いって認識できてたらそうはならなかった、私は間違ってない!
「なぜ?」「どうして?」
「いつも私ばかり?」
こんな想いを胸に、大きな声で歌う事で、私は平常心を保っていたかもしれません。
そう!私は人間の友達がいない一人遊びが大好きな子供だったのです。 一人ぼっちの小学生から、中学校では寮生活が始まったのです。
【秘境に住んでる私たちの中学校生活というのは】
9割の学生が寮に入ります。秘境の子供たちは、中学のころから親元を離れて寮生活するというのが、この村のしきたりの様なものだったのです。
そして、私が憧れてた寮生活は
なんと地獄の始まりだった。
そう!人生において私は、何度も地獄の1丁目を経験して、この世にもどってきた女なのです。
これまで母に否定され、馬頭され続けた私は、いつしか親元を離れて、1人暮らしがしたい!この地獄から逃げ出して、私は自由になれる。稲穂が友達の一人ぼっちの環境から寮生活!どこかで私は期待していたのです。
しかし、その期待は寮に入ってそうそうに打ち砕かれてしまうのでした。