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慣れは大敵。
こんにちは。VFJ二期生の福太郎です。
5月はどんな月だったか振り返ると、「慣れ」でした。
ざっくりまとめると下記の通りです。
・自分のポジション・何をするかが決まる
・自分で提案した物が始まる
・ワクワクと慣れ
それぞれ掘って書いていきますね。
ちなみに写真は僕と同い年の山本幸輝(やまもとこうき)が彼の地元浪江(なみえ)で開いたBar幸(さち)を手伝った時の写真です。
1:自分のポジション・何をするかが決まる。
僕はコミュニティマネジャーという役職で小高ワーカーズベースに入社しました。
最初はとにかく0→1として事業を起こしていた小高ワーカーズベースは、2019年に「小高パイオニアヴィレッジ」(以下OPV)というコワーキングスペースを持ちました。
そこでは主にワーカーズベーススタッフ・ローカル起業サポート機関のNextCommonsLabの人々が活動しています。
そしてこれからそのコミュニティの熱量を上げ、さらに広げるフェーズになり、コミュニティマネジャーというポジションが必要となっているフェーズ故、募集していたのだと理解しています。
自分がやるべきはコミュニティの拡大に向けた活動
ここのために様々なアプローチをするという方向になりました。
僕は0→1になった火種を1→10にするということになります。
2:5月にやってきたこと
実際に自分で考えて提案したものの1つに、OPVnoteでの一人一人の紹介。
よければご覧になってください。
インタビューのアポどり→1時間ぐらいでインタビュー→編集→チェックを一人で20人以上に対して行うのは想像以上に大変だなぁというのが正直なところですが、人の価値観や転機のエピソードに触れるのはそれ以上に楽しいです。
この「noteで発信するぞプロジェクト」には二つの意図があります。
1:外部への認知拡大のため。
OPV並びに運営する小高ワーカーズベースに関してのインタビューは沢山あったものの、代表として社長の和田さんへのインタビューが中心でした。
故に現状「コミュニティで日々活動する人はどんな人たちか?」に目が向けられることは少ないのでは?という仮説を持ちました。
幸か不幸かコロナウイルスは東京一極集中の現状を変え、移住やテレワークの波で地方への分散が始まる時に強くコミュニティの価値を発信し続けることで、共鳴した人に仲間入りしてもらいたいです。
2:コミュニティ内部の相互理解のため。
普段OPVで活動する人たちは、以外とそれぞれを知る機会がないのでは?と仮説を持ちました。
OWBメンバーも一人一事業を担当し、会員さんもチームというよりは個人で事業を進めています。
定期的にお昼会やBBQなどコミュニケーション量自体はあるものの、深さの部分では果たしてどうなんだろう?という疑問がありました。
また、僕自身昨年に1ヶ月インターンをしていたとはいえ、この人はどんな人なのか、なぜここにいるのかという「コミュニティの文脈」まではわかりませんでした。
ならばインタビューという公的な場を設定することでまずは自分が聞いて、その上でみんなにも知ってもらおうという魂胆です。
週に2人ずつリリースし、7月まではまずこのnoteで人を紹介し、そこからはさらに事業のサポートにもなるようなPR媒体として活用したいです。
3:ワクワクと慣れ
最後に、自分の内面的課題感を共有します。
「モチベーションと時間管理」です。
大きく2回モチベーションの動きがありました。
4月の半ばに南相馬に来て、2週間自主隔離。
一日中家の中にいて、リモートワーク。
非常にテンションが下がりました。
そこから社外の人とやってるプロジェクトが2個走り始め、自主隔離も解禁されて本業ではインタビューを取りまくってどんどん楽しくなってくる時期。
僕のモチベーションは「変化」なんだろうなと自覚しています。
人と対面する時、新しく何かが始まる時、一番エネルギー値が高まります。
逆にそれが落ち着いてきた時にどうしても取り組もう、しっかりしようという気持ちが切れてしまう。
5月は、だんだんと仕事の流れを覚え、ルーティンが確立されてきました。
この「慣れ」こそ自分にとっての大敵だと認識した上で、常に自分で変化を作り、変化を楽しむようにして6月を過ごしたいと思います。
ちなみに6月5日に晴れて23才になりました。
同じ誕生日はガッツ石松と波田陽区とおばたのお兄さんです。
南相馬では圧倒的若者ではありますが、年齢関係なく一プレイヤーとして力を発揮できるよう頑張ります。