小さい権利と責任を疎かにしない
自己反省も含めてだが、改めて、誰が権利と責任があるかを曖昧にしてはいけないと思うことがある。
最近、話題のテレワークなどでも、元々テレワークの制度があった場合は別にすれば、通常、会社側が従業員の勤務地を決める権利があり、労働通知書や就業規則にも書かれている。コロナ禍で在宅勤務に移行する場合、当初は、会社がその権利で、従業員の健康面などを勘案して、在宅で勤務することを決めている。当然、会社には、再度、会社に出勤してもらう権利を有している。会社は、その権利を有する代わりに、会社の業務と従業員の健康管理などの両面で責任を負う。
しかし、会社によっては、従業員の側から、在宅勤務の権利を主張してくる場合もある。会社の権利であった勤務地選択の権利を、従業員に移行することに問題があるわけではないが、権利と責任は紐づいている。何の責任が連動して移行するか、も明確にし、かつ、報酬などの協議をして、労働契約の巻き直しや就業規則の巻き直しをする必要がある。権利だけが曖昧に移転され、責任が会社にだけ残ってもおかしいし、実は見えない責任が曖昧なまま従業員側に転嫁されるのもよくない。
この話だけでなく、会社には、業務面の指揮命令系統が存在し、それは誰が偉いとか偉くないとかではなく、効率的に組織が動くために設計され、その中で確実の権限と責任関係は決まっている。しかし、指揮命令系統を超えた対応がなされると、責任がないのに、自分の権利を主張する場合なども生じる。
社内の情報開示などでも同様のことを考えたことがある。社内情報がオープンな組織というのは、開かれた感じがしてイメージもいいし、その方がいいと思う人も多い気がする。従業員側に情報を得る権利を与え、自主性を高めるというものだ。これ自体は、ごもっともでいいのだが、当然、得た情報の取り扱いや、誰もが多くの情報を得られる中でどう立ち振る舞うかは、その人に委ねられている。上場していれば、インサイダー取引に該当しないようにも、細心の注意を払わなければ、ならない。従業員個人は、大人として扱われ、会社も大人として扱うことにはなるので、問題が起きた場合、ある程度、個人の責任を問われることになってもおかしくない。
一方で、業務に必要な情報だけに社内情報の開示を限定するということは、一見、いまどきでなく、あまりいいイメージには見えない場合があるが、実はそれだけ従業員側の権利が少ない代わりに、会社の責任範囲を高め、従業員を守ることになることにはなる。会社の業種や保有する情報の重要性、メンバーの成熟度なども含め、こちらの方が望ましい場合もある。権利の面だけでなく、責任の所在がどこか、も意識した方がいいだろう。
個人の反省として、良かれと思ったり、小さい権利的なものを軽視したり、権利だけ見て責任側を見なかったことが原因で、様々な組織行動のかけ違いに影響していた気がするし、ちゃんとマネジメントができる人は、小さいことでも、誰が権利と責任を持っているのか、持たせるのか、を曖昧にしない。
どこに権利と責任のバランスを置くかは、会社のポリシー次第だが、常にセットで、自社にあったバランスを考えるべきだろう。ついつい、権利関係を曖昧にしたり、あたかも権利だけを渡してしまうことがないように、自戒の念を込めて。