目的手段審査といえば憲法で出てくる審査基準であるが、刑法の違法性阻却についても同様の基準が用いられているのではないかというご指摘。
野村賢元最高裁調査官による「最高裁時の判例」(ジュリ2022年12月号)。
興味深いのは、違法性阻却事由についての検討。
まず、2つの判例を挙げる。
その上で、野村元最高裁調査官は、以下のとおり整理する。
憲法の目的・手段審査に通ずるものであり、当然判断のハードル(証明度的なもの)は全く異なるとはいえ、審査の着眼点や方法は同じはずである。
その上で、野村元最高裁調査官は、本件被告人の行為について、そもそも目的が正当であるとはいえないとする。
憲法で目的審査で刎ねる最高裁判例(又はそれに準ずる権威のある文献)はほとんどないので、非常に貴重な検討事例である。
野村元最高裁調査官の見解は、以下のとおり。
憲法の議論でも、現実の行政の行為や法律が人権を制約するか否かが問題となるわけであり、その限りにおいて、目的審査における目的を、「その行為(法律)を実行することによって『(現に)実現された』利益・価値」に限定することは可能そうである。(見たことはないが)
憲法の答案や準備書面で是非とも使いたいフレーズである。
憲法の答案や準備書面で是非とも使いたいフレーズである。
憲法の答案や準備書面で是非とも使いたいフレーズである。
憲法の答案や準備書面で是非とも使いたいフレーズである。
以上のとおり、憲法の答案や準備書面で使えそうなフレーズが満載である。
もちろん、憲法の答案や準備書面で書いたとして、それが評価されるかは別物である。憲法の答案については評価される可能性が高いと思うが、とりわけ準備書面に書いたとして、「畢竟独自の見解」として一蹴されるのがオチであろう。
というところで気になるのが、果たして上記見解は、検察官が主張し、弁護人が反論した上で最高裁が判断を下したものを、最高裁調査官が第三者として独自の視点で分析したにすぎないのか(その場合、畢竟独自の見解であろうと何ら問題はない)、あるいは、最高裁調査官が上記意見を付してペーパーを作成して最高裁判事による議論の俎上に挙げたのか(その場合、最高裁判事による議論に影響を与えたとすれば、問題が生ずる余地があるのではないかと思われる)、という点である。
まあ、「畢竟独自の見解」というのは、あくまで私の独自の見解であるので、そこは強い反論が想定されるところである。(問題の本質はそこではない)