スポコンはオワコン?コロナウイルスがトドメの一撃を刺すか?
コロナウイルスの流行により様々なものが影響を受けている。部活動を含むスポーツに対する影響も大きい。
最終目標すらなくなる可能性
中高生・大学生にとっては自分たちが取り組む一生に一度の大会であるインターハイ。開催が中止されようとしている。「実力を発揮し、勝利を目指して!」のように言い日々取り組んでいるが、その練習を発揮する機会がそもそもなくなる可能性すらある。
https://www.asahi.com/articles/ASN4K63MWN4JUTQP016.html
「インターハイだけならまだいい。大学やその後でもっと上の大会を目指す。」そう思っている人もいるだろう。しかし、オリンピック・パラリンピックですら正直怪しい。この辺りの世界大会が中止になると、競技に取り組む選手全員の最終目標と言ってもいい大会ですら、突如なくなる可能性を秘めている。もはや何のために、きつい練習に取り組んでいるのかが分からなくなるだろう。
これは自然と「何故やるか?」を考えるいい機会になるのではないか。
スポコン
特に日本のスポーツは、戦争中の富国強兵の軍隊教育・体育教育の雰囲気を未だに持ってきた。「気合と根性で勝利を目指せ!」典型的なスポーツ根性(スポ根)という名のパワハラ・暴力が横行していたことは以前から問題視されてきた。パワハラ対策やコンプライアンスの関係で、この傾向は拍車がかかっている。
https://toyokeizai.net/articles/-/49173
http://yakiuchannel.blog.fc2.com/blog-entry-103.html?sp&m2=res
しかしそもそも大会がなくなり、勝利を目指せなくなったら、もはや強くなること自体に価値がなくなる。正確に言うと、そもそも部活の大会で勝つことには、そこまで価値が無かったのではないかもしれない。
部活をひたすら頑張る中学生・高校生に考えてもらいたい
こちらにも書いたが、闇部活という禁止下でも隠れて練習する傾向があるらしい。
部活をやっている人に問いたいことだが、そもそもそこまでして何を目指している?
スポーツ推薦?もし仮に、スポーツ推薦で進学をしたとしよう。その後どうなるのだろうか?プロを目指す?プロになってからどうする?30歳くらいで引退?引退した後コメンテーターになる?(これをボーナスステージと名付けたい。)
テレビをはじめとしたメディアで取り上げる側面はごく一部の良い面だけである。コメンテーターになれるのは自分と同年代前後±5歳くらいで圧倒的な実績であれば可能性が全くないわけではない。もしあなたが今の時点で、全国大会でも目立つレベルでなければ、この未来は基本無いと思ってよい。
有名選手でも引退後は厳しい。今バットを握って四番の打席に立っている憧れの選手は、引退後して数年後には、擦り切れて穴が開いたパーカーを着て駅前で、日雇い労働者としてバーゲンセールの看板を握って立っているかもしれない。以前はその選手にサインを求めていたファンも、もはやだれも気付かない。ゴールに向かってボールをシュートを打つ憧れのスリーポイントシューターも、引退後には、ゴミ収集車に向かってポリ袋を毎日のようにシュートする清掃員として活躍しているかもしれない。
アルバイトもしたことが無ければ、まだわからないかもしれないが、世の中には、誰でも出来る仕事と、限られた人にしかできない仕事がある。そして時給も大きく変わる。
育ち盛りの中高生には分からないかもしれないが、おじさんやおばさんを見ればわかるように、人間の身体能力は30歳前後から急激に衰え始める。文字通りに身体を張った仕事は難しくなっていく。
一方頭を使った仕事なら、もっと年をとっても出来る。(痴呆症やアルツハイマーなどはあるものの)理解力は年齢と共に成長していくことが分かっている。他にも効果的な技術を身につければ向上できる。
よって、部活などを通して「スポーツだけ」をやることは自分で自分の首を絞めることにつながる。スポーツ推薦などで、先に進めば進むほど、後々で修正が難しくなる。
「だったら引退したら就職して会社員にでもなるよ」という人は「アスリート セカンドキャリア」等で検索してほしい。結構アレな例が出てくる。
一部芸人のようなポジションもあるが、あれは実力も必要だが運も相当に必要で、宝くじを当てに行くようなものである。1つでも数字が違ったら、どんなに惜しかったとしてもハズレである。
先生やコーチが「スポーツ推薦で!」とか「さらに上を目指せ!」とか言っているって?もちろんそれは、生徒に「勝つ気持ちを味わってもらいたい」という心理的な部分も少しはあるとしても、先生たちが君を進学させると学校や個人の評価が上がるからだよ。「君達の将来を思って」とか言っていても、おそらくそんなことは無い。毎年新入生が入ってくるから君がいなくなったってそんなに気にしない。君はピストルの弾とか輪投げの輪位に捉えているかもしれない。「今年はうまく行った!」「今年はハズレだったわ~」くらい。気持ちではそう思っていないかもしれないけど、社会のルールや仕組みとしては、そう思っても問題ない仕組みになっている。「成績に入らない」て言われた試験は真面目にやらない感じ。
スポーツ「だけ」行った場合の行き着く先
さて、一部の引退してコメンテーターになるような宝くじを当てたボーナスステージに入った選手を除いて、スポーツだけを取り組んだ人はどうなるのだろうか?
検索してみてほしい。悲惨とかやばいとかが出る。実際に本人のインタビューでも「元に戻る」という表現があるが、これが真理ではないだろうか。
これは逆にテレビをはじめとしたマスメディアが「スポーツはすごいもの」と実態以上に持ち上げているから、価値があるように見える、という側面もある。実際冷静に考えると「一定のルールの上で暴れまわるのが得意な人」なだけではないだろうか。
「スポーツのように一つのことにずっと継続して集中できる能力」は確かに役に立つ。しかし、他の分野にもそういう力を応用するには、一定の頭脳が必要になることを見落としている例が多い。さらにこのような力は人に教えられて伸びるものではないので、やはり幼少期から自ら学ぶしかない。
このアカウントのnoteにはこの辺りの話は詳しく書いているので、興味があったら見ていただきたい。
今一度何のために部活をやっていくのか?スポーツで行くという場合には、その先どうなるかを認識したうえで取り組んでいただければ幸いである。
スポーツをもっとカジュアルに楽しむスタイルに
そもそもスポーツは遊び・余暇を意味するラテン語であるデポルターレが発祥である。
「スポーツ一筋」ではなく、もっとカジュアルに楽しみながら、もしかしたら世界大会にも出られちゃいました。位に軽い感じで出来るようにしていく方がスポーツは健全であると考えている。あくまで大多数にとっては遊びである。「ベンチャースポーツ」ではそれが出来る状態にあると考えている。
デジタル化が進んでいくと、リアルなスポーツは、ぜいたく品になる可能性も高い。贅沢品になれば、無料で取り組むこともなくなり、高級化が進目られればこれらの問題も一挙に解決できるのではないだろうか。
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