「怒り」は「混乱」
今日はただの個人の哲学としての話を投稿してみようと思います。
「怒りは二次感情であり、個人の裁量で表出しないよう自在に調整ができるものである」
という旨の記述が、「『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』/古賀史健、岸見一郎」の中にあります。
本当にそうなのかな?と私は未だに疑っています。
怒りより前にあるのは、「悲しい・さみしいなどのネガティブ感情」とされ、それを表現するために怒りという形で外に出るとされているのですが、私は怒りがこれらの「ダウナーな感情」とは相反するものなのではないかと思っています。
では怒りとはなんなのか。
私は、怒りとは「混乱」だと自分の中で結論付けてきました。
どうしてこんなことになるのか、どうしてこんなことができるのか、「わからない」「納得ができない」時に決まって怒りは生まれると思うのです。
例えば、あなたはパートナーや友人と同居しており、最近部屋が散らかってきていることが気になり始めました。あなたが目についたところから掃除を始めますが、同居人は気にしていない様子で、自分からは掃除を始めません。確かに同居人のほうが仕事が忙しく、家にいる時間はあなたより少ないので仕方がないと思いつつも、あなたは一部屋だけ明日までという期限で同居人に掃除を頼みました。しかし翌日、その部屋は散らかったままでした。
いかがでしょうか。このケースであなたが怒りを感じることは想像ができるのではないでしょうか。または、逆に似たケースで怒られたという方もいらっしゃるかもしれません。
ここで怒りが生まれるメカニズムはこうだと分析します。
あなたは「綺麗な状態の部屋」という結果を望んで掃除をし始める。ただ綺麗になるだけではなく、この部屋には二人で住んでいるのだから二人で綺麗にするべきだとあなたの中で定義する。
あなたの可能な限り、忙しい同居人に配慮をして一部屋だけ、ただし期限をつけて掃除を依頼する。しかしそれが果たされていなかった。
「これは二人が暮らす環境だから二人で整えるべきだ、そのために配慮もした、具体的期限もつくった、私が掃除していることも知っている、それなのになぜ言ったことができないのか?」といった混乱がそのまま「怒り」に変わる。
怒りは調整できるという理論から、アンガーマネジメントの手法として
・本当の感情(悲しい、寂しいなどの一次感情)に目を向ける
・相手に一次感情を元に言葉にして伝える
・一度深呼吸をしてリラックスする
などが紹介されていますが、このどれも私にはハマりません。
「こういう理屈でこうあるはず、こうなるはずなのにそうならない」
私の怒りはだいたいこういう仕組みです。
そしてそこにあるのは「悲しい、さみしい」などという消極的な感情ではなく、喉の奥から胸にかけて急に大きなものが現れて膨らんで詰まって物理的に吐き出したくなるような、そして顔の温度だけ上がるような攻撃的な感覚です。
では、結局私のようなタイプにおけるアンガーマネジメントはどのようにするのか?という部分ですが、これは正直なところ模索中です。
ただ、日常とにかく気を付けているのは、「混乱」が「怒り」を引き起こすのだから、「なぜそうなったのか?どういう意図があったのか?」の理解をする努力をすることです。
またそれと同じくらい大切なのは、「こうあるはず、こうなるはず」にこだわりを持たないようにすることです。これは無意識の部分をやらないようにそぎ落とすことなので、非常に難しいためそこまで気を付けてはいませんが、そもそもそんなにこだわる必要のあることか?と反芻することは意識しています。
これらは私が長年自分の中でグルグル考えてきた哲学でしかないので、もっと興味が向けば怒りに関するいろいろな方の文献を読み漁ってより深めてみようと思います。
よろしければ、あなたの「怒り」に関する意見をコメントにてお聞かせください。
最後までお読みいただきありがとうございました。
Veni,