有責配偶者からの離婚請求(信義則違反)

最高裁の3つの判決が整合しているのか、というか、そもそも最大判S62.9.2(調査官は門口正人氏)はちゃんと理解されているのだろうか、というお話。

1.最大判S62.9.2

まず、判例変更をしてまで打ち立てた規範について。

 5号所定の事由による離婚請求がその事由につき専ら責任のある一方の当事者(以下「有責配偶者」という。)からされた場合において、当該請求が信義誠実の原則に照らして許されるものであるかどうかを判断するに当たつては、①有責配偶者の責任の態様・程度を考慮すべきであるが、
相手方配偶者の婚姻継続についての意思及び請求者に対する感情、③離婚を認めた場合における相手方配偶者の精神的・社会的・経済的状態及び夫婦間の子、殊に未成熟の子の監護・教育・福祉の状況、④別居後に形成された生活関係、たとえば夫婦の一方又は双方が既に内縁関係を形成している場合にはその相手方や子らの状況等が斟酌されなければならず、
更には、時の経過とともに、これらの諸事情がそれ自体あるいは相互に影響し合つて変容し、また、これらの諸事情のもつ社会的意味ないしは社会的評価も変化することを免れないから、時の経過がこれらの諸事情に与える影響も考慮されなければならないのである。
そうであつてみれば、有責配偶者からされた離婚請求であつても、
㋐夫婦の別居が両当事者の年齢及び同居期間との対比において相当の長期間に及び、
㋑その間に未成熟の子が存在しない場合には、
㋒相手方配偶者が離婚により精神的・社会的・経済的に極めて苛酷な状態におかれる等離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような特段の事情の認められない限り、
当該請求は、有責配偶者からの請求であるとの一事をもつて許されないとすることはできないものと解するのが相当である。
けだし、右のような場合には、もはや五号所定の事由に係る責任(①)、相手方配偶者の離婚による精神的・社会的状態等(③)は殊更に重視されるべきものでなく、また、相手方配偶者が離婚により被る経済的不利益(③)は、本来、離婚と同時又は離婚後において請求することが認められている財産分与又は慰藉料により解決されるべきものであるからである。

非常に理知的である。

この判決が判示しているのは、
(1) 5号所定の事由による離婚請求がその事由につき専ら責任のある一方の当事者(以下「有責配偶者」という。)からされた場合において、当該請求が信義誠実の原則に照らして許されるものであるかどうかを判断するに当たって考慮・斟酌すべき事由
(2) 上記を前提として、有責配偶者からの請求であるとの一事をもって離婚請求が許されないとすること(=原審の判断)はできない、と判断される事例の一つ
の2点である。


そして、(2)の事例の一つとしてこの判決が判示しているのは、有名な3要件(要素)である。

まず、㋐夫婦の別居が両当事者の年齢及び同居期間との対比において相当の長期間に及んでいる場合には、「時の経過」により、もはや五号所定の事由に係る責任(①)や、(離婚に伴って不可避的に生ずる)「相手方配偶者の離婚による精神的・社会的状態等」(③前半一部)は、殊更に重視されるべきものでなく、また、「相手方配偶者が離婚により被る経済的不利益」(③前半残部)は、本来、財産分与又は慰謝料により解決されるべきものであるという。

一方で、「離婚を認めた場合における・・・夫婦間の子、殊に未成熟の子の監護・教育・福祉の状況」(③後半)については、「時の経過」により当然に斟酌する必要性が低下するものではないから、あくまで、
その間に未成熟の子が存在しない場合
についての判示にとどまる。(逆にいえば、「未成熟の子が存在する場合」については、本判決の3要件の判示部分(イ)の射程外である。)

以上を前提として、「離婚を認めた場合における相手方配偶者の精神的・社会的・経済的状態」(③前半)その他の考慮・斟酌事由を踏まえ、㋒相手方配偶者が離婚により精神的・社会的・経済的に極めて苛酷な状態におかれる等離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような特段の事情の認められない限り、有責配偶者からの請求であるとの一事をもって離婚請求が許されないとすることはできないという。(逆にいえば、その他の事情を加味して離婚請求が許されないとする余地は否定していないようにも思われるが、「有責配偶者からの請求であるとの一事」以外のその他の事情として何を想定しているのかは、よく分からない。)


なお、調査官解説では、㋑未成熟子が存在する場合について、以下のとおり述べる。

未成熟子が存在する場合に原則的破綻主義を放棄したものではないことはいうまでもない。したがって、未成熟子が存在する場合については、おそらく、離婚によって子の仮定的・教育的・精神的・経済的状況が根本的に悪くなり、その結果、子の福祉が害されることになるような「特段の事情」のあるときには、離婚をすることは許されないということになるのであろう。

あくまで私見であろうが、上記㋒と同様、「特段の事情」がある場合に、離婚を許さないと考えているようである。


2.最判H1.3.28

上記大法廷判決のあと、同判決の基準に従って旧判例に従って「有責配偶者からの請求であるとの一事をもつて許されない」としてきた控訴審判決の変更がせっせとなされているが、その後になされたのが、この判決である。

まず、規範については、大法廷判決の(2)の部分を引用摘示する(ただし、「専ら責任のある」という判示部分につき、「主として責任のある」という記載を追加した。←重要!)。

 民法七七〇条一項五号所定の事由による離婚請求がその事由につき専ら又は主として責任のある一方の当事者(以下「有責配偶者」という。)からされた場合であつても、
㋐夫婦の別居が両当事者の年齢及び同居期間との対比において相当の長期間に及び、
㋑その間に未成熟の子が存在しない場合には、
㋒相手方配偶者が離婚により精神的・社会的・経済的に極めて苛酷な状態におかれる等離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような特段の事情が認められない限り、
当該請求は、有責配偶者からの請求であるとの一事をもつて許されないとすることはできないというべきである(最高裁昭和六一年(オ)第二六〇号同六二年九月二日大法廷判決・民集四一巻六号一四二三頁)。

問題は、当てはめである。

 前記事実関係のもとにおいては、上告人と被上告人との婚姻については同号所定の事由があり、上告人は有責配偶者というべきであるが、上告人と被上告人との別居期間は、原審の口頭弁論終結時(昭和六一年八月一八日)まで八年余であり、双方の年齢や同居期間を考慮すると、別居期間が相当の長期間に及んでいるものということはできず、その他本件離婚請求を認容すべき特段の事情も見当たらないから、本訴請求は、有責配偶者からの請求として、これを棄却すべきものである。

なぜ上の規範からこの当てはめが出てくるのか、ちょっとよく分からない。

いうまでもなく、上の規範は、「有責配偶者からの請求であるとの一事をもって許されないとすることはできない」という効果を生じさせる要件について判示するものであって、この要件を満たさない場合については、何ら述べていない。それは、原則に立ち返って大法廷判決の(1)の部分の問題となるはずである。

しかし、この(1)を規範として「当該請求が信義誠実の原則に照らして許されるものであるかどうか」を判断することは、あえてしていないのである。

これは、一見すると大法廷判決を無視or看過or誤読したものといわざるを得ないんじゃないかと思うんだけど、裁判官4人中3人(裁判長含む)が大法廷判決のメンバーであることからすると、そんなことは考えにくいよなぁ。。。


上告理由書によると、①まず有責配偶者性を争い、②有責配偶者であったとしても離婚請求は認められないとするようであるが、以下のとおり、大法廷判決((1)部分)を前提にしていないようである。

 民法七七〇条は離婚について破綻主義をとっている。特に同条第一項第五号は婚姻を継続し難い重大な事由があるときを広く離婚原因として認め、そこにはスイス民法や西ドイツ婚姻法のごとき有責配偶者による離婚請求の排除の規定を設けていない。婚姻は憲法二四条が規定するように男女の性の結合を基礎とする継続的関係であるから夫婦の相互的な愛情こそが婚姻にとって唯一の倫理的な基礎である。愛情を失った夫婦に婚姻生活を強制し、法律で離婚を禁じても婚姻の破綻する事実を否定することはできないし、破綻してしまった婚姻の建直しは法律の力ではなし得ず、法による強制は実態のない夫婦生活、形骸化した婚姻の名のみを残すこととなる。さらに、有責配偶者からの離婚請求を拒否すれば、一人の男に二人の女がつくという事態を招く。これはまさに一夫一婦制の理想に反する結果といえる。事実、婚姻関係の破綻的事実は、事実先行の身分法において当然評価がなされて然るべきである。身分法関係の発生及び消滅に際して身分的事実のまえに法規がきわめて無力であり、法規のみとめたくない事実でもこれをいつか認めざるを得なくなるのは身分法における特色である。そうであるならば、婚姻関係に客観的な破綻があるという事実は、身分法における事実先行の性格から当然に法的評価の対象となり得てしかるべきであり、その結果事実を権利にまで引き上げることができることになる。このように身分法においては権利の濫用の法理、信義誠実の原則が後退することを認めざるをえないのである。
 さらに、有責主義には技術的な問題もある、すなわち、夫婦生活の核心はいうまでもなく情緒的な結合であり、その展開には無数の変数が作用している。これらの変数を解明し、そのなかから真の破綻原因を発見するという作業は、法定手続というあらあらしい道具によっては到底これをよくなしえないといわなければならない。本件において、同じ証拠をもとにしながら一審と原審で全く反対の事実認定がなされたのは破綻原因を探ることの困難さがうかがわれる。のみならず、どちちが有責かを探るためには離婚手続を長期化させて、夫婦間の紛争を激化させ、それに子を巻き込むことになるが、それは避けるべきであって、国家は、子の利益のためにも円満な家族の再編成を援助しなければならない。
 上告人と被上告人の別居は昭和五三年からであるが、このように九年近くの別居状態があれば、いずれの当事者が破綻原因を与えたかにとらわれずに離婚を許すべきであり、上告人が有責配偶者であろうがなかろうが、離婚請求を認めねばならないのが同法の法意である。

そうすると、有責主義自体を争い、大法廷判決を前提とすることを拒否していたと考えられそうだが、だからといって大法廷判決の判断枠組みを無視することが許されるのだろうか。。。


なお、最高裁において、原審が適法に確定した事実関係と認めたのは、要旨次の事実である。

 (1)  X(T15.5生)とY(S3.1生)は、
・S27、8年ころから同棲
・S30.4.5婚姻届出
・4人の子あり(いずれも成人)
  (2)  XがS40頃小田原市役所に採用されたため、一家はS41頃東京都内から同市に転居して、借家で居住するに至つた。
もっとも、Xは、かねてYの家事の処理が不潔であり、経済観念に乏しく無駄な買い物が多く、それらを忠告しても改めようとしないことを厭わしく思い、S44頃、表向きは右借家が手狭であることを理由に、内心はYとの共同生活からの逃避を兼ねて、付近にアパートの一室を借り、同所で寝泊まりをするようになり、その頃から両者間の性交渉が途絶えた。
 (3)  しかし、Xは、S49年頃、勤務先の部下であつた女性とその夫が居宅を新築したことから、同人ら所有の旧居宅を借り受け、妻子とともに同所に転居し、Yとの共同生活に復帰した。
もつとも、Xは、間もなく庭にプレハブの小屋を建て、自分はそこで寝泊まりをするようになつた。
 (4)  上記女性はS51に夫と離婚したが、その後同女とXは性関係を結ぶようになつた。そして、S53には、Xは、同女への接近とYからの逃避を兼ねて、前記新築の同女方の一間を賃借し、同所で生活するようになつたが、S56以降Xと同女との関係が深まり、同棲関係と見うる状態になつた。

これ、そもそも、「有責配偶者」からの離婚請求なんだろうか。。。

大法廷判決の(1)の判示を前提として、「当該請求が信義誠実の原則に照らして許されるもの」ではないといえるのだろうか。


これ、第1審は離婚請求認容、控訴審はその反動で離婚請求棄却してて、どっちも大法廷判決を引いてないのよね。。。しかも、第1審判決の判示が(今の価値判断からすると相当)やばい。。。

 X、Yの婚姻関係はS57.2頃には完全に破綻し、回復の余地がない状態になったものと認められるところ、その原因の半はXと勤務先の部下であった女性(以下「A」)との不貞関係にあるとしても、その半はYの性格(だらしのない性格、浪費癖)とパートタイマーの仕事にかまけて主婦として最も重要な仕事である掃除、洗濯、食事の仕度に手を抜き、夫であるXに対し清潔で健康な生活環境を提供せず、その愛情を失わさせその上夫の不貞をなじりながら、自ら○○某と性的交渉をもったことにあるから、Xの本件離婚請求を有責配偶者の離婚請求としていちがいに排斥することはできない。

裁判所の事実認定でも、「性来だらしのない性格」と認定したり、「XはYの前記のような性格や生活態度をきらい、度々注意したが、Yがこれに反発するので、Yを殴ることもあり、S42頃にはXの心は全くYからはなれ、夫婦関係は形骸化した」と認定したりしており、そら(時代はあるにせよ)高裁も否定したくなるわ。。。という


こういうとき、高裁はしばしば反動で余計なことをいうんだけど、まさに本件はそうで、「Yの前記欠点のみを強調し、両名間の婚姻生活において遂に愛情と信頼が育たなかったことの原因を専らYの性格に帰せしめることは、Yに対しいささか酷」とか、「YとXとの間に円満な婚姻関係を回復させることがもはや困難であるとしても、その原因を一方的にYの責めに帰せしめることは相当でなく」とか、「そのことによってYが強く非難され、あるいはXの有責性が緩和されるべきであるとは解し得ない」いうけど、そんな問題じゃないし、第1審もそんなことは言ってない(「半」としか言ってない)わけで、問題となるのは、「専ら」又は「主として」責任が請求者にあるかなんだよなぁ。

最終的には、「むしろ破綻を決定的なものとした主たる責任はXにあるというべきである」としてるけど、なんでそうなのかが説得的に論じられているとはいえないと思う。


まあ、第1審がちょっとあり得なくて、控訴審も反動しすぎちゃって、本筋での議論がなされていないところに、上告理由でも判例がベースにされていなかったから、最高裁も大法廷判決をベースにできなかった(そもそも原審までで必要な要素が全く出ておらず、かといって差戻しをするまででもなかった)、ということなんだろうか。

仮にそうだとしても、あえて判決で棄却するようなことかなぁという気はする。しかも、明らかに規範と当てはめは対応してないわけで。。。

3.最判H2.11.8

結論からいえば、大法廷判決の趣旨を敷衍した極めて真っ当な判決。

 有責配偶者からの民法七七〇条一項五号所定の事由による離婚請求の許否を判断する場合には、夫婦の別居が両当事者の年齢及び同居期間との対比において相当の長期間に及んだかどうかをも斟酌すべきものであるが、その趣旨は、別居後の時の経過とともに、当事者双方についての諸事情が変容し、これらのもつ社会的意味ないし社会的評価も変化することを免れないことから、右離婚請求が信義誠実の原則に照らして許されるものであるかどうかを判断するに当たっては、時の経過がこれらの諸事情に与える影響も考慮すべきであるとすることにある(最高裁昭和六一年(オ)第二六〇号同六二年九月二日大法廷判決・民集四一巻六号一四二三頁参照)。
したがって、別居期間が相当の長期間に及んだかどうかを判断するに当たっては、別居期間と両当事者の年齢及び同居期間とを数量的に対比するのみでは足りず、右の点をも考慮に入れるべきものであると解するのが相当である。

大法廷判決の趣旨を理解していることが窺われる。(当然だが)

 ところで、前記事実関係によれば、上告人と被上告人との別居期間は約八年ではあるが、
上告人は、別居後においても被上告人及び子らに対する生活費の負担をし、別居後間もなく不貞の相手方との関係を解消し、更に、離婚を請求するについては、被上告人に対して財産関係の清算についての具体的で相応の誠意があると認められる提案をしており、他方、
被上告人は、上告人との婚姻関係の継続を希望しているとしながら、別居から五年余を経たころに上告人名義の不動産に処分禁止の仮処分を執行するに至っており、また、
成年に達した子らも離婚については婚姻当事者たる被上告人の意思に任せる意向であるというのである。
そうすると、本件においては、他に格別の事情の認められない限り、別居期間の経過に伴い、当事者双方についての諸事情が変容し、これらのもつ社会的意味ないし社会的評価も変化したことが窺われるのである(当審判例(最高裁昭和六二年(オ)第八三九号平成元年三月二八日第三小法廷判決・裁判集民事一五六号四一七頁)は事案を異にし、本件に適切でない。)。

結論は、「約八年の別居は、当事者の年齢、同居期間と対比して考えた場合、いまだ有責配偶者としての上告人の責任と被上告人の婚姻関係継続の希望とを考慮の外に置くに足りる相当の長期間ということはできない」として、この一事をもって有責配偶者からの離婚請求を棄却した原判決につき、「時の経過がこれらの諸事情に与える影響」についての審理不尽を認め、破棄・差戻し。

4.最判H6.2.8

結論からいえば、未成熟子がいる場合に有責配偶者からの離婚請求を認容した初判断。(たぶん)

 民法七七〇条一項五号所定の事由による離婚請求がその事由につき専ら又は主として責任のある一方の当事者(以下「有責配偶者」という。)からされた場合において、右請求が信義誠実の原則に照らしてもなお容認されるかどうかを判断するには、①有責配偶者の責任の態様・程度、②相手方配偶者の婚姻継続についての意思及び請求者に対する感情、③離婚を認めた場合における相手方配偶者の精神的・社会的・経済的状態及び夫婦間の子、殊に未成熟の子の監護・教育・福祉の状況、④別居後に形成された生活関係、たとえば夫婦の一方又は双方が既に内縁関係を形成している場合にはその相手方や子らの状況等がしんしゃくされなければならず、更には、時の経過がこれらの諸事情に与える影響も考慮されなければならないものというべきである(最高裁昭和六一年(オ)第二六〇号同六二年九月二日大法廷判決・民集四一巻六号一四二三頁参照)。
したがって、有責配偶者からされた離婚請求で、その間に未成熟の子がいる場合でも、ただその一事をもって右請求を排斥すべきものではなく、前記の事情を総合的に考慮して右請求が信義誠実の原則に反するとはいえないときには、右請求を認容することができると解するのが相当である。

大法廷判決からすれば当然の話。

 これを本件についてみるのに、前記事実関係の下においては、上告人と被上告人との婚姻関係は既に全く破綻しており民法七七〇条一項五号所定の事由があるといわざるを得ず、かつ、また被上告人が有責配偶者であることは明らかであるが、
・上告人が被上告人と別居してから原審の口頭弁論終結時(平成五年一月二〇日)には既に一三年一一月余が経過し、双方の年齢や同居期間を考慮すると相当の長期間に及んでおり、
・被上告人の新たな生活関係の形成及び上告人の現在の行動等からは、もはや婚姻関係の回復を期待することは困難であるといわざるを得ず、
それらのことからすると、婚姻関係を破綻せしめるに至った被上告人の責任及びこれによって上告人が被った前記婚姻後の諸事情を考慮しても、なお、今日においては、もはや、上告人の婚姻継続の意思及び離婚による上告人の精神的・社会的状態を殊更に重視して、被上告人の離婚請求を排斥するのは相当でない。
 上告人が今日までに受けた精神的苦痛、子らの養育に尽くした労力と負担、今後離婚により被る精神的苦痛及び経済的不利益の大きいことは想像に難くないが、これらの補償は別途解決されるべきものであって、それがゆえに、本件離婚請求を容認し得ないものということはできない。
 そして、現在では、上告人と被上告人間の四人の子のうち三人は成人して独立しており、残る三男Gは親の扶養を受ける高校二年生であって未成熟の子というべきであるが、同人は三歳の幼少時から一貫して上告人の監護の下で育てられてまもなく高校を卒業する年齢に達しており、被上告人は上告人に毎月一五万円の送金をしてきた実績に照らしてGの養育にも無関心であったものではなく、被上告人の上告人に対する離婚に伴う経済的給付もその実現を期待できるものとみられることからすると、未成熟子であるGの存在が本件請求の妨げになるということもできない。

全く違和感のない判決。

5.最判H16.11.18

結論からいうと、大法廷判決と整合するのか、疑問。

まず規範の確認。

 民法770条1項5号所定の事由による離婚請求がその事由につき専ら又は主として責任のある一方の当事者(以下「有責配偶者」という。)からされた場合において,当該請求が信義誠実の原則に照らして許されるものであるかどうかを判断するに当たっては,有責配偶者の責任の態様・程度,相手方配偶者の婚姻継続についての意思及び請求者に対する感情,離婚を認めた場合における相手方配偶者の精神的・経済的状態,夫婦間の子,殊に未成熟の子の監護・教育・福祉の状況,別居後に形成された生活関係等が考慮されなければならず,更には,時の経過とともに,これらの諸事情がそれ自体あるいは相互に影響し合って変容し,また,これらの諸事情の持つ社会的意味ないしは社会的評価も変化することを免れないから,時の経過がこれらの諸事情に与える影響も考慮されなければならないものというべきである。
 そうだとすると,有責配偶者からされた離婚請求については,
①夫婦の別居が両当事者の年齢及び同居期間との対比において相当の長期間に及んでいるか否か,
②その間に未成熟の子が存在するか否か,
③相手方配偶者が離婚により精神的・経済的に極めて苛酷な状況に置かれる等離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような事情が存するか否か
等の諸点を総合的に考慮して,当該請求が信義誠実の原則に反するといえないときには,当該請求を認容することができると解するのが相当である(最高裁昭和61年(オ)第260号同62年9月2日大法廷判決・民集41巻6号1423頁参照)。

ここまでくると、これ、大法廷判決の規範?って話になる気がする。

大法廷判決以来、一貫して(一応)最高裁が前提としてきた規範((2)部分)は、以下のとおり。

有責配偶者からされた離婚請求であつても、
㋐夫婦の別居が両当事者の年齢及び同居期間との対比において相当の長期間に及び、
㋑その間に未成熟の子が存在しない場合には、
㋒相手方配偶者が離婚により精神的・社会的・経済的に極めて苛酷な状態におかれる等離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような特段の事情の認められない限り、
当該請求は、有責配偶者からの請求であるとの一事をもつて許されないとすることはできないものと解するのが相当である。

大法廷判決は、少なくとも上記場合には、直ちに有責配偶者からの離婚請求が否定されるものではないといっているだけ。判例変更をした部分であり、まさに判旨の部分。

で、当てはめ。

①上告人と被上告人との婚姻については民法770条1項5号所定の事由があり,被上告人は有責配偶者であること,
②上告人と被上告人との別居期間は,原審の口頭弁論終結時(平成15年10月1日)に至るまで約2年4か月であり,双方の年齢や同居期間(約6年7か月)との対比において相当の長期間に及んでいるとはいえないこと,
③上告人と被上告人との間には,その監護,教育及び福祉の面での配慮を要する7歳(原審の口頭弁論終結時)の長男(未成熟の子)が存在すること,
④上告人は,子宮内膜症にり患しているため就職して収入を得ることが困難であり,離婚により精神的・経済的に苛酷な状況に置かれることが想定されること
等が明らかである。
 以上の諸点を総合的に考慮すると,被上告人の本件離婚請求は,信義誠実の原則に反するものといわざるを得ず,これを棄却すべきものである。

なぜこういう判断になるのか、直ちに理解しかねる部分。

「別居期間」が「相当の長期間に及んでいるとはいえない」ことは、果たして有責配偶者からの離婚請求を否定する上で、どういう意味を持つのだろうか?

これは、大法廷判決が明示しているように、
「時の経過」により、もはや五号所定の事由に係る責任(①)や、(離婚に伴って不可避的に生ずる)「相手方配偶者の離婚による精神的・社会的状態等」(③前半一部)は、殊更に重視されるべきものでな〔い〕
とはいえない、という意味合いではないのだろうか?

そうだとすると、じゃあどうなるのか。

当然、原則に戻って、
有責配偶者の責任の態様・程度を考慮すべきであり、
相手方配偶者の婚姻継続についての意思及び請求者に対する感情、③離婚を認めた場合における相手方配偶者の精神的・社会的・経済的状態
を斟酌することになるんでしょうね。

この小法廷判決は、
有責配偶者の責任の態様・程度
について、全く判断を示していない。別居期間を独立の評価根拠事実としている。なお、そのように解する理由の判示はない。


次に、未成熟子がいたらどうなるのか?

当然、原則に戻って、
離婚を認めた場合における・・・夫婦間の子、殊に未成熟の子の監護・教育・福祉の状況
を斟酌することになるんでしょうね。

この小否定判決は、
離婚を認めた場合における・・・夫婦間の子、殊に未成熟の子の監護・教育・福祉の状況
について、全く判断を示していない。未成熟子がいることを独立の評価根拠事実としている。なお、そのように解する理由の判示はない。


最後に、
③相手方配偶者が離婚により精神的・経済的に極めて苛酷な状況に置かれる等離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような事情が存するか否か
という要件(要素)について、
「上告人は,被上告人と一緒に暮らしたいとは思っていないが,子宮内膜症にり患しており,就職して収入を得ることが困難であり,将来に経済的な不安があることや子供のためにも,離婚はしたくないと考えている。」
という事実をもって、
④上告人は,子宮内膜症にり患しているため就職して収入を得ることが困難であり,離婚により精神的・経済的に苛酷な状況に置かれることが想定されること
を評価している。

「極めて過酷」「著しく社会正義に反する」(規範)とまではいえないけど、「過酷」な状況に置かれることが「想定される」(当てはめ)としたのだろうか。規範と当てはめが一致してないけど。。。
まあ、大法廷判決が、必ずしも「離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような事情」を要求しているかというと、そうではない気もする(つまり、規範が間違ってる)気もするけど。

いずれにせよ、「一緒に暮らしたいとは思ってない」のに、法律審において、「離婚により精神的に過酷な状況に置かれる」と判断した根拠は気になるところ。
原審も、「被控訴人(上告人)が,婚姻関係破綻や離婚に伴い精神的苦痛を被り離婚によって経済的不利益を強いられることは認められるけれども,その補償は別途解決されるべきものであり」と判示しているだけで、「精神的に過酷な状況に置かれる」とは言ってないんだよなぁ。この程度は事実と証拠に基づかずに経験則だけで認定できるのだろうか。。。


なお、原判決は離婚請求を認めているわけだけど、ちゃんと大法廷判決の規範を前提に判断してるんだよなぁ。


なお、上告受理申立て理由書は、大法廷判決(1)、(2)の規範を引用した上で、「本件は、申立人及び相手方の年齢は33歳、同居期間は6年7ヶ月であるのに対し、別居期間は2年4ヶ月しかなく、しかも、7歳の未成熟子がいる事案であり、「夫婦の別居が両当事者の年齢及び同居期間との対比において相当の長期に及び、その間に未成熟子がいない場合」という前記昭和62年最判の示した基準によると、有責配偶者からの離婚請求は認められないことが明らかである。」としている。

規範自体を争ってる(総合考慮説じゃなくて3要件説だ!という主張はない)わけではないんだけど、結果的には3要件説を採用させたわけで、この書き方が奏功したということなんだろうか。。。

(1) 石川博康・学習院大学法学部助教授(NBL799-5)

上記判決についての評釈。最高裁に賛成。原判決批判。

昭和62年最判において、有責配偶者からの離婚請求が信義則上容認されるか否かの判断基準として示されたのが、(1)相当の長期間に及ぶ別居の有無、(2)未成熟子の存否、(3)相手方配偶者における離婚後の精神的・経済的過
酷状況の有無という3要件である。

そうなのかなぁ。。。

原審判決が回避した3要件の枠組に立ち返りつつ離婚請求を否定する①判決は、まさにこの有責配偶者からの離婚請求の問題における婚姻関係の存続保護の要請を再認識させるものであると言えよう。

ワイの読み方がおかしいのかなぁ。。。

個別の当てはめの当否を論ずるのはありとして、最高裁が3要件判断に立っているというのは、どう読んだらそうなるのか全く理解できないんだけど、法律家名乗るの(名乗ってないけど)止めた方がいいかなぁ。。。


いつの間にか3要件(3要素)説が通説・判例になってんのかなぁ。。。

本当によく分からん。


原審の広島高裁の裁判官たち(裁判長裁判官下司正明、裁判官能勢顯男、裁判官 齋藤憲次)が一番最高裁に怒ってそうだけど、まあ最高裁が採用した以上、これに従うことになるんだろうか。よく分からん。


そもそもこの事案、有責配偶者性の認定が極めてアヤシイんだよなぁ。(有責の程度が低いと3要件説に流れがちなのかなぁ。)

・控訴人は平成11年7月から1年間研修のため和光市において単身で生活し,Bはそのときの同期研修生であったこと,
・控訴人は,平成12年7月1日,倉敷でBと会い,飲食を共にするなどして遊興したこと
・平成12年10月初めころ,控訴人は,突然,被控訴人に対し,「好きな人がいる。その人が大事だ。」,「2馬力で楽しい人生が送れる。」,「女の人を待たせている。」と言って,離婚を申し入れた。そして,被控訴人からその関係を執拗に問い質されるや,控訴人は,「ホテルにもよく行く。背の高い女性なのでセックスが大変だ。」などと言ったこと
を総合考慮して、「控訴人は,遅くとも平成12年7月ころから,Bと性的交渉を持った親密な仲であった」事実を推認し、「これが婚姻関係破綻の原因となったこと」を認め、この破綻について控訴人には主な責任があると評価してるんだけど、こんな薄い事実と証拠で「性的交渉を持った親密な仲」って認定できるのかぁ。。。

なんか浮気自体というより、浮気の匂わせがあって怒り狂った配偶者が~して、ってのが婚姻関係破綻の原因のような気がするんだけど、これで「専ら又は主として」責任があるといえるのかなぁ。。。しかも、最高裁は「専ら」か「主として」かという判断すらしてないんだよなぁ。「専ら」でも「主として」でも何ら変わらない、という前提なのかなぁ。



【2022/12/6 22:56追記】

6.最判H1.9.7

判断自体は全く目新しくないが、苛酷条項の適用について、原審判示の事情は当該事由には当たらないと判示している。

【原審の判断】
 原審は、右認定事実のもとにおいては、上告人、被上告人間の婚姻は既に回復の見込みがない程度に破綻した状態に至っており、被上告人主張のように上告人とFが昭和四六年七月頃から情交関係を結んでいたとは認められないとしても、右婚姻破綻の主たる責任は、被上告人の心情を無視してFと同棲生活を開始しこれを継続した上告人にあるところ、
①上告人は、
・被上告人に対し今日に至るまで特に財産の分与もしていないうえ、
・婚姻費用分担の審判確定後も強制執行を受けなければこれを支払わないという態度を続けているし、
・昭和四八年三月頃には被上告人を社会保険の被扶養者から外す措置をとるなど、不誠実な態度をとり続けているのであって、このような事情や
②被上告人に定職がなく
その年齢からみて相応の収入のある職業を新たに見つけることは困難であり、
離婚となれば将来更に経済的な窮境に放置される危険性がある
ことなどの事情に照らすと、
本件離婚請求を認容することは、自ら婚姻破綻の原因を作出し、不誠実な態度を継続している上告人の請求を容認し、他方、婚姻継続を熱望している被上告人を経済的、精神的に更に窮状に追い込むことになるから、本件離婚請求は信義誠実の原則に照らして許されないとして、右請求を棄却した第一審判決を正当として控訴棄却の判決をした。

【本判決の判断】
~被上告人が離婚によって被るべき原審認定のような経済的・精神的不利益は、離婚に必然的に伴う範囲を著しく超えるものではないというべきであって、未だ右にいう「精神的・社会的・経済的に極めて苛酷な状態」に当たらないというほかはなく、
また、原審が上告人の不誠実な態度の徴表として認定説示している前記事情も、本件の紛争の経緯に照らすと、これを過大に評価することはできないというべきであるから、
原審認定の前記事実関係だけでは、他に格別の事情の認められない限り、前示特段の事情があると認めることはできないものというべきである。


【2022/12/7 9:20追記】

※最判H16.11.18の理解について

どうやら最判H16.11.18を読み誤っていたようだ。

最判H16.11.18は、まず、大きな規範として、以下の規範を立てている。

(1)【有責配偶者からされた離婚請求】については,
(2)~等の諸点を総合的に考慮して,【当該請求が信義誠実の原則に反するといえないとき】には,
(3)当該請求を認容することができると解するのが相当である
という規範を立てている。

すなわち、主張構造としては、以下の構造になるものと思われる。

【請求原因】民法770条1項5号所定事由の存在
【抗弁】その事由については専ら又は主として原告(請求者)に責任がある(=有責配偶者からの離婚請求である)
【再抗弁】本件における諸点を総合的に考慮すれば、原告(請求者)の離婚請求は信義誠実の原則に反するといえない


で、何を「総合的に考慮」するかというと、以下のとおり。

①夫婦の別居が両当事者の年齢及び同居期間との対比において相当の長期間に及んでいる【か否か】,
②その間に未成熟の子が存在する【か否か】,
③相手方配偶者が離婚により精神的・(社会的・)経済的に極めて苛酷な状況[状態]に置かれる等離婚請求を認容することが著しく社会正義に反するといえるような【事情】が存する【か否か】
等の諸点

なので、最判H16.11.18は、そもそも「3要件」説ではないし、「3要素」説かというと、それも正しくない。あくまで「(等の)諸点」の例示として「3要素」を挙げているにすぎない。

とはいえ、最判H16.11.18は、当てはめで、
①別居期間が「相当の長期間に及んでいる」とはいえないこと
③未成熟の子が存在すること
④相手方配偶者が離婚により精神的・経済的に苛酷な状況に置かれることが想定されること
の3点を総合的に考慮して、原告の離婚請求を信義誠実の原則に反するものと判断しており、最大判S62.9.2が挙げ、原審も考慮要素とした(と思われる)、
・原告の責任の態様・程度
・相手方配偶者の婚姻継続についての意思及び原告に対する感情
についてはあえて考慮していないので、「3要素」を極めて重大なものと位置付けている反面、原審が挙げたその余の事情は重視すべきではない(無視すべきである)と判断したことは明らかだと思われる。


まあ、実質的に大法廷判決を一部修正しているものとは思うし、その修正の当否は当然問われるべきだと思うけど、一応なんとなく理解はできた。そもそも大法廷判決の理解としては、石川氏の理解は誤ってると思うし、こういう雑な理解が実質的な修正のベースになってる可能性は全く否定できないと思うし、全く賛同はしないけど。


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