検察官の取調べの違法を認めた判決が出た。
同判決では、国(訟務検事)が取調べの限界について一般論を主張し、これを踏まえて裁判所が同じく一般論(判断枠組み)を提示している。
国(訟務検事)の主張
裁判所の判断
判決では、これらが唐突に出ているので、なぜこの規範になるのかがよく分からないが、キーワードをピックアップして判例を検索してみると、幾つかの裁判例が引っかかる。
備忘のため、整理してみる。本判決も、(少なくとも起案者である左陪席レベルでは)これらの裁判例を検討した上でキーワードを用いているものと思われる。
1.大阪高判H22.5.27
事案としては、①検察官が原告Aに対し、威嚇、侮辱及び脅迫を伴う取調べをしたこと、②検察官が取調べの場において原告Aに対し、原告Aと弁護人との信頼関係を破壊する言動をしたこと、③検察官が、原告Aについて、客観的には嫌疑がないのに、報復を目的として重い罪名で家裁送致したことを理由とする国家賠償請求がなされたものである。
本件の主たる争点は、①10月9日取調べにおけるC検事の言動、②10月17日取調べにおけるD検事の原告Aに対する発言、③本件家裁送致の各違法性であり、録音録画がないため(たぶん)、言動や発言内容を被告が全面的に争っている。また、「黙秘」というキーワードはない。
(1)原判決;京都地判H21.9.29
まず、10月9日取調べにおけるC検事の言動として、以下の事実が認定された。
そして、裁判所(井戸謙一裁判長)は、「(上記)C検事の言動は,職務上の法的義務に違反するか」という問題について、次のとおり判示した上で、C検事の言動は「違法の評価を免れない」とした。以下、区切って見ていく(出典はいずれも判例秘書)。
まず大前提として、「虚偽の供述をしていると思われる被疑者に対して」という場面についてのものであり、黙秘権を行使している被疑者に対してのものでないことがポイント。
一方、「しかしながら」以下の判示は、「虚偽の供述をしていると思われる被疑者に対して」に限るものではないと思われる。結論として、「取調官には,取調べをするに当たって,被疑者の尊厳や品位を傷つける言動をしない職務上の法的義務がある」と認めた。まあ、さすがに「被疑者の尊厳や品位を傷つけることがあってもいいが、限度がある」という論の立て方をする人はいないでしょう(たぶん)。
次。
刑事訴訟法からの要請による制限。切り違え尋問とかは、こちらの要請からアウトになり得るということか。
本件が少年である特性を加味した修正。
次に、10月17日取調べにおけるD検事の発言として、以下の事実が認定された。
録音録画がない時代(世界)では、こういうことを普通にやっていて、しかも当の検察官は「そんな発言はしていない」と嘯くことが普通に行われている(本件でも、D検事は発言の存在を否定している)ことは、広く知られていい。
それはさて措き、裁判所は、「(上記)D検事の発言は,職務上の法的義務に違反するか」という問題について、次のとおり判示した上で、D検事の発言は「違法であるというべきである」とした。以下、区切って見ていく(出典はいずれも判例秘書)。
最大判H11.3.24のほぼコピペ。
次。
結論として、「警察官,検察官,裁判官その他刑事司法に携わる者は,弁護人が被疑者・被告人と信頼関係を築くことをみだりに妨害してはならず,築かれた信頼関係をみだりに毀損,破壊してはならない職務上の法的義務がある」と認めたものであるが、この手の法的義務を認めたものは、唯一かもしれない。。。
続き。
「信頼感」は「信頼関係」の誤記かな。
結論は、
①10月9日取調べにおけるC検事の言動→違法、
②10月17日取調べにおけるD検事の原告Aに対する発言→違法、
③本件家裁送致の各違法性→非・違法
として、原告A(被疑者)につき40万円、原告B(弁護人)につき20万円の精神的損害の発生を認めた。
(2)控訴審;大阪高判H22.5.27
控訴審において、国(訟務検事)は、次の主張を補充した。
そして、裁判所(岩田好二裁判長)は、結論として、
①10月9日取調べにおける○○検事〔C検事〕の言動→違法、
②10月17日取調べにおける□□検事〔D検事〕の原告Aに対する発言→非・違法、
③本件家裁送致の各違法性→非・違法
として、原告A(被疑者)につき20万円の精神的損害の発生を認めた。
まず、10月9日取調べの違法性判断については、まるっと規範を取り換えて、次のとおり判示した。以下、区切って見ていく(出典はいずれも判例秘書)。
原判決よりも、かなりトーンダウンした印象を受ける。
「取調べは本来客観的には被疑者の権利利益を侵害する要素を必然的に含んでいる」が、「犯罪の適正な処罰という重要な法益の確保の観点から法が許容する限度では適法有効である」というのは、刑事事件から離れた場所に身を置く民事裁判官から見た偽らざる「常識」なのだろうと思う。
原審は、取調官の行為規範を論じたが、控訴審では、取調べの性質上、被疑者の権利利益を一定程度侵害すること(そのように被疑者が感じること)は当然であるとの前提に立ち、「犯罪の適正な処罰という重要な法益の確保の観点」から法が許容する限度を逸脱した場合に違法としたものである。
その上で導き出した規範。
ここでは、原判決が認めた「被疑者の尊厳や品位を傷つける言動をしない職務上の法的義務」は全く表には出てきていない。
すなわち、「✕✕はダメ」というのではなく、「刑事手続上一応の説明がつけば足りる」という規範に修正されているのである。
そして、本件が少年である特性を加味した修正については、以下のとおり判示。
少年の特性については原判決と同様であるが、懸念しているのは人格権侵害ではなく、「時として虚偽の自白に導く危険性を伴っている」点のみであることが気になるところである。
当てはめについては、以下のとおり。
いかにも取調官側の事情を忖度した民事裁判官らしき評価であるように思う。
原審と問題意識の根底は共通するものであり、○○検事〔C検事〕の言動は相当な取調べの域を逸脱するものであるという心証は同じであるが、原判決は、そのような不相当な言動を許容する特段の事情はないとしたのに対し、控訴審判決は、取調べ(目的を含む)自体は許容されるものとした上で、個々の言動についてはその域を逸脱したものと指摘したものといえ、説示としては穏当なものといえるのかもしれない。
問題は、これらの「尊厳を傷つける」「(不相当な)威嚇」「報復の意味合いを感じさせる」などの当てはめの表現が、上記規範からは全く出てこず、原判決の問題意識がなければそのような評価を導くことも容易ではないという点である。
いずれにせよ、当判決の評価は、規範だけで語れるものではなく、当てはめも含めて一体でみることが必要であるように思う。
次に、10月17日取調べの違法性判断についても、まるっと規範を取り換えて、次のとおり判示した。以下、区切って見ていく(出典はいずれも判例秘書)。
要するに、前述の規範と全く同じであり、自白の説得等をするに当たり、被疑者と弁護人との間の信頼関係に対して一定の影響を与えることがあり得るとしても、それは取調べの適否の問題として論じれば足りる、ということのようである。
これだけではちょっと意味が分かりにくいが、当てはめをみると、①取調べの違法性、②弁護人の接見交通権に対する侵害の有無、という形で分けて検討しているようである。
うーむ。これを許容するのか。。。
なお、全く検事の発言は、原判決の認定のままである。
原判決の判断は、以下のとおり。
「みだりに」の規範自体を採用せずとも、この評価自体に異論はないところと思われるのだけれども、控訴審がこの点を全くスルーして「1審原告ら間の信頼関係を前提とする接見交通権を侵害する危険性は高くなかった」という一点をもって「社会通念上相当な範囲を逸脱した国家賠償法上違法なもの」ではないとしたのは、全く首肯しかねる。
次に、弁護人の接見交通権に対する侵害の有無について判示した部分。
直ちに論評しかねるところであり、コメントは割愛。
なお、本件は上告棄却、上告不受理により大阪高裁の判断が確定している。
2.富山地判H27.3.9(氷見事件)
いわゆる氷見事件国賠であり、①被告Y1ら富山県警察所属の警察官による捜査及び取調べ、②検察官である被告Y2による取調べ、供述調書の作成、公訴提起及び公訴維持に違法があるとして国家賠償請求がなされたものである。
本件は、警察官の取調べにより(結果として事実に反する)「自白」に至った事案であり、その過程において違法な取調べがあったのかが問題となっている。
(1)当事者の主張
まず、被告県の主張において、次の一般論が主張されている。
一方、被告国は、次のとおり主張している。
すなわち、被告県は、大阪高判H22.5.27の裁判所の判断を前提とする規範を主張していたのに対し、被告国(訟務検事)は、大阪高判H22.5.27における被告国(訟務検事)の主張との平仄を合わせつつ、起訴の違法に関する国の従来の主張を前提とする超幅広の判断枠組みを主張していた。
(2)裁判所の判断~総論
裁判所(阿多麻子裁判長)は、結論として、
①被告Y1による取調べ→非・違法
②被告Y2による取調べ→非・違法
として、いずれも取調べの違法性については否定した。
まず、警察官及び検察官の捜査行為一般についての国賠法上の違法性判断基準について、次のとおり判示した。
最二判H8.3.8は、司法警察員による被疑者の留置についての国家賠償法一条一項所定の違法性の判断基準について判示したものであるが、特に理由もなく、いきなり、「司法警察員による被疑者の留置については、司法警察員が、留置時において、捜査により収集した証拠資料を総合勘案して刑訴法二〇三条一項所定の留置の必要性を判断する上において、合理的根拠が客観的に欠如していることが明らかであるにもかかわらず、あえて留置したと認め得るような事情がある場合に限り、右の留置について国家賠償法一条一項の適用上違法の評価を受けるものと解するのが相当である。」としている。
井上繁規判事の調査官解説には、「職務行為基準説に立つ場合には、司法警察員のした被疑者の留置についての国家賠償法1条1項の違法性の判断基準は、司法警察員が、留置時において、捜査により修習した証拠資料を総合勘案して刑訴法203条1項所定の留置の必要性を判断する上において、合理的根拠が客観的に欠如していることが明らかであるにもかかわらず、あえて留置したと認め得るような事情があるか否かによるべきであり、右の事情が認められない限り、国家賠償法上の違法性はないものと解するのが相当である。」としているが、こちらにも理由や文献や裁判例の摘示は一切ない。
なお、「合理的根拠が客観的に欠如していることが明らかであるにもかかわらず」というフレーズは、この最二判H8.3.8を除いて最高裁の判例には見当たらない。
これを警察官及び検察官の捜査行為一般に拡張するのは、無思慮というほかないように思う(下級審裁判例についてみても、捜査の開始・継続や逮捕・勾留・公訴提起の違法性について上記基準を用いているものが大半であり、個々の捜査についての違法性の判断基準として用いているものはないように思われる。)。
(3)警察官による取調べの違法性判断基準
その上で、警察官による取調べの違法性判断基準について、次のとおり判示した。
上記規範から察することができるとおり、当てはめにおいても、取調官の取調べを擁護する認定判断が並び、見るに堪えない。おそらく今の裁判所だと、さすがにここまでの認定判断はないと思われる。
(4)検察官による取調べの違法性判断基準
一方、検察官による取調べの違法性判断基準については、次のとおり判示した。
被告国(訟務検事)の主張の全面採用である。
当てはめの結果も推して知るべしであり、「被告Y2が行った取調べが、取調べ対象事件の内容・性質、取調べ時点における証拠関係の下で取調べの必要性等の諸事情を勘案し、法の予定する一般的な検察官を前提として通常考えられる検察官の個人差による判断の幅を考慮してもなお、取調べの方法がその目的に照らして社会通念上不相当といえる程度にまで達しているとは認められない。」としている。
なお、被告Y2の取調べの態様自体について、違法と主張されていたものでないことについては留意が必要と思われる。
3.鹿児島地判H27.5.15(志布志事件)
いわゆる志布志事件国賠である。
(1)当事者の主張
まず、被告県の主張において、取調べにおける捜査官の注意義務について、次の一般論が主張されている(当事者の主張については、判例秘書では省略されているため、D1-Lawから引用)。
なお、いわゆる高輪グリーンマンション・ホステス殺人事件といわれる最二決S59.2.29は、任意捜査の一環としての被疑者に対する取調べにつき、「①事案の性質、②被疑者に対する容疑の程度、③被疑者の態度等諸般の事情を勘案して、社会通念上相当と認められる方法ないし様態及び限度において、許容されるものと解すべきである。」と判示している。また、同旨の一般論は、最二決H1.7.4においても判示されている。
一方、被告国は、次のとおり主張している。
氷見事件における主張と全く同様である。
氷見事件と若干変えてきているのが目を惹く。
氷見事件「取調べの目的に照らして社会通念上不相当といえる程度に達しているか否か」
本件「取調べの目的に照らして社会通念上およそ不相当といえる程度に達しているか否か」(「およそ」を加筆)
なお、最三判H5.3.16と最三判H9.8.29は、いずれも、いわゆる教科書検定における文部大臣の審査、判断の違法について判示したものであり、なぜこの2判決を引用したのか全く不明である。
(2)警察官による取調べの違法性判断基準
裁判所(吉村真幸裁判長)は、警察官による被疑者取調べの違法性判断基準について、次のとおり判示した。以下、区切って見ていく(出典はいずれも判例秘書)。
(3)検察官による取調べの違法性判断基準
一方、検察官による被疑者取調べの違法性判断基準については、次のとおり判示した。以下、区切って見ていく(出典はいずれも判例秘書)。
先の大阪高判H22.5.27の規範を参照しつつ、「法の予定する一般的な検察官を前提として通常考えられる検察官の個人差による判断の幅を考慮に入れてもなお」という基準に修正(緩和)。
すなわち、「およそ」不相当といえる程度に達しているか否かという国(訟務検事)の主張には乗らなかったものの、「法の予定する一般的な検察官を前提として通常考えられる検察官の個人差による判断の幅を考慮に入れてもなお」という基準は採用した。
当たり前のことをわざわざ言うのは、何らかの伏線であることが推察されるが、本件でも結論において検察官の取調べの違法性は否定されている。
4.東京地判R1.5.27(布川事件)
いわゆる布川事件国賠である。
(1)当事者の主張
まず、被告県の主張において、取調べの違法性判断基準について、次の一般論が主張されている。
一方、被告国は、次のとおり主張している。
「およそ」不相当、との基準。
警察の取調べの違法性の承継に関する主張。
(2)警察官による取調べの違法性判断基準
裁判所(市原義孝裁判長)は、警察官による被疑者取調べの違法性判断基準について、次のとおり判示した(出典はいずれも判例秘書)。
結果として、警察官が虚偽の事実を述べたもの(複数)については、偽計を用いたものとして違法であるとし、加えて、「タンス」、「玄関」、「金庫」、「上のロッカー」、「下のロッカー」等と書かれた名札がそれぞれ付されている鍵の束を見せながら、どの鍵でロッカーを開けたのか説明するように指示し、被疑者の供述を誘導し、被疑者が鍵に刻印された番号によってロッカーの鍵を特定したかのような供述録取書を作成した件については、「被疑者の記憶を喚起するという限度を超えたものというほかなく,社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度を超えた取調べがされたものとして,違法である」としたが、逆にいえば、その限度でしか違法を認めなかった。
なお、「本件強盗殺人事件の犯行を認めた方が有利であるとか,犯行を否認していれば死刑もあり得る」旨の発言をしたとの原告の主張については、「仮に,上記発言があったとしても,一般論としては,犯行を自白して悔悟の念を示したことは有利な情状になり得るものであるし,強盗殺人罪の法定刑に死刑があることは事実であることからすれば,上記発言をもって,社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度を超えた取調べがされたものということはできない」としており、「社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度を超えた取調べ」の基準については、一見極めて明白なものに限っているという評価が妥当するように思われる。
(3)検察官による取調べの違法性判断基準
一方、検察官による被疑者取調べの違法性判断基準については、一般論を示していないが、いずれも「社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度を超えた取調べがされたものということはできない」として違法性を否定していることからすれば、上記(2)と同様の判断基準を前提としたものと思われる。
なお、控訴審(東京高判R3.8.27)においては、一転して検察官による被疑者取調べの違法性を認めているが、規範を変えているわけではなく、認定事実を一部異にしているように思われる。結論として、「社会的相当性を逸脱して自白を強要する違法な行為である」と断じている。
5.最後に
極めて不十分な整理であるが、十分な検討がなされた上で、判断基準や当てはめが確立されている分野ではないように思われた。
判断しているのは民事裁判官であることが多く、刑事事件の常識が通用せず、変に刑事事件への影響を与えないよう「配慮」しているのではないかと思われる判示が少なくないように思える。
原告代理人は刑事事件の弁護人又はその関係者であることが少なくなく、刑事事件に通暁している反面、ジャッジする裁判官が必ずしもそうでない点については、その影響が小さくないように思われる(基本的に原告の主張する一般論を採用するものはほとんどない。)。