「今後新しい音楽は生まれてくるのか」という問いに対しての主観的で独断的で偏見に満ちた無知な私の意見
先日、友人との何気ない会話の中で「こっから先、新しい音楽って生まれてくるんすかね?行き詰まりを感じる。」という問いが私に投げかけられた。あまりにも漠然としていて、それでいて確信をつくような問いである。その時私は「きっとまだ表に出てきていないけど、何か新しいことをやっている人が今現在もいて、そのうち誰かがピックアップしてきて俺らみたいなヤツの耳にも届くようになってくるんじゃない?」という返事でお茶を濁した。
そのことを今ふと思い出したので、この記事を書くに至っている。
まず「新しい音楽」とは何だろうか。「新しい」と感じるには、二つの要素があると私は考える。
まず分かりやすいのが「音色」についてである。言い換えるならば新しい楽器の発明だろうか。打楽器や弦楽器、吹奏楽器に鍵盤楽器。これまでの歴史では、こういった新しい楽器が発明され、音楽の主要な音に加わるたび、人々は革新を感じていたに違いない。近年ならばシンセサイザーやサンプラー、ボーカロイド等も当てはまるかもしれない。
そして二つめの要素が「音楽理論」についてである。
音楽とは人類の有史以前から存在しただろう。当初はおそらくは原始的な打楽器によるビートのみのものから、次第にメロディーが着き始め、和音や倍音の存在に気付き、コード進行やスケールといった音楽理論が固められていき、現在我々の多くが耳にしている音楽の多くも、この音楽理論に基づいて作られている。
ではこの音楽理論要素から逸脱し新しい音楽が生まれるにはどうすれば良いのか。
※ここからは私も無知なことなのであくまで想像で述べていく。
その辺りのことを最も意識してやっているのが「現代音楽」だとか「フリージャズ」だとか「ノイズ」といったジャンルだろう。フリージャズを例にしてあげていくと、まず前提としてジャズそのものは、音楽理論に厳密に基づいてきっちりと構築していく音楽である。そしてフリージャズは、その音楽理論上の構築物を完全に理解した上で、いかにして理論を崩していくか、というような音楽であろう。しかしこのフリージャズという音楽は、聴く側にも音楽理論の知識が必要で、どう崩しているか理解できるだけの素養が必要である。しかし大衆一般にこの「新しい音楽」が広がるのは難しい気がする。音楽理論の知識や個々人それぞれの価値観(の集合体)の大幅な変化が必要だからである。
・・・そもそもこれまでの中で「新しい音楽」が生まれたと大多数の人が感じるような瞬間はそうそうあったのだろうか。
もっとも、音楽理論からの逸脱無しでも、様々な音の組み合わせやパターンを、影響力ある発信者が定義して、新たな(細分化した)音楽ジャンルは現在も定期的に生まれ続けている。
というわけで、今回の問いに対し「我々がまだ想像もできていないような音の組み合わせで新しいジャンルは生まれ続けるだろうし、その軸とは別で理論を崩そうとして音楽を作っている人たちもいる(けど大衆的な音楽として認められることは無いかもね)」というこれまた漠然とした回答でお茶を濁して今回の記事を締めたい。
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