※以下は、試験問題としては憲法は好きだけど、基本書はろくに読んでいないし、細かな分析もしていないという立場からの無責任な一試論にすぎませんので、その点はご留意いただければと存じます。
1.平成28年の採点実感
さて、司法試験(予備試験を含む。)の問題の中で、最も事前対策としてのコストパフォーマンスが高いのは、憲法ではないかと思う。
なぜなら、圧倒的に「知識」の占める比重が少ない。
民法なんかは、知識がないとどうしようもないところがあるが、憲法は、そもそも最大公約数的な憲法上の知識が相当狭いので、自ずと単純な知識以外の観点から解答者の能力が問われることになる。
そして、憲法は、答案パターンとポイントが概ね決まっているので(これをいうと試験委員には怒られるかもしれないが)、分析と対策も立てやすい。
対策を立てる上で有用なのが採点実感。
平成28年の採点実感では、以下のとおり述べられている。
さらに、平成28年の採点実感では、それぞれのポイントも述べてくれている。
①;被侵害利益について
②;違憲審査基準の定立及び適用について
2.参考例①:宇賀補足意見
では、実際の答案の書き方について、宇賀大先生(現最高裁判事)の補足意見を見てみる。
最大判R4.5.25
まず、権利の設定については、「国民審査に参加する権利」とした上で、その憲法上の意義について必要十分に述べている。
次に、当てはめ。
一律に権利行使を否定するという極めて重大な制約についてすら、この程度の論述は必要ということだろう。
さらに、なお書き。
ここまでの配慮を尽くしていれば、司法試験の答案としては、「優秀」以外の評価をつけようがないだろう。
3.参考意見/参考例②:千葉勝美補足意見
千葉勝美元最高裁判事は、憲法的に非常に参考になる補足意見を複数書いておられる。
まず、違憲審査基準についての見解を示すもの。待婚期間の違憲判断を支持する補足意見の中で、違憲審査基準のあり方について述べている。
以上の説示は、以下の点をいうものと理解される。
①法律上の不平等状態を生じさせている法令の合憲性審査については、理論的形式的な意味合いの強い、㋐立法目的の正当性・合理性と、㋑その手段の「合理的な」関連性の有無を審査し、これがいずれも認められる場合には、基本的にそのまま合憲性を肯定してよい。
他方、いわゆる精神的自由を制限する法令の合憲性審査については、厳格な判断基準を用いて、制限することにより得られる利益と失われる利益とを考量して審査するなどの方法が必要とされることがある。(
②しかしながら、立法目的が正当なものでも、その達成手段として設定された措置が~(例えば、「✕✕に対する直接的な制約を課すことが内容となっている」など)の場合には、形式的な意味で上記の手段に「合理的な関連性」さえ肯定できれば足りるかどうかは問題であり、㋑’その手段それ自体が「実質的に不相当」でないかどうか(その手段の採用自体が立法裁量の範囲内といえるかどうか)を更に検討すべきである場合もある。
つまり、千葉勝美元最高裁判事の理解としては、
合理的な関連性の有無<<実質的な相当性の有無
ということである。
しばしば「合理的関連性」というキーワードが答案には頻出するが、最高裁の認識する「合理的関連性」というのは、「理論的形式的な意味合いの強い」、極めて緩やかな審査であるといえよう。
続き。
以上の説示は、以下の点をいうものと理解される。
①立法目的・手段の合理性等を審査する際に、採用した手段自体の実質的な相当性の有無の判断をも行う必要がある場合には、「女性に対してのみ再婚を禁止するという差別的取扱い」を端的に問題として、「それに関連する諸事情すべてを総合考慮」した上で、「合理的な根拠を有するものといえるか否か」を判断するのが原則である。
②もっとも、「立法目的が単一で明確になっている」場合には、立法目的・手段の合理性等の有無を明示的に審査するのにふさわしい。そういう場合には、全体的な諸事情の総合判断という(ぬえ的な)説示ではなく、明示的な審査を行うのがふさわしい。
続きは、個別的な考慮の方法について、非常に参考になる。
他方の利益についても配慮した当てはめの方法として、(試験的な見方によれば)非常に秀逸。
千葉勝美元最高裁判事は、別事件でも、やはり非常に参考になる補足意見を書いている。
(猿払事件大法廷判決の合憲性審査基準の評価)
つまり、千葉勝美元最高裁判事の理解としては、最高裁は、
①一定の利益を確保しようとする目的のために制限が必要とされる程度
②制限される自由の内容及び性質
③これに加えられる具体的制限の態様及び程度
等を具体的に比較衡量するという「利益較量」の判断手法を採り、その判断枠組みの中で、判断指標として、事案に応じて
「(一定の)厳格な基準ないしはその精神」
を併せ考慮しているにすぎない、ということのようだ。
続き。
まあ、そうなんでしょう。
答案でここまでする(できる)かどうかはともかく、最高裁判例の理解としてはそうなるのだと思われる。
(本件罰則規定の限定解釈の意義等)
続けて、本件罰則規定の限定解釈は合憲限定解釈ではない、という判示をしている。
文言を限定して解釈しているが、合憲限定解釈ではない、ということである。理由は以下のとおり。(若干言い訳っぽい感じがしなくもないが。。。)
⑶ 最判H23.5.30
公立高等学校の校長が教諭に対し卒業式における国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し国歌を斉唱することを命じた職務命令が憲法19条に違反しないとされた事例である。
千葉勝美裁判官の補足意見は、答案例として非常に参考になるものと思われる。
(本件職務命令に対する合憲性審査の視点について)
まず、憲法19条による直接的、絶対的な保障の対象となる範囲について説示。
次に、本件の問題の所在を指摘。「およそ制限を許さない不可侵なもの」ではないことから、「どのような場合に許されるのか」の問題になるとする。
違憲審査基準として「比較考量」の基準によるとしても、ここまで説得的に書かなければ基準を定立したことにならないよ、という例。
ここまで書けたら「超」優秀答案、といえるレベルのものでしょう。
当てはめその1。
①「制限される外部的行動の内容及び性質」について、「核となる思想信条等との関連性は強いが不可分一体とまではいえない」(「反強制的信条」という理解を踏まえても変わらない)というものと理解される。
当てはめその2。
①「当該制限的行為の態様」について、「間接的な制約」となる面があり、「反強制的信条ともそごする可能性」があるとする一方、③「制限的行為の目的・内容」について、「学校行事における慣例上の儀礼的な所作としての性質」を有し、「外部から見ても上告人の歴史観等自体を否定するような思想の表明として認識されるものではな〔い〕」とし、④「それにより得られる利益」について、「教育現場における意義等は十分認められる」として、「憲法上これを許容し得る程度の必要性、合理性」が認められるとする。
「外部から見ても上告人の歴史観等自体を否定するような思想の表明として認識されるものではなく」という判示が、内心の自由の制約との関係において、どのような意味を持つのかは、若干よく分からない。
また、②「核となる思想信条等についての間接的な制約となる面がどの程度あるのか」については、言及がないように見える。
おって、法廷意見におけるこの点についての判示は以下のとおり。
法廷意見の当てはめは、以下のとおり。
この部分は、「制限」を介して生ずる【制約】の態様等(これは、「職務命令の対象となる行為の内容及び性質並びにこれが個人の内心に及ぼす影響その他の諸事情に応じて様々である」とされている。)に関し、「職務命令の対象となる行為の内容」(起立斉唱行為)の「性質」について、以下のとおり述べるものと考えられる。
「上告人の歴史観ないし世界観との関係で否定的な評価の対象となるものに対する敬意の表明の要素を含むもの」であり、「そのような敬意の表明には応じ難いと考える上告人にとって,その歴史観ないし世界観に由来する行動(敬意の表明の拒否)と異なる外部的行為となるもの」であるが、
「一般的,客観的な見地からは式典における慣例上の儀礼的な所作とされる行為を求めるもの」にすぎず、それが「結果として上記の要素との関係においてその歴史観ないし世界観に由来する行動との相違を生じさせることとなる」という点で、「その限りで」上告人の思想及び良心の自由についての「間接的な」制約となる面があるものである。
なお、「これが個人の内心に及ぼす影響その他の諸事情」については、本件では特に述べていないといえると思われる。
続き。
以上は、千葉勝美補足意見のいう、「起立斉唱行為の教育現場における意義等は十分認められる」という点を敷衍するものといえる。
千葉勝美補足意見の方が詳しいし、答案としての評価は高い気もするけど、守りの答案という意味では、この程度でも必要十分といえそう。
4.参考意見③:共同反対意見
非嫡出子の相続分差別規定を合憲と判断した最大決H7.7.5には、違憲審査基準に言及した詳細な反対意見がある。
⑴ 多数意見
まず、多数意見の法理をみていく。
なかなか首肯しかねる判示ではあるけど、違憲審査基準の流れとしては参考にし得る。
⑵ 共同反対意見
次に、5裁判官の共同反対意見。
共同反対意見では、違憲審査基準を多数意見とは異にする。
続けて、本件規定の不合理性について、以下のとおり述べる。
立法目的の合理性を否定する書き方はあまり見ないと思われるので、この判示は非常に参考になる。
一方、立法目的と手段との実質的関連性については、極めて緩やかに認められることが多いが、この反対意見ではそこを否定している(「より強い合理性」ではなく、「単なる合理性」すら否定している)。
書き方としては、「~を重視して✕✕とするのは、・・・という憲法の趣旨に相容れない」という書き方。
⑶ その後の違憲判断
さて、上記⑴の多数意見は、繰り返し反対意見がありつつも、なかなか改められることはなかったが、ついに最大決H25.9.4で全員一致で否定される。
一応その法理をみておく。
引用判例が異なることはさて措き、ここまでは平成7年大法廷決定の多数意見と同じ。
ここで違憲審査基準が平成7年大法廷決定の多数意見と異にする。
そうすると、結局は違憲審査基準って、大事だな、という感想になる。
ただし、この大法廷決定では、平成7年大法廷決定につき、「前記2〔※上記〕と同旨の判断基準の下で,嫡出でない子の法定相続分を嫡出子のそれの2分の1と定めた本件規定につき,『民法が法律婚主義を採用している以上,法定相続分は婚姻関係にある配偶者とその子を優遇してこれを定めるが,他方,非嫡出子にも一定の法定相続分を認めてその保護を図ったものである』とし,その定めが立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えたものということはできないのであって,憲法14条1項に反するものとはいえないと判断した。」としており、平成7年大法廷決定と判断基準そのものは変わっていないとしている。
いやいや、欺瞞でしょう。。。
続き。
まあ、判断基準は同じとしつつ、結論を変えるのであれば、「事柄の変遷等」を理由とするほかないわけで、こういう判示になるよね、という。。。
必然、目的の合理性や、手段の実質的関連性について改めて吟味・検討するのではなく、「合理的な根拠の有無」という極めて雑な判断にならざるを得ない。
まあ、過去の権威ある最高裁判例をひっくり返すには、(最近は)こうするしかないよね、という好例ではある。
なお、平成7年大法廷決定の後、少なくとも、
①平成12年1月27日 最高裁判所第一小法廷 判決
②平成15年3月28日 最高裁判所第二小法廷 判決
③平成15年3月31日 最高裁判所第一小法廷 判決
④平成16年10月14日 最高裁判所第一小法廷 判決
⑤平成21年9月30日 最高裁判所第二小法廷 決定
において、繰り返し平成7年大法廷決定を引用して、「非嫡出子の相続分を嫡出子の相続分の2分の1と定めた民法900条4号ただし書前段の規定が憲法14条1項に違反するものでないことは,当裁判所の判例とするところである(最高裁平成3年(ク)第143号同7年7月5日大法廷決定・民集49巻7号1789頁)。憲法14条1項違反をいう論旨は,採用することができない。」とされてきた。
ちなみに、上記⑤の決定に参画した4人の裁判官のうち、平成25年の大法廷決定中に名前があるのは、竹内行夫裁判官一人である。上記④以前の判決・決定に参画した裁判官のうち、平成25年の大法廷決定に名前のあるものはいない(たぶん)。
つまり、(積極的にではないとはいえ)合憲性を肯定してきた裁判官が1人しかいなかったというのは、大法廷決定に少なからず影響を与えているのかもしれない。
上記平成25年の大法廷決定は、違憲という判断については全員一致であるため、違憲判断の方法については個別意見はみられない。