近時目につく、「(客観的には)違法といわざるを得ないが、対象公務員において職務上の注意義務を怠った(過失がある)とまではいえないから、国賠請求は棄却する」という判断について。
こちらの事件について、判決が公開されました(→こちら)。
違法性を認めた点については果断な判断といえるものの、注意義務違反を否定した部分についてはあまりにもお粗末といわざるを得ないと思います。
まず、裁判所が立てた規範は以下のとおり。
1.①について
同様のフレーズが出てくる最高裁判例は、こちらをご参照ください。
「個々の国民」「個別の国民」と「国家賠償法」というキーワードで検索すると、この10件(ただし、うち1件は、「同様のフレーズ」は出てこないので、ここでは割愛します。)がヒットします。
最初にこのフレーズが出てきたのは、立法不作為(厳密には、「在宅投票制度を廃止し、その後在宅投票制度を設けるための立法を行わなかったという「廃止行為」及び「不作為」)の違法性が問題となった、言わずと知れた在宅投票制度廃止事件で、以下のとおり判示しています。
その上で、次のとおり続けています。
つまり、最高裁は、この事件において、「国・・・の公権力の行使に当たる公務員」である国会議員は、そもそも「個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではない」(→「個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背」するという事態自体が、そもそも観念し得ない)とした上で、その立法行為につき、「立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法一条一項の規定の適用上、違法の評価を受けない」としているわけです。
ポイントは、「国会議員が立法に関し個別の国民に対する関係においていかなる法的義務を負うか」を検討した上で、上記規範を導いているところですね。
その他の最高裁判例は、8件中6件が、立法行為(立法不作為を含む。)の違法性について判示するものです。
一方、その他2件の最高裁判例は、以下の3つです。
(1) 最判H9.9.9(国会議員が国会の質疑等の中でした発言の違法性)
(2) 最判H22.6.3(市長が固定資産の価格を過大に決定したことの違法性)
なお、税金に関しては、次の2つの最高裁判例があります。
以上の2つの判決においては、「個別の国民に対して負担する職務上の法的義務(に違背して当該国民に損害を加えたとき)」というフレーズは出てきません。
また、次の判決は、職務上の法的義務を負う対象について、「当該行為によって損害を被ったと主張する者」としていますが、参照判例として、上記立法行為についての判例を挙げています(㋐、㋒)。
弁護士会の設置する人権擁護委員会が受刑者から人権救済の申立てを受け,同委員会所属の弁護士が調査の一環として他の受刑者との接見を申し入れた場合において,これを許さなかった刑務所長の措置に国家賠償法1条1項にいう違法がないとされた事例です。
なお、調査官解説では、以下のとおり整理している。
上記最判H20.4.15が参照判例として挙げている残り1つ(㋑)は、これです。
なお、刑事施設の長の措置の違法性に関しては、次の2つの最高裁判例があります。
以上のとおり、措置を端的に違法としつつ、「過失」の有無について論じている。
裁量権の逸脱・濫用を認めて違法→過失も認めている。
なお、調査官解説では、以下のとおり整理している。
また、次のようにも述べている。
調査官解説のテイストとして、「法的義務」という観点が極めて薄く、それが判決にも色濃く反映されているように思われ、上記(3)最判H20.4.15との統一的な理解が可能かについてはやや微妙な気はしなくもないものの、一応、再審請求弁護人に向けられた法的義務を措定しているとはいえるように思う。
とはいえ、この意味での「法的義務」を正面から認定しづらかったことから、あえて「再審請求弁護人の固有の秘密面会をする利益(の侵害)」という表現にしたのではないかとの憶測も可能であるように思われる。
なお、上記(3)判決の調査官解説では、弁護人の接見交通権の侵害について、被疑者ないし被告人との関係だけではなく、接見を申し入れた当該弁護士との関係でも国家賠償法上違法と評価される余地がある点について、「これは、接見交通権について定める刑訴法39条が、憲法34条により保障された被疑者ないし被告人の基本的人権の保障を具体化する趣旨の規定であることによるものであって、刑訴法39条と旧監獄法45条2項とでは、その規定の性質を異にするというべきである。」としている。これは極めて正しい指摘だと思われるが、この最高裁調査官が、果たして再審請求弁護人に対し、刑事施設の長の職務上の注意義務が向けられていると判断するかは、やや懐疑的である。
上記(3)-2の判例との関係では、こちらも参照すべきでしょう。
一方、上記(3)-2の判例と同様、規制権限の不行使が問題となった最高裁判例は、こちら。
(5)-1 最判H7.6.23〔クロロキン薬害事件〕について(消極)
(5)-2 最判H16.4.27〔筑豊じん肺訴訟〕について(積極)
(5)-3 最判H16.10.15〔水俣病関西訴訟事件〕について(積極)
(5)-4 最判H26.10.9〔泉南アスベスト訴訟〕について(一部積極)
国が、〔経済産業大臣が〕津波による原子力発電所の事故を防ぐために電気事業法40条に基づく規制権限を行使しなかったことを理由として国家賠償法1条1項に基づく損害賠償責任を負うとはいえないとされた事例です。
なお、調査官解説においては、
「国家賠償法1条1項所定の違法性及び担当公務員の過失の有無の判断基準について」において、判例として、①最判S60.11.21〔在宅投票制度廃止事件〕、②最判H5.3.11〔上記(2)-2〕、③最判H11.1.21〔住民票記載処分取消事件〕を挙げた上、
「公務員が法令の解釈・適用を誤った場合について国家賠償法1条1項に基づく損害賠償責任が問題となった最高裁判例」について、㋐通知・通達等が問題になったもの、㋑法律の解釈・適用の誤りが問題となったその他の判例等、として整理しています。
また、調査官解説は、判例の判断枠組みとして、次のとおり整理しています。
なお、この判決においては、法的義務の向けられた相手については、特段言及されていません。
この点に関し、下山憲治「基準設定権限等の不行使と国家賠償責任一じん肺予防領域を中心として一」には、次のような指摘があります。
調査官解説は、問題の所在につき、「Xらが本件司書のした本件廃棄が違法であるとしてY市に対して国家賠償請求をするためには、Xらが本件廃棄によって法律上保護される利益を侵害されたことが必要であり、Xらの侵害されたとする利益が事実上の利益にすぎない場合には、国家賠償請求をすることはできない」とし、「本件訴訟においては、Xらが本件廃棄によって法律上保護される利益を侵害されたのか否かが主要な争点となった」としています。
そのためか、調査官解説にも、国家賠償法上の違法の有無についての記載は「全く」なく、判決上も、職務行為基準説に立脚したらしき判示は見当たりません。
何より気になるのが、国家賠償法1条1項の違法を認めるためには、①公務員の職務上の法的義務に対する違反であることのほか、②当該被害者個人に対して負う義務の違反であることという二つの要件を満たす必要があるとした場合、原告ら(著作者)に対して負う義務を観念できるのか、という点です。本判決がこの点について答えを示しているようには見えません。
(8) 本判決について
以上を踏まえて、本判決の判示①について意味があるとすれば、それは、捜索・差押えを実施した検察官及び検察事務官が、捜索場所を管理する原告弁護士法人及び当該法人が設置する法律事務所に勤務する原告弁護士らに対する関係において、いかなる法的義務を負うかという点についてであろうと思われます。
もっとも、この点が問題となる事案なのかについては、疑問なしとしません。しかも、本判決は、上記については全く検討していないのです。
判示①については、全く無意味なもの(その位置付けを理解していないことを示すもの)というほかないと思います。
2.②について
さて、本件の問題の肝は、いわずもがな、誤った法令の解釈に基づく客観的には違法な行為について、国家賠償法1条1項の違法があると評価されるかです。
判例は、ⓐ公務員の行為が、法令の解釈・適用を誤ったものであったとしても、直ちに国家賠償法1条1項の違法があると評価するのではなく、職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と当該行為をしたと認められる場合に限り、国家賠償法上違法と判断されるとします(上記(6)判決参照)。
その意味では、判示②については、直ちに誤りというものではありません。
もっとも、「法令の解釈を誤った」ことが問題となるのではなく、「誤った法令解釈に基づく具体的な行為(侵害行為)」が問題となるのですが、この点についての正しい理解が前提となっているのか、甚だ心許ないところです。
3.③について
いわずもがな、最大の問題は判示③です。
判例は、上記ⓐのとおり、職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と当該行為をしたと認められる場合に限り、国家賠償法上違法と判断されるとしています。
そして、その下位規範として、ⓑある事項に関する法律解釈について、複数の解釈が考えられ、そのいずれについても「相当の根拠」が認められる場合において、公務員がそのうちの一つの解釈に基づいて行為をしたときや、ある処分の根拠となる規定の有効性につき、実務上特に疑いを差し挟む解釈をされたことも裁判上問題とされたこともない場合において、従前と同様の処分を行ったときは、後に当該解釈が違法と判断されたとしても、国家賠償法1条1項の過失はないとされます。
翻って、判示③です。
「法令の調査において職務上通常尽くすべき注意義務を怠った場合に限り、同項の適用上違法の評価を受けるものと解するのが相当である」
まあ、これが上記ⓐと同旨をいうものとして(実際に、「職務上通常尽くすべき注意義務を怠った過失があった(ということはできない)」という判示もなくはない。)、問題は当てはめです。
最高裁の判例を幾つか見てみます。
住民訴訟ではあるが、ほぼ同じ判断基準に基づいて過失を認めています。
調査官解説においても、次のとおり整理されています。
また、「学説、判例等において見解が分かれ、解釈に疑義が生じている場合には、そのうち一つの見解を採って公権力の行使に当たったときは、公務員の過失を認めるべきではない」とする先例についてみてみます。
(2) 最判S46.6.24について
(3) 最判S49.12.12について
(4) 本判決について
以上を踏まえて、本判決について見てみます。
一連の最高裁判例は全く参考にはしていないようです。
検察官が採用した(結果として違法な)解釈に「相当の根拠」があったか否かを検証するのではなく、あろうことか、裁判所が採用した正しい解釈について、「(条文の)文理上明白である」とまではいえないし、「相当であることを明確に指摘した文献や裁判例が存した」とも認められないとして、検察官が採用した解釈の相当性については一切不問としたのです。
あえて最高裁とは異なる独自の解釈をしてまで検察官の違法な行為を結果として不問とした理由が知りたいところです。
なお、当事者の主張の整理では、
①本件各行為をしたことが国家賠償法1条1項の適用上違法であるか
②本件各行為をしたことにつき検察官らに故意又は過失が認められるか
という争点を立てて、②についての被告側の主張については「争う」とのみしているわけですが、職務行為基準説を前提とした場合に、この2つを区別できるのか、その意味があるのか、検察官らには、結局自らの見解の相当性について全く主張させてないのか、など、消化不良の感もしなくはないところです。