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震災から10年。なぜ東北・女川からVENTURE FOR JAPANを始めるのか
皆さん、こんにちは。
代表の小松洋介です。
もうすぐ東日本大震災から10年が経ちます。
僕自身がVENTURE FOR JAPANを始めたのは、この東日本大震災での経験が大きな背景としてあります。
今日はこの10年に思いを馳せながら、「なぜVENTURE FOR JAPANを東北・女川から始めるのか」についてお話ししたいと思います。
一番のきっかけは『人や組織のポテンシャルを解き放った女川町の復興の経験』です。
僕は2011年からずっと女川町に根を下ろし、復興に関わらせていただきました。
女川町復興連絡協議会による復興提言書(民間による復興計画)の作成からはじまり、女川町内外の行政・議会・民間・住民の連携による復興まちづくり。
さらには事業者さんの再建支援や起業家さんの起業支援(関わった起業家は25社を越えました)、地域外から新たな取り組みをしたいといらっしゃる個人や企業のサポート…など。
時に笑い、時に涙し、時に怒りながら、常に楽しむことを大切にしながら、女川の方々と一緒にお仕事をさせていただきました。
震災から10年間、僕が見てきたものは「人・組織のポテンシャルの解放」でした。
女川町は震災により町の土地の約70%が流出。
約10%の方がお亡くなりに、または行方不明になられました。
宮城県ではこの割合は最も大きな数字です。
この大変な状況から女川の震災復興はスタートしましたが、女川の皆さんは前を向いていました。
震災からわずか1ヶ月で、全産業界の皆さんが加入する女川町復興連絡協議会を民間主導でつくります。
「還暦以上は口出さず、若者にまちづくりを任せる」との復興連絡協議会長のメッセージで、女川の若手たちが復興の責任を担いました。
これにより、個人や組織のポテンシャルが解放されて、とてつもないエネルギーのもと復興のまちづくりが始まりまりました。
当時を思い出すと、女川の皆さんはあらゆるやり方を創造して駆使すれば「できないことはない」と可能性を信じて、日々復興まちづくりを一生懸命行っていました。
僕自身もそれを心から信じて、皆様とお仕事をさせていただきました。
町の皆さんの「できないことはない」という可能性を信じきるエネルギーが僕に伝播していました。
さらに、このエネルギーは僕以外にも地域内外へ伝播していき、どんどん大きなエネルギーとなって、その中で新しい挑戦が数々生まれて女川の復興は進んでいきました。
この点が女川の復興の原動力であり、言葉で表現するのは難しいほどの凄さだと僕自身は思います。
震災から10年が経った今も、これからもこのエネルギーの伝播が続いて更に大きくなっていくと思います。
「個人、組織のポテンシャルを解放するとこんなすごいことが起きるんだ!」とこの10年間で女川で僕は体感しました。
そして思ったのです。
「個人や組織がポテンシャルを解き放つことによって、閉塞感のある日本、そして世界をもっと良くしたい」と。
それから「挑戦したい若者」と「挑戦したい会社」のポテンシャルを解放することを目指して、VENTURE FOR JAPANを立ち上げました。
詳細はこちらをご覧ください。
現在VENTURE FOR JAPANでは、震災10年を迎えるにあたり、女川のこの10年間の景色を重ねながら今後の目指していきたい姿を検討しています。
人や組織がポテンシャルを解き放つと、挑むことが純粋に楽しくなります。
また嫉妬などの邪念が消えて、他の挑む人や組織のことを純粋に応援したくなります。
この連鎖がより大きくなっていくと、たくさんの「豊かさ」を生みます。
「豊かさ」とは心理的なもの、環境的なもの、経済的なものなど様々です
そんな「豊かさ」が広がる温かい社会にしたい。
これが震災10年の僕の答えであり、VENTURE FOR JAPANを東北・女川から始める理由です。
若者と企業のポテンシャルを解き放てるように、丁寧にVENTURE FOR JAPANを大きくしていきたいと思っています。
これからも引き続き、どうぞよろしくお願い致します。
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VENTURE FOR JAPANでは、オンライン説明会・個別キャリア相談会を実施しています。さまざまなバックグラウンドを持つ事務局のメンバーがご希望にあわせて対応させていただきます。