スポーツと闇部活 -暇つぶしと悲惨な引退後-
2018年に発表されたスポーツ庁のガイドラインでも部活動の短時間化が推奨されている。
しかし闇部活というものが問題になっている。要するに制度上部活の時間は制限されているが、その制度を避けるためにあの手この手を駆使している。なので、個人的な集まりとして練習をしているようだ。
パンデミックの影響で禁止されている部活動でも「個人的に」集まって活動を行ってすらいる様子である。
そもそも、なぜそんなに部活を頑張るのか?
筆者自身部活動の経験はありバスケ部の練習は毎日であった。土日も練習か試合。当時は当たり前のように取り組んでいた。しかし、そもそもなぜそこまで部活を頑張るのだろうか?勝ちたいというのはわかるが、基本は勝ったところで、達成感しか得られるものがない。
単純に勝ちたいという達成感もあると思うが、それ以上にある程度スポーツが強いと、スポーツ推薦などの制度で進路があるからであろう。特に強豪校では、学校や担当者自体の評価も大会での順位や教え子の進路がかかわってくる。また全国大会に出れば学校の宣伝にもなる。
中学・高校、いや大学でさえでも、その場限りではいいだろう。スポーツ推薦の制度がある限り、次の進路に進めるから。これは問題の先延ばしである。しかしその後実業団やプロになったとしても、遠くない将来引退する。その引退後はどうするのだろうか?スポーツのキャリアは人間の人生よりも明らかに短い。
現代のアスリートとほぼ同じ構造を持つ古代ローマの剣闘士の時代では、平均寿命が40歳程度であったために35歳で引退してもさほど問題ではなかったかもしれない。しかし人生100年時代と言われている現代で30歳前後で引退すれば、引退後のほうが倍以上の長さになる。
忘れてはならないのは、部活時代からスポーツ一本の選手は引退後は、ほかのスキルがないことが多い。引退後の身体能力は加齢と主に衰えていく。「練習は不可能を可能にする」と小泉信三が言うように、スポーツの目標に向かって取り組む姿勢は他の分野にも生かせる。しかし他の分野にこの手の能力を応用するには、一定の基礎学力が必要である。これは自分で体得するほかない。一定の学力がない状況下では、スポーツで鍛えたスキルも生かせず宝の持ち腐れになる。遅くなれば遅くなるほど対処が難しくなる。引退するころに気付いても遅い。
ちなみにごく一部の競技以外では、世界チャンピオンになったとしても経済的に恵まれることはない。さらに経済的に恵まれても破産する例が大半である(NFLの選手は5年以内に80%が破産する)。
元NFL(全米プロアメリカンフットボールリーグ)のプレーヤーの約78%、元NBA(全米プロバスケットボールリーグ)のプレーヤーの68%が、現役引退後に自己破産
今回のパンデミックの件でさらに明らかになったように、オリンピックや世界選手権という最終目標となる大会ですらも、災害で中止(や延期)になる。中止になれば選手は一生をかけて準備してきたとしても、発揮すらできずに終わる。そもそもそこにたどり着かない場合には、直接的に得られるものはほとんどない。
スポーツは本来「暇つぶし」
そもそも「スポーツ」の語源は「気晴らし・暇つぶし」を意味するラテン語のデポルターレといわれている。暇つぶしである。災害で命が危ないときに、暇つぶしをしている余裕はない。暇つぶしに人生をかけて破綻するのは本末転倒である。(なお「ベンチャースポーツ」ではこのスポーツ本来の方向性を最大限に引き出すように指針を置いている。)
生徒のためを思って
「生徒のためを思って」とはよく言うが、スポーツには達成感やアドレナリンの放出など麻薬的な側面が強い。しかも楽しい。生徒が短期的な快楽を欲しがるのは当然である。
しかし本当に生徒のためを思って教育をする目的を第一においているのであれば、「部活ばっかりやっていないで、勉強しておけ」という指導になるのではないだろうか。制度としてもそうしていった方が将来の若者のためになるだろう。
外出自粛になった昨今、今一度部活とスポーツについて広く考えてみるのはいかがだろうか。
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