契約の成否について
圓道先生のご出題。(勝手にスイマセン!)
これで売買契約が成立する(かも)と考えることが許されるのは、法学部生まで。
口頭で「この土地、○円で売ってくれませんか?」「わかりました。」で売買契約が成立する(その後、購入希望者が「やはり要りません」と言っても契約は成立しているから云々)と考えるようなもの。
就活生が録音していて裁判所に訴え提起して1万円の支払を求めても、100%勝てない。
なぜか?
「不当だから」
こういうのを、「負け筋」(面接官側からすれば、「勝ち筋」)という。
結論がほぼ見えているので、どういう法律構成をしても(あるいは、しなくても)たぶん勝てるのだが、プロ中のプロであれば(というか、平均的能力を有する普通のプロであれば)法律構成を考える必要がある。
まず考えつきそうなのが、「いや、買う意思(真意)なんてないよ」という弁明。
これは、法的には、「契約の成立には、いかなる『意思』が必要なのか」という問題になる。
民法は、「意思表示」の合致により契約は成立するものとし、この「意思表示」については、「効果意思の表示」、すなわち、「権利変動(権利の発生・移転・消滅)という法律効果を発生させようという意思(=効果意思)を外部に示す行為」とされる。
問題は、「効果意思」の内容が争いになったときに、①その意思表示をした人(表意者)の内心・主観を基準に内容を確定するのがよいのか(内心的効果意思)、あるいは、②表示行為の外形・客観を基準に内容を確定するのがよいのか(表示行為から推断される効果意思)、である。なお、②については、さらに、一般人を基準にするのか、あるいは相手方を基準にするのか、というような問題もある。
本件では、面接官の内心的効果意思(真意?)は、どのように解釈されるのであろうか?
素朴に考えると、「そもそも、面接官は、果たして『このペットボトルの水』を『1万円』で買いたかったのだろうか。」という疑問が湧く。
当然否定されるであろう。
これを法的に、どう説明するかの問題である。
1つあり得るのは、「これは、相手方(就活生)に契約の申込みをさせる『誘引』にすぎない」、という発想である。
これは、ありかもしれない。
就活生がこの「誘引」に応じて契約の申し込みをし、面接官が納得すれば承諾するし、納得しなければ承諾しない。(普通は承諾しないだろう)
この発想で気になるのは、金額と目的物が決まっていて、「申込みの誘引」にすぎないなんてことがあるのだろうか、という点である。
いずれにせよ、「申込みの誘引」と「申込み」の違いをどう考えるか、という非常に難解な問題に到達する。
次に考えられるのは、「そもそも、面接官は、本当に『このペットボトルの水』を『1万円』で買いたかったのだろうか。」という点を掘り下げることである。こちらの方が、実態に沿う。
当然、面接官は、「このペットボトルの水」を「1万円」で買う(売ってもらう)などという認識は毛頭ない(はずである)。
では、「このペットボトルの水を私に1万円で売ってください」という、紛らわしいことこの上ない「表示行為(らしきもの)」は、一体どう評価すればよいのか。
ここで思い至るのは、例えば、書画として「表示行為(らしきもの)」を書いたもの(処分証書?)の評価である。
「私は○○社製の下記のペットボトルの水を1万円で買いたいぞー」と毛筆で書いて展示したら、「あ、ペットボトル持ってきました。1万円で売りますね。これで契約成立ですね。」と言われても当然に契約は成立しないのだが、それは、処分証書と認められる(記載された説)が、実質的証拠力を否定する特段の事情が存するからである(ほかにも説明はあり得る)。
これとパラレルに考えると、面接官による「表示行為(らしきもの)」は、およそ「意思表示」ではないと評価されるので、意思表示の合致を認める余地はない、ということになろう。
この第2の見解が、おそらく題意に沿うものと思われる。
すなわち、「真意」(内心的効果意思)の不存在をいう以前の問題として、そもそも「意思表示」が存在しないとみるのである。
なお、この「表示行為(らしきもの)」を信頼した第三者の保護は?とか言い出す人がいるかもしれない。
私見からすれば、そもそも「意思表示」(表示行為すら!)が存在しない以上、第三者の保護を考える余地はないと思うのだが、そもそも意思表示が存在しない以上、心裡留保を持ち出すまでもない。騙された!詐欺だ!というのであれば、不法行為でやってくれ、ということになるのだろう。