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"VENI, VIDI, AMAVI."に込めた意味

日本語での翻訳はいくら調べても存在が見つけられませんでした。
ラテン語で"I came, I saw, I loved."という意味だそうです。

私はこの訳を、「足が赴くままに訪れた先に、偶然惚れ込んだ」と解釈しています。


社会人になって1年ほど経った時に、私は人生で最大の悩みに直面していました。
「私のやりたいことって何?」
「どうすれば1日8時間を楽しく過ごせる?」
「どうすれば頑張りたいと思える?」

私は自分の仕事が好きではなかったのです。更に、好きになれる仕事がなんなのかもわかりませんでした。同時に、好きになれる仕事でないといけないと強く思っていました。
仕事で必要とされるすべてのことに、とにかく気が乗らない。本気になれない。そして本気にならないと、周りについていけない。そんなジレンマが自分の中で常に渦巻いていました。

今振り返ると、この仕事を好きになれる余地というものは無かったようにも思います。興味が持てないことには興味が持てないし、結果的に4年間続けて好きになれなかったことはずっと好きにはなれないのだと思います。
ただ、今の私はそれでいいと思っています。

私は根っから衝動で動く人間で、興味が湧いたものにはとことん時間と労力をかけ、時に止められなくなって周囲を顧みないこともあります。これが自分に起こる、「足が赴くままに」という現象だと思います。
それが何年も続き、安定して時間や労力をかけられるようになったころ、「私はこれが好きなんだ」と感じます。

仕事においてこれが発揮されることはありませんでした。しかし興味を持てないことに見切りをつけ、転職をしてから時間的に余裕ができました。
その「良い諦め」とうまく付き合うことができ、今「足が赴いた」先にあったnoteでこうして駄文を投稿しているわけです。

こうして読んでいただいているあなたは私にとって、その旅先で出会う素晴らしい民です。あなたがその街や国を作る大事なひとつであり、私の旅が素晴らしい理由のひとつです。

これからも気の向くままに、足が赴くままにいろんな場所に訪れ、
偶然その中で恋焦がれる物に出会えるような生き方をしたいと思います。
この言葉を、私が毎日使うプランナーにも刻んで目に触れるようにしています。

Veni, Vidi, Amavi.

Veni,

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