Yale大学 英語の夏期集中コース 1 寮生活--「悪夢」の二段ベッド
今回はアメリカ東部にある、いわゆるアイビー・リーグの一つYale大学の英語のサマープログラムについて、その寮についての思い出を中心に書きたいと思います。早くコロナが収束して、この記事を読む皆さんがアメリカに留学する時の参考になるように祈っています。
Yale大学の夏の集中コースに申し込んだのは、私が参加していた国際交流プログラムのホストスクールが夏休みになることが分かっていたからでした。2か月以上も夏休みがありますから、同じ交流プログラムに参加しているある人はアメリカ中を旅行したり、またある人は企業のインターンに申し込んだり、色々な夏休みの過ごし方をしていました。
私は日本を出る前から英語の勉強がしたいと思っていたので、夏休みの間は英語のコースを取ると決めていました。アメリカに出発したのが確か4月で、その前にアメリカの語学学校について調べて、前に書いたインディアナ大学ブルーミントン付属の学校がいいと思っていました。Yaleのサマープログラムには「あこがれ」のような気持ちがあって資料は取り寄せていたのですが、「お値段(授業料など)」も高めだったし、NYCに近いので勉強に集中できないかもしれないと思ったりして、それほど前向きではありませんでした。
それを覆したのは家族でした。「『あこがれ』のような気持ちは大事にすべきだ」と言うのです。「日本に帰国してから『どこの学校で英語を勉強したの』という話になった時に『インディアナ大学の付属学校』と行っても『へえ』で終わるけれど、『Yale大学のサマープログラムで勉強した』と言えば『すごい!』となる。そういう華やかな思い出もあったほうがいい」と言うのです。私の貯金では予算がオーバーするかもしれないので躊躇していましたが、お金の問題はその段階(出発前)の大雑把な見積もりだったし、いざとなれば少しは家族もサポートしてくれるということになり、私は「憧れ」をとりあえず優先したのでした。
Yale大学の英語のサマープログラムは通常の大学のコースとは別の独立したコースです。通常の大学提供の英語プログラムはYale大学や大学院に入学した人たちのためのコースで、私のようなよそ者は対象にしていません。でも、サマープログラムは別で、英語を学びたい人を世界中から広く受け入れています。そしてサマープログラムを教える先生たちも広く他の大学から集めていました(Yale大学の先生たちは基本的に夏休み中なのでしょう)。
私は授業料と寮費と食事代(ミールパス)を払って、8週間のサマープログラムに申し込みました。私がいた南部の都市からYale大学のあるNew Heavenという学生街まではどこかの空港(JFK?ラガーディア?)で小さい飛行機に乗り換えて向かいました。途中、マンハッタンの上空にさしかかると、その小型機は摩天楼がきれいに見えるように機体を斜めにしながら旋回してくれて、ちょっとした遊覧飛行を楽しみました。これはその飛行機のパイロットさんのサービスだったみたいです。帰路も同じコースでしたが、普通に飛んでいました。
Yale大学のあるNew Heavenのとても小さい飛行場に着くと、私はタクシーに乗って大学に向かいました。その空港は平屋作りのような小さい建物で、飛行機を降りて、荷物を受け取って、出口を出るまで全て一つのフロアで済むほどでした。周囲は緑が多いし飛行機を降りた瞬間は「恐ろしく田舎に来た」と思いましたが、Yale大学のための空港みたいなものだからローカルで小さくて当然ですよね。逆に大学準専用の空港があるって、すごいことなのかもしれません。
夏の語学プログラムはよく準備されていて、事務局に到着すると全てがスムーズに流れました。基本的な説明を受けて、いくつかの書類にサインをさせられましたが、すぐに読めないものについては「ちゃんと読んで理解してからサインしたいので後でもいいですか」と聞いて了解をもらいました。知らない単語を調べながら読むのは時間がかかりますが、サインする以上は責任が生じるし、中身を分かった上で提出したいと思いました。これぞ生きた英語の勉強ですよね。
生きた英語と言えば、寮の書類に名前を書く時にも生きた英語を学びました。書類の名前を書く欄に[Please print]と書いてあって、その時の私は[print]の意味が分かりませんでした。「プリントしてくれって、どういう意味だろう。でも、これ手書きするんだよね。えー?わかんない」という感じです。私にとって「print」というのは「印刷」の意味でしかなく、でも状況として「印刷」でないのは分かるので、あせってしまいました。もちろん、すぐに「これ、どういう意味ですか」と聞きました。その書類にサインするよう求めたのは大学生のアルバイトの人でしたが「block lettersを使ってよ。一字ずつ分かりやすいように書いて」と親切に教えてくれました。「ああ、それをprintって言うんだ」。私の辞書の語彙が一つ増えた瞬間です。それ以来もう何度もこの[print]を求める書類に出会っています。
寮の説明を受けている時に、やたらとcollegeという言葉が出てくるので「どうしてdormitoryじゃないんだろう」と思っていましたが、Yale大では大学生用の寮をresidential collegeと呼んでいて、どうもdormitoryという言葉は大学「院」生用の寮にだけ使っているみたいです。Yale大にいる間、何かにつけて「大学院graduate college」は特別扱いされているという印象をうけました。実際、Yale大生には比較的簡単になれるけれど、院生となると相当難しいようで、大学院はそれだけ特別な存在なのでしょう。
大学生用のresidential collegesは12棟あって、私はそのうちの一つに入りました。実は名前を忘れてしまったのですが、ホームページに掲載されているリストで名前を見る限りBerkeley Collegeという名前だったような気がします。アメリカというと近代的でスマートな高層ビルのイメージが強いですが、Yale大は東部の伝統的な大学ですから、ほとんどの建物はそれなりに古くて威厳がありました。私が入った寮も石造りの荘厳な雰囲気の建物でした。高さはそれほどなくて、せいぜい3階建てから5階建てぐらいでしょうか。敷地の外側をコの字型に建物が取り囲み、真ん中は芝生の庭になっていました。これはどのcollegeも似た作りで、建物のどの部屋からも真ん中の庭が見えるようにデザインされていました。
『ハリー・ポッター』の映画にも、主人公たちが入る寮について決めるシーンがありますよね。新入生が入る寮が決まるたびに、その寮に住んでいる先輩たちが「よくぞ我が寮に来た」って感じで拍手したり、歓声をあげたりして、大騒ぎしていました。Yale大学の寮も同じような雰囲気だと思います。寮(college)ごとに寮長さんがいて、独自の習慣や文化やイベントがあったりして、そこに住む学生同士結束して、他のcollege(寮)の学生たちに対抗意識を持っていたり、同じcollege(寮)の中で先輩・後輩の関係を築いたり。今も同じかは不明ですが、前はそんなことがあったようです。それぞれの寮に独自の食堂もありますから寮生たちは「同じ釜の飯を食う」関係になるわけです。寮独自の図書館もあって、授業こそしないものの、一つの大学のように機能しているのかもしれませんね。
ただし、それぞれの寮に付属している食堂や図書館はサマーコースの間は閉まっていたので、サマーコースを取っている私たちは寮の外にあるcommonというとても大きいダイニングホールやメイン・ライブラリーを使いました。これらはYale大生だけでなく、先生たちや職員たちも使う「一般的な」施設です。
夏休みの間、基本的に大学生はcollege(寮)を出ていかなければならず、秋の新学期直前に戻ってきます。そして彼らが戻るまでの空になった寮を、私のように夏のコースを取る人たちが使うという仕組みです。ただ、Yale大生の中にもサマーコース(もちろん英語ではなく、その他の科目です)を取る学生がいて、そういう人たちは数は少なかったですが、寮に住み続けていました。また、寮のマネージメントをする係(Residence Assistant)としてアルバイトしている学生も数人いました。私の寮では二人のYale大生がRAをしていて、サマープログラム受講者の入寮手続きなどを手伝っていました。
さて、寮で私に与えられたのは2階にあるスイートルーム(4人部屋)でした。廊下を歩いて最初のドアを開けると、比較的大きなリビングルームがあります(4人共用)。そのリビングルームの脇に二つ扉が並んでいて、その扉はベッドルームの扉でした。つまりベッドルームが二つあるわけです。各ベッドルームには二段ベッドと二人分の小さいクローゼットと机が置かれていました。一つの寝室は二人用ということになりますが、リビングルームまで含めると4人でシェアするスイートルームという作りでした。
リビングルームも寝室も壁は白壁で床は濃い色の板張り、外壁が石造りなのに対して室内は木が多く使われて暖かみのある雰囲気でした。寝室のドアとは別にドアがあって、その奥には洗面室とシャワールームが付いていました。シャワールームについては記憶がややあいまいですが、シャワーを浴びるために廊下に出た記憶がないので、寝室脇についていたと思います。
寮の部屋に入って真っ先にするのは「現状確認」です。事務局からもらったチェックリストに従って、必要な家具は揃っているか、そのコンディションはいいか、といった項目にチェックマークを入れていきます。全部で30項目ぐらいあったでしょうか。古い家具もあったりして、それのコンディションを「いい」という欄にマークしてしまっていいのか迷ったので、そのチェックリストを提出する時にRAさんに確認し、その後でチェックシートにサインをしました。サインをした以上は、寮を出ていく時にこのチェックシートと状況が違っていれば弁償をするなど「原状回復」の責任を負うことになります。施設が全体に古めなので、「大きい問題はないけれど大丈夫かな」と少しドキドキしながらサインしたのを覚えています。
4人部屋の中の二つの寝室について、どちらの寝室を使うかは予め決められていました。でも割り振られた寝室の中にある2段ベッドについては、上の段を選ぶか下の段を選ぶかは早い者勝ちでした。ルームメートよりも先にチェック・インした私は上の段を選びました。下の段だと、ルームメートが上で寝返りをうった時などに下まで音が響いてうるさいと考えたからです。自分が上の段を使う分にはその心配はないと思いました。でも、それは甘い考えでした。下の段の動きや音が上の段に響くこともあるんですね。
ルームメートは南米かスペイン辺り出身と思われる人で、私と同じ英語プログラムを取っていました。でも全く別のクラスで、学校で一緒になることはありませんでした。ラテン系と思われる陽気な雰囲気の人で、特に大きな問題はなかったのですが、ベッドの騒音だけは本当に困りました。
彼女は友達と夜遅くまで楽しく過ごすのが好きな人で、いつも私が寝入った頃に寮に帰ってくるのですが、先に寝ているルームメートに遠慮して、ひっそり、こっそり足音を忍ばせて寝室に入ってくるという人ではなく、ごく普通に動き回っていました。部屋を動くだけならそれほど問題はないのですが、彼女がベッドに入る時と入ってブランケットをかけたりする時、そして寝返りを打つ時などいちいちベッドが揺れるし、音もするしで、私はいつも寝入りばなを邪魔されて寝不足気味でした。
入寮後2―3週間経った頃でしょうか、ある程度生活にも慣れてきた頃、私は思い切って彼女に「もう少しベッドの音に気を付けてほしい」と言いました。でも、彼女は自分の行動が他人に迷惑をかけているとは全く思っていなくて「悪夢でも見たんじゃない。私、ベッドであなたを起こすような音をたてていないけど」と返されてしまいました。「悪夢」とは…。
音の問題は難しいですね。どこまでが普通の音で、どこまでが迷惑な「騒音」かという線引きが。迷惑に思うのは夜の寝入りばなというタイミングもあるかもしれないし。彼女にしてみれば、文句を言われる理由が分からないということでしょうか。
私は中高時代に姉妹で2段ベッドを使っていた時期があり、私は上の段を使っていましたが、一度も下の段の音が気になって起きたことはありませんでした。ですから、すごく音に神経質とか過敏いうわけではないと思います。ルームメートがもう少し「そぉっと」ベッドに入ってくれる人だと睡眠を妨害されることもなかったかな…。
この二段ベッドの騒音問題については最終的に事務局に相談しました。毎日寝不足では勉強に集中もできませんから。するとラッキーなことに一人部屋に入れることになりました。たまたまサマープログラムを自己都合で早く切り上げる受講者がいて、その人が使っていた一人部屋が空いたばかりだというのです。あきらめずに相談してよかったです。おかげで後半の1か月ぐらいは誰に睡眠を妨害されることもなく、とても快適に過ごすことができました。
さて、元いた4人用スイートルームですが、リビングルームにはTVなどがあるわけでもなく、木の椅子がおいてあるだけだったので、特にそこでくつろぐということもありませんでした。ただ、時々窓から中庭を眺めることがありました。
クラスが終わって夕方から夜にかけて学生たちが中庭の芝生の上でフリスビーをしたり、ボールで遊んだり、グループでおしゃべりしたりします。時として笑い声や歓声が室内にも聞こえてきました。そうなると誰が何をして騒いでいるのか気になって、リビングルームに行って、窓から外の様子を眺めたものです。騒いでいるのがクラスメートだと「見てないで一緒に遊ぼう。下りてきて」と誘われたりもするので、宿題が多い時などは見つからないように窓枠ギリギリに隠れながら見ていました。
リビングルームには暖炉がありました。でも冬に使っているとは思えないので、おそらくは「飾り」なのだと思います。古い建物ですから、もしかすると昔は本当にその暖炉を使っていたのかもしれません。なんだかロマンがありますよね。夜、薪の燃える暖炉を囲んでスイートメートたちが語らっている生活というのは。
ただ、私としてはそんなリビングルームを作るくらいなら、その空間を使って一人に一部屋のベッドルームを作ってほしかったですけれどね。
建物の古さといえば、私が寮を使っていた時は「パソコンを部屋で使えない」問題がありました。おそらくは寮の建物の古さゆえに、建物に穴をあけてパソコン用のケーブルを張り巡らせるというのは無理だったのだと思います。不可能ではないかもしれないけれど、歴史的な建物が穴だらけになりそうです。部屋でパソコンが使えない分、寮の中庭にコンピュータールームが設けられていて、パソコンを使いたい学生はそこで使う仕組みでした。コンピュータールームといっても、平屋のプレハブ小屋的な感じの建物で、その中に20台ぐらいのコンピュータが設置されていました。そこが一杯なら、大学の図書館まで行って、そこのパソコンを使っていたようです。今はきっと寮の中にwifiが設置されて、それぞれの部屋でパソコンが使えるようになっているでしょうね。
私が入寮した日の夕方、サマーコースを取っている入寮者は中庭に集められました。夏の間の臨時「寮長」さんたちからの歓迎式のようなものが開催されたのです。そのイベントで印象に残っているのは見知らぬ者同士が打ち解けるように用意されたゲームでした。
「赤い糸ゲーム」と名付けられたそのゲーム、ホイッスルの合図で参加者全員が自分が履いている靴の片方を適当に投げます。そして自分の靴を投げた方向とは別の方向にケンケンをしながら行って、他の誰かの靴を拾うのです。そして、その靴の持ち主を探して、その人に靴を渡す時に自己紹介したり、ちょっとしたおしゃべりをするというゲームです。自分が拾った靴の持ち主が「赤い糸で結ばれた運命の人」というわけですね。
みんながケンケンで中庭を走り回る様子もおもしろかったし、「これは誰のですかあ」と持ち主を探すのも楽しいゲームでした。もちろん自分の靴を見つけてくれた人ともおしゃべりすることになるので、最低二人と話すことになります。けっこう緊張も解けたし、寮仲間たちとも打ち解けられました。
こうしてその日は暮れていき、次の日からサマープログラムの開始となりました。
今回は私が入った寮の様子を中心にお伝えしました。次回はYサマープログラムの英語のクラスの様子ついて書きたいと思います。お楽しみに。