最高裁の3つの判決が整合しているのか、というか、そもそも最大判S62.9.2(調査官は門口正人氏)はちゃんと理解されているのだろうか、というお話。
まず、判例変更をしてまで打ち立てた規範について。
非常に理知的である。
この判決が判示しているのは、
(1) 5号所定の事由による離婚請求がその事由につき専ら責任のある一方の当事者(以下「有責配偶者」という。)からされた場合において、当該請求が信義誠実の原則に照らして許されるものであるかどうかを判断するに当たって考慮・斟酌すべき事由
(2) 上記を前提として、有責配偶者からの請求であるとの一事をもって離婚請求が許されないとすること(=原審の判断)はできない、と判断される事例の一つ
の2点である。
そして、(2)の事例の一つとしてこの判決が判示しているのは、有名な3要件(要素)である。
まず、㋐夫婦の別居が両当事者の年齢及び同居期間との対比において相当の長期間に及んでいる場合には、「時の経過」により、もはや五号所定の事由に係る責任(①)や、(離婚に伴って不可避的に生ずる)「相手方配偶者の離婚による精神的・社会的状態等」(③前半一部)は、殊更に重視されるべきものでなく、また、「相手方配偶者が離婚により被る経済的不利益」(③前半残部)は、本来、財産分与又は慰謝料により解決されるべきものであるという。
一方で、「離婚を認めた場合における・・・夫婦間の子、殊に未成熟の子の監護・教育・福祉の状況」(③後半)については、「時の経過」により当然に斟酌する必要性が低下するものではないから、あくまで、
㋑その間に未成熟の子が存在しない場合
についての判示にとどまる。(逆にいえば、「未成熟の子が存在する場合」については、本判決の3要件の判示部分(イ)の射程外である。)
以上を前提として、「離婚を認めた場合における相手方配偶者の精神的・社会的・経済的状態」(③前半)その他の考慮・斟酌事由を踏まえ、㋒相手方配偶者が離婚により精神的・社会的・経済的に極めて苛酷な状態におかれる等離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような特段の事情の認められない限り、有責配偶者からの請求であるとの一事をもって離婚請求が許されないとすることはできないという。(逆にいえば、その他の事情を加味して離婚請求が許されないとする余地は否定していないようにも思われるが、「有責配偶者からの請求であるとの一事」以外のその他の事情として何を想定しているのかは、よく分からない。)
なお、調査官解説では、㋑未成熟子が存在する場合について、以下のとおり述べる。
あくまで私見であろうが、上記㋒と同様、「特段の事情」がある場合に、離婚を許さないと考えているようである。
上記大法廷判決のあと、同判決の基準に従って旧判例に従って「有責配偶者からの請求であるとの一事をもつて許されない」としてきた控訴審判決の変更がせっせとなされているが、その後になされたのが、この判決である。
まず、規範については、大法廷判決の(2)の部分を引用摘示する(ただし、「専ら責任のある」という判示部分につき、「主として責任のある」という記載を追加した。←重要!)。
問題は、当てはめである。
なぜ上の規範からこの当てはめが出てくるのか、ちょっとよく分からない。
いうまでもなく、上の規範は、「有責配偶者からの請求であるとの一事をもって許されないとすることはできない」という効果を生じさせる要件について判示するものであって、この要件を満たさない場合については、何ら述べていない。それは、原則に立ち返って大法廷判決の(1)の部分の問題となるはずである。
しかし、この(1)を規範として「当該請求が信義誠実の原則に照らして許されるものであるかどうか」を判断することは、あえてしていないのである。
これは、一見すると大法廷判決を無視or看過or誤読したものといわざるを得ないんじゃないかと思うんだけど、裁判官4人中3人(裁判長含む)が大法廷判決のメンバーであることからすると、そんなことは考えにくいよなぁ。。。
上告理由書によると、①まず有責配偶者性を争い、②有責配偶者であったとしても離婚請求は認められないとするようであるが、以下のとおり、大法廷判決((1)部分)を前提にしていないようである。
そうすると、有責主義自体を争い、大法廷判決を前提とすることを拒否していたと考えられそうだが、だからといって大法廷判決の判断枠組みを無視することが許されるのだろうか。。。
なお、最高裁において、原審が適法に確定した事実関係と認めたのは、要旨次の事実である。
これ、そもそも、「有責配偶者」からの離婚請求なんだろうか。。。
大法廷判決の(1)の判示を前提として、「当該請求が信義誠実の原則に照らして許されるもの」ではないといえるのだろうか。
これ、第1審は離婚請求認容、控訴審はその反動で離婚請求棄却してて、どっちも大法廷判決を引いてないのよね。。。しかも、第1審判決の判示が(今の価値判断からすると相当)やばい。。。
裁判所の事実認定でも、「性来だらしのない性格」と認定したり、「XはYの前記のような性格や生活態度をきらい、度々注意したが、Yがこれに反発するので、Yを殴ることもあり、S42頃にはXの心は全くYからはなれ、夫婦関係は形骸化した」と認定したりしており、そら(時代はあるにせよ)高裁も否定したくなるわ。。。という
こういうとき、高裁はしばしば反動で余計なことをいうんだけど、まさに本件はそうで、「Yの前記欠点のみを強調し、両名間の婚姻生活において遂に愛情と信頼が育たなかったことの原因を専らYの性格に帰せしめることは、Yに対しいささか酷」とか、「YとXとの間に円満な婚姻関係を回復させることがもはや困難であるとしても、その原因を一方的にYの責めに帰せしめることは相当でなく」とか、「そのことによってYが強く非難され、あるいはXの有責性が緩和されるべきであるとは解し得ない」いうけど、そんな問題じゃないし、第1審もそんなことは言ってない(「半」としか言ってない)わけで、問題となるのは、「専ら」又は「主として」責任が請求者にあるかなんだよなぁ。
最終的には、「むしろ破綻を決定的なものとした主たる責任はXにあるというべきである」としてるけど、なんでそうなのかが説得的に論じられているとはいえないと思う。
まあ、第1審がちょっとあり得なくて、控訴審も反動しすぎちゃって、本筋での議論がなされていないところに、上告理由でも判例がベースにされていなかったから、最高裁も大法廷判決をベースにできなかった(そもそも原審までで必要な要素が全く出ておらず、かといって差戻しをするまででもなかった)、ということなんだろうか。
仮にそうだとしても、あえて判決で棄却するようなことかなぁという気はする。しかも、明らかに規範と当てはめは対応してないわけで。。。
結論からいえば、大法廷判決の趣旨を敷衍した極めて真っ当な判決。
大法廷判決の趣旨を理解していることが窺われる。(当然だが)
結論は、「約八年の別居は、当事者の年齢、同居期間と対比して考えた場合、いまだ有責配偶者としての上告人の責任と被上告人の婚姻関係継続の希望とを考慮の外に置くに足りる相当の長期間ということはできない」として、この一事をもって有責配偶者からの離婚請求を棄却した原判決につき、「時の経過がこれらの諸事情に与える影響」についての審理不尽を認め、破棄・差戻し。
結論からいえば、未成熟子がいる場合に有責配偶者からの離婚請求を認容した初判断。(たぶん)
大法廷判決からすれば当然の話。
全く違和感のない判決。
結論からいうと、大法廷判決と整合するのか、疑問。
まず規範の確認。
ここまでくると、これ、大法廷判決の規範?って話になる気がする。
大法廷判決以来、一貫して(一応)最高裁が前提としてきた規範((2)部分)は、以下のとおり。
大法廷判決は、少なくとも上記場合には、直ちに有責配偶者からの離婚請求が否定されるものではないといっているだけ。判例変更をした部分であり、まさに判旨の部分。
で、当てはめ。
なぜこういう判断になるのか、直ちに理解しかねる部分。
「別居期間」が「相当の長期間に及んでいるとはいえない」ことは、果たして有責配偶者からの離婚請求を否定する上で、どういう意味を持つのだろうか?
これは、大法廷判決が明示しているように、
「時の経過」により、もはや五号所定の事由に係る責任(①)や、(離婚に伴って不可避的に生ずる)「相手方配偶者の離婚による精神的・社会的状態等」(③前半一部)は、殊更に重視されるべきものでな〔い〕
とはいえない、という意味合いではないのだろうか?
そうだとすると、じゃあどうなるのか。
当然、原則に戻って、
①有責配偶者の責任の態様・程度を考慮すべきであり、
②相手方配偶者の婚姻継続についての意思及び請求者に対する感情、③離婚を認めた場合における相手方配偶者の精神的・社会的・経済的状態」
を斟酌することになるんでしょうね。
この小法廷判決は、
①有責配偶者の責任の態様・程度
について、全く判断を示していない。別居期間を独立の評価根拠事実としている。なお、そのように解する理由の判示はない。
次に、未成熟子がいたらどうなるのか?
当然、原則に戻って、
③離婚を認めた場合における・・・夫婦間の子、殊に未成熟の子の監護・教育・福祉の状況、
を斟酌することになるんでしょうね。
この小否定判決は、
③離婚を認めた場合における・・・夫婦間の子、殊に未成熟の子の監護・教育・福祉の状況、
について、全く判断を示していない。未成熟子がいることを独立の評価根拠事実としている。なお、そのように解する理由の判示はない。
最後に、
③相手方配偶者が離婚により精神的・経済的に極めて苛酷な状況に置かれる等離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような事情が存するか否か
という要件(要素)について、
「上告人は,被上告人と一緒に暮らしたいとは思っていないが,子宮内膜症にり患しており,就職して収入を得ることが困難であり,将来に経済的な不安があることや子供のためにも,離婚はしたくないと考えている。」
という事実をもって、
④上告人は,子宮内膜症にり患しているため就職して収入を得ることが困難であり,離婚により精神的・経済的に苛酷な状況に置かれることが想定されること
を評価している。
「極めて過酷」「著しく社会正義に反する」(規範)とまではいえないけど、「過酷」な状況に置かれることが「想定される」(当てはめ)としたのだろうか。規範と当てはめが一致してないけど。。。
まあ、大法廷判決が、必ずしも「離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような事情」を要求しているかというと、そうではない気もする(つまり、規範が間違ってる)気もするけど。
いずれにせよ、「一緒に暮らしたいとは思ってない」のに、法律審において、「離婚により精神的に過酷な状況に置かれる」と判断した根拠は気になるところ。
原審も、「被控訴人(上告人)が,婚姻関係破綻や離婚に伴い精神的苦痛を被り,離婚によって経済的不利益を強いられることは認められるけれども,その補償は別途解決されるべきものであり」と判示しているだけで、「精神的に過酷な状況に置かれる」とは言ってないんだよなぁ。この程度は事実と証拠に基づかずに経験則だけで認定できるのだろうか。。。
なお、原判決は離婚請求を認めているわけだけど、ちゃんと大法廷判決の規範を前提に判断してるんだよなぁ。
なお、上告受理申立て理由書は、大法廷判決(1)、(2)の規範を引用した上で、「本件は、申立人及び相手方の年齢は33歳、同居期間は6年7ヶ月であるのに対し、別居期間は2年4ヶ月しかなく、しかも、7歳の未成熟子がいる事案であり、「夫婦の別居が両当事者の年齢及び同居期間との対比において相当の長期に及び、その間に未成熟子がいない場合」という前記昭和62年最判の示した基準によると、有責配偶者からの離婚請求は認められないことが明らかである。」としている。
規範自体を争ってる(総合考慮説じゃなくて3要件説だ!という主張はない)わけではないんだけど、結果的には3要件説を採用させたわけで、この書き方が奏功したということなんだろうか。。。
(1) 石川博康・学習院大学法学部助教授(NBL799-5)
上記判決についての評釈。最高裁に賛成。原判決批判。
そうなのかなぁ。。。
ワイの読み方がおかしいのかなぁ。。。
個別の当てはめの当否を論ずるのはありとして、最高裁が3要件判断に立っているというのは、どう読んだらそうなるのか全く理解できないんだけど、法律家名乗るの(名乗ってないけど)止めた方がいいかなぁ。。。
いつの間にか3要件(3要素)説が通説・判例になってんのかなぁ。。。
本当によく分からん。
原審の広島高裁の裁判官たち(裁判長裁判官下司正明、裁判官能勢顯男、裁判官 齋藤憲次)が一番最高裁に怒ってそうだけど、まあ最高裁が採用した以上、これに従うことになるんだろうか。よく分からん。
そもそもこの事案、有責配偶者性の認定が極めてアヤシイんだよなぁ。(有責の程度が低いと3要件説に流れがちなのかなぁ。)
・控訴人は平成11年7月から1年間研修のため和光市において単身で生活し,Bはそのときの同期研修生であったこと,
・控訴人は,平成12年7月1日,倉敷でBと会い,飲食を共にするなどして遊興したこと
・平成12年10月初めころ,控訴人は,突然,被控訴人に対し,「好きな人がいる。その人が大事だ。」,「2馬力で楽しい人生が送れる。」,「女の人を待たせている。」と言って,離婚を申し入れた。そして,被控訴人からその関係を執拗に問い質されるや,控訴人は,「ホテルにもよく行く。背の高い女性なのでセックスが大変だ。」などと言ったこと
を総合考慮して、「控訴人は,遅くとも平成12年7月ころから,Bと性的交渉を持った親密な仲であった」事実を推認し、「これが婚姻関係破綻の原因となったこと」を認め、この破綻について控訴人には主な責任があると評価してるんだけど、こんな薄い事実と証拠で「性的交渉を持った親密な仲」って認定できるのかぁ。。。
なんか浮気自体というより、浮気の匂わせがあって怒り狂った配偶者が~して、ってのが婚姻関係破綻の原因のような気がするんだけど、これで「専ら又は主として」責任があるといえるのかなぁ。。。しかも、最高裁は「専ら」か「主として」かという判断すらしてないんだよなぁ。「専ら」でも「主として」でも何ら変わらない、という前提なのかなぁ。
【2022/12/6 22:56追記】
判断自体は全く目新しくないが、苛酷条項の適用について、原審判示の事情は当該事由には当たらないと判示している。
【2022/12/7 9:20追記】
※最判H16.11.18の理解について
どうやら最判H16.11.18を読み誤っていたようだ。
最判H16.11.18は、まず、大きな規範として、以下の規範を立てている。
すなわち、主張構造としては、以下の構造になるものと思われる。
で、何を「総合的に考慮」するかというと、以下のとおり。
なので、最判H16.11.18は、そもそも「3要件」説ではないし、「3要素」説かというと、それも正しくない。あくまで「(等の)諸点」の例示として「3要素」を挙げているにすぎない。
とはいえ、最判H16.11.18は、当てはめで、
①別居期間が「相当の長期間に及んでいる」とはいえないこと
③未成熟の子が存在すること
④相手方配偶者が離婚により精神的・経済的に苛酷な状況に置かれることが想定されること
の3点を総合的に考慮して、原告の離婚請求を信義誠実の原則に反するものと判断しており、最大判S62.9.2が挙げ、原審も考慮要素とした(と思われる)、
・原告の責任の態様・程度
・相手方配偶者の婚姻継続についての意思及び原告に対する感情
についてはあえて考慮していないので、「3要素」を極めて重大なものと位置付けている反面、原審が挙げたその余の事情は重視すべきではない(無視すべきである)と判断したことは明らかだと思われる。
まあ、実質的に大法廷判決を一部修正しているものとは思うし、その修正の当否は当然問われるべきだと思うけど、一応なんとなく理解はできた。そもそも大法廷判決の理解としては、石川氏の理解は誤ってると思うし、こういう雑な理解が実質的な修正のベースになってる可能性は全く否定できないと思うし、全く賛同はしないけど。