例の親友との相違点
この前、久々に例の親友と遊んだ。
ゴールデンウィークぶりの再会である。
(例の親友とは、いつかの投稿で紹介したINFJの彼のことである)
そこで、お互いいつものごとく近況を語り合い、色々と深い話をしたが、どうにも大学時代と比べてお互いにかなり価値観が変わっているようなのだ。
いくら同じ大学でサークルが一緒だったからといって、いつまでたっても同じような人生を歩むわけではないのだから、当然といえば当然だ。
ただ、なんとなく「あれ?なんか違うぞ、、?」と感じた違和感について今回は書いていこうと思う。
_____
1今を楽しむ力
例の親友は、ライブやスポーツ観戦、旅行など興味のある「体験」にお金を使っている。
「体験」にお金を使うこと自体全く悪いことではないし、むしろ普通のことだと思う。
ただ、しっかりしている彼のことなので、遊びの影響で家計が回らないことにはなっていないらしいが、その遊びに行く頻度が、自分ではとても考えられないレベルなのだ。
どうやら最近の彼は、好きなアーティストがライブを開催する度に遠征に行き、お盆休みは彼の友人をずっと家に泊めて毎日遊び歩き、9月には長期間の海外旅行へ行くらしい。
人によっては(というか大多数か?)、健全な社会人であれば、普通のことではないだろうか?と思われるかもしれない。
しかし、超インドア&ケチな私にとって上記の行動はあり得ないことだ。
(もちろん、自分にとってはあり得ないからといってその行動を尊重できないわけではない。自分の意思で自分の好きを突き詰めた結果であるというのなら、素晴らしいことだと思う)
ただ、稼いだお金はなるべく使わず貯金とnisaに回すことをモットーとしている私にとっては、中々カルチャーショックではあった。
また私のnoteを長く読んでくださっている方はお気づきかもしれないが、そもそも私は「体験」に対してお金を使うことに対し、あまり関心がない。
読書は感想を書くために読んでいるところがあるし、ファッションは自己表現だ。
音楽に関しては、自分しか聴かないプレイリストを組み替えることに熱中しているし、その他雑学的なことは、いつかこのnoteや人とコミュニケーションをとる際に何か使えないかと考えている。
一言で言えば、私にとっての趣味とはその趣味そのものが目的なのではなく、創作や何らかの自己表現をする上での「手段」にすぎないということだ。
どこかへ出かけるよりも、布団の中に包まり、悶々と思索を続けて過ごす私にとって、彼のような生活を送っていたら、3日と持たずにギブアップしてしまうだろう。
2推しについて
彼にはたくさんの推しがいる。
(まさかそんなにたくさん推しがいるとは知らなかった)
インドア、アウトドアを問わず趣味が広範に渡っており、スポーツ、映画、ドラマ、音楽とあらゆる分野に精通しているため、その分推しができやすいのだという。
この前も、スポーツ観戦へ行ったばかりだというのに、推しの女優さんに会いに行くため東京へ行ったそうだ。
ここで第二の不一致だ。
私には推しがいない。
なんなら今いないだけでなく、今までで一度も推しができたことがない。
理由は、推しの一挙一動に自分のメンタルをすり減らしたくないからだ。
私は音楽が好きで様々なバンドを聴いている。
もちろん、その中にはこのアーティスト本当に最高だ!というものもあるが、それだけだ。
別に彼らの人柄にはそれほど興味はないし、いい音楽を作っていいライブをしてくれたら、それでいい。
その曲、そのライブがいいから好きなのであって、路線変更したり、自分の思ういい曲を作らなくなったら、ファンを辞めることも頻繁にある。
そのレベルだから、当然遠征などにも行くことはない。
たくさんのアーティストを聴いていると、しょっちゅうメンバーの脱退や活動休止、解散などに立ち会うこととなるが、「あーそれは残念だったね」とは思うものの、それ以上引きずることはない。
脱退なり解散したりしたとしても、その音楽は永遠に残り続けるから、それを聴けばいいではないか。
一回一回脱退や解散に涙し、ショックを受けていたら、やっていけないだろう。
加えて、自分の生活だけでも大変で色々悩むことがあるというのに、推しとかいう、はるか遠くにいる人の応援に熱狂する体力など残されてはいないのだ。
よく知りもしない推しを応援するのではなく、まずは自分やその周りにいる人を応援したい。
だから、特定の人を推し続けることに対して、なんとなく抵抗感がある。
推しの言動に振り回されるのではなく、自分が好きな人を選びたい。
好きなものの主導権は常に自分にあるようにしておきたいのだ。
3他人を自分の家に泊めることの嫌悪感
最初にも述べたが、彼はこのお盆休みの間友人を5日間くらい家に泊めていたという。
(なおこの親友の家に5日泊まった友人というのは、遠方に住んでいるため中々会えていないが、私とも友人関係にあり、大学時代はこの3人でよく語り合ったものである。16タイプでいうとINTJとISTJの中間のような人だ)
それを聞いた際、「え!?マジで?」と食い気味に叫んでしまった。
私にとって、どれだけ仲がいい人でも、自分の家に5日間も泊めるというのは絶対に嫌なことだからだ。
家は個人的に絶対聖域である。
誰にも邪魔されず、心穏やかに過ごせる聖域を他者に侵害されるというのは言語道断だ。
正直言って家族でギリギリ大丈夫、といったところ。
なんなら住所を知り合いに教えることすら嫌だ。万が一押しかけられでもしたら、たまったものではない。
なぜそんなに自宅へ他人を招くことが嫌なのか?と聞かれたら、説明しにくいが、とにかく生理的に受け付けられない。
なんというか、自宅にある物の配置や散らかり具合などから、パーソナリティの深淵を見透かされる気がして落ち着かないからなのかもしれない。(単に汚いからとか衛生的に無理という話ではない。私はそんな潔癖ではない)
まぁ最悪半日レベルなら構わないが、友人といえど5日間も他人を泊めるというのは、あり得ない。
それゆえ、例の親友に限らず、家に来たいみたい的な話をされると「俺の家マジで狭くて申し訳ないから無理!!」と言って断固として拒否している。
こんな調子だから、もしかしたら向こうからは「そんな必死になって拒否しなくても、、」とか思われているかもしれない。
ちなみに5日間自宅に誰かが泊まりにくるのは嫌だが、反対に誰かの家に5日間も泊まりに行くのはもっと嫌だ。
おそらく3日目くらいで自分の家に帰りたくなって発作が起きるだろう。
以上より、彼と私との違いをまとめるなら、金銭感覚と遊びに対する体力と言えるだろう。
もちろん前から違うとは知っていたし、自分と違っていてすごいとは思っていたが、ここまで感覚が違っているとは思わなかった。
とはいえ、それだけで彼との友人関係をやめるつもりは毛頭ない。
一人として同じ人間はいないし、時が経つにつれ、人の価値観は変わっていくからだ。
それをいちいち気にして、自分とは違う!などと言っていたら誰とも関わることができないだろう。
だが、大学を卒業して数年経ち、似ていると思い込んでいた価値観が徐々に乖離しつつあるのを感じている。
学生時代は特にお互いにお金もないし、サークルの話や授業の話など、共通となる話題はいくらでもある。
しかし、大人になれば、住む地域はもちろんのこと、仕事内容ももらっている給料の額も変わってくる。
ましてや彼は公務員であり、私は現在無職の社会人学生だ。
立場の違いにより、金銭感覚に差が生まれ、元からあった僅かな違いがここにきて顕在化したのではないかと思われる。
金銭感覚や遊び方の違いは中々に根深い。
趣味の種類や対象が違うだけでマインドが同じならどうとでもなるが、同じものを体験したとしても、両者で全く異なる見方をしていたなら、その差は大きいだろう。
どんどん未知なる世界へ飛び込み、様々な体験をしたい親友とその辺でお茶でも飲みながら会話をしているだけで十分な私。
今後二人でどこかへ出かける際にも、一方は物足りず、一方は疲れて動きが鈍くなるという事態が起き、ストレスが溜まってしまうかもしれない。
それでも今はまだお互いに歩み寄れており、彼の寛大な性格もあって楽しく遊ぶことができている。
しかし、このまま互いに価値観がズレ続けていったなら、、、?
いつか別れの時がくるのかもしれない、、そのような寂しさが頭をよぎった休日だった。
最後に、ご報告遅れましたが、仕事は退職したものの、次働く先は決まりました。
とりあえず、永遠に無職という事態は避けられそうです。あとは来年の試験のみ、、!