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人生4分の1が終わったので、これまでの歩みを振り返る

本日めでたく誕生日を迎え、一つ年を重ねた。
この大変な世界を25年も生きたというのは、我ながら素晴らしいことと思っている。

というわけで、今回は人生100年時代と見るならば、その4分の1が終わったので、人生史をダイジェストで振り返ってみたい。

なお、私の人生には、思い出したくないことや、わざわざnoteで発信しても仕方のないことも多々あるため、そこらへんは適当に省略したり、ボカしたりする。

それでは始めよう。

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中学時代

いきなり幼稚園、小学生をすっ飛ばしたが、そのどちらも私にとって暗黒の思い出しかないため、省略させていただく。

さて中学時代だが、小学校の時と比べたらマシだったものの、つまらなかったの一言に尽きる。

特に嫌だったのは、クラス行事だ。

担任によっては、体育祭や合唱祭などのイベントにガチになり、それに同調して一致団結するクラスの雰囲気が嫌いだった。

行事の自主練をサボる者には、容赦なく非難が集まり、排斥するにも関わらず、それでいて必死に「みんなで1位とって、俺たちが最高のクラスであることを証明しようぜ!!」みたいなノリには寒気がした。

私個人は別にそれに対し反抗することはなかったが、どうにも昔から集団で何かを成し遂げるために一致団結するムーブメントが、全体主義を彷彿させるようで、生理的に受け付けないのである。(Fi優勢ってやつか??)

今となっては、みんなで協力して何かを達成する大切さは頭では理解したが、当時はその意味が分からず、普通の授業の方がマシだと思っていたくらいだ。

そこそこ友人もいたが、たびたび衝突した。皆あまりにも未熟で若かった故だろう。


また、中3の時にはぼっちを経験した。

今思い返しても中3の時のクラスのメンバーで、私が仲良くなれそうな人は一人もいなかった。そんな中、よく頑張ったと思う。

加えてSe劣勢に由来するものかは分からないが、副教科が全て苦手で本当に苦労した。

音楽の歌のテストでは、3段階評価でCをつけられたし、美術では頻繁に先生に怒られた。

家庭科に至っては、裁縫の課題など、全て母親にやってもらっていた。

他にも嫌だったことは数え切れないほどあったが、キリがないのでこんなものにしておこう。




高校時代

暗黒だった中学時代をさらに上回る苦しみを味わったのが、高校時代だ。

中学では高い均質性と同調圧力により不適合を起こしたが、高校ではそれらがなくなった代わりに部活と勉強の両立に苦しんだ。

第一志望の大学が高校に入る前から決まっていたのだが、偏差値がそこそこ高かったため、一般入試では不可能だと思っていた。

そこで考えたのが指定校推薦である。

その大学に合格するため、1年生の時から部活と勉強の両立を目指し、とにかく内申点を高くするよう努力した。

努力しただけに文系科目は大体クラス1位だったし、学年でも10番目くらいの位置にはいたと思う。

ただ、やはり個人的に勉強が好きな人ではないので、毎日発狂しながら机にかじりついていた。

内申点を上げるためには小テストレベルでも落としてはならず、毎日がプレッシャーの連続だった。

それでもって部活動だ。
部活は剣道部に所属していたのだが、とにかく練習が厳しくて、嫌で嫌で仕方がなかった。

暑くても寒くても関係なく練習し、先生には怒られ、後輩には実力でボロ負けし、何度も悔しい想いをしながら練習に耐えてきたのに、元が弱すぎるが故に、大会では必ず1回戦で負けるのだ。

先輩が引退してからは部長も任せられたが、あまりに不甲斐なすぎて、よく先生から怒られたものである。

しかし退部することはできない。
辞めてしまったら内申点に響くからだ。

成績はクラス1位で剣道部部長という華々しい肩書きを持っていたものの、心の中はいつも憂鬱で毎日が地獄であった。

とはいえ、結果的にその第一志望の大学に推薦で合格することができ、それは大きな成功体験となった。

この経験から、長期的なビジョンを持ってコツコツ積み上げれば、最終的には勝つことができる、という確信を得た。


大学時代

大学時代は中高に比べたら、はるかに楽しかった。

noteにたびたび登場する例の親友と出会ったのもこの時期である。

スタートダッシュは遅れたものの、順調に友人を増やしていき、サークルにも入会して、地味ではあったが、学生らしい飲み会にも参加した。

しかし1年生の9月に、とある精神病が再発する。
詳細は避けるが、この精神病は中々厄介なもので、小学校の時に2度ほどかかり、自力で完治させたのだが、今回は急性期は1週間ほどで治したものの、中々完治せず、日常生活に少なくない不自由さを与えられた。

(原因はおそらく急な環境の変化と次々出会う新しい人と付き合うのに疲れたからだと思う)

それ以降今日までその精神病を抱えながら生きているのだが、これを活かして新たな人脈も作られた。

というのも、大学4年生のときに、とあるメンタル系のオンラインサロンに入会し、全国各地に年齢も職業も異なる多数の友人ができたのだ。

そこで多数の大人の人たちと日常的に話すようになり、強烈に低かったコミュ力が少しマシになったり、同じように苦労してきた人たちの話を聞いたりすることで、人間的に成長できたと感じている。

現在そのサロンは退会してしまったが、今でも仲が良かった人とはたまに連絡し合い、進路の相談をしたり、遠方からこちらに遊びに来てくれることもある。


社会人1年目

無事留年せず大学を卒業した私は、とある営業会社に入社することになる。

文系の男性は営業職しかないと本気で信じていた当時、福利厚生の良さだけで入社したのだが、この会社では散々な目に遭った。

社風は超強烈な体育会系であり、上司が部下を叱責するのは日常茶飯事、やたらと飲み会が多く、結果が全てだという割には、理解不能な古き悪しき伝統がこびりついており、そこでも私は不適合を起こした。

今考えてみても、その会社で出世しているのは漏れなくES××タイプの人間で、N型の人間は島流に遭っていた。

このままでは間違いなく精神を病んでしまうと感じ、1年も経たぬうちに退職してしまう。

なおこの時期、人生初の恋人ができかけたのだが、度重なる心労によりドアスラムをしてしまった。縁を切ったことに後悔はないが、もう少しちゃんと話し合うべきだったと思ってはいる。



社会人2年目〜現在

社会人2年目は、最も平和であった時代だと思う。

結局その営業系会社を退職した私は、すぐにベンチャー系の企業に転職した。

社内の人は皆優しく、それでいて適度な距離感がありプライベートの話は一切しなくてよい環境であったため伸び伸びと仕事をすることができた。
(おそらく上司がENTPとINTPの中間で同僚がISFJとISFPだった。平和に決まっている)


しかし、会社の経営状況がよろしくなく、長年働ける会社ではないと考えたため、今年の7月に退職して、社会人学生となり、現在に至る。



以上が私の中学時代〜現在までのハイライトだ。

もしかしたら、やたらと苦労が多く、つまらなそうな人生を送っているなぁと思った人もいるかもしれない。

確かに人生は苦しいし、生まれ変わってももう一度同じ人生を送りたいか?と言われたら絶対にNOである。

ただ、それでもこの生きてきた軌跡は無駄ではないと信じたいし、これからもこれらの傷とトラウマを背負ってさらなる絶望に立ち向かっていかねばならないのだろう。

それが人生だよ、と言われたら「人生ってなんやねん」となるのだが、まぁ病みながらも大きな病気をせずに生きているということは素晴らしいことだ。

「お誕生日の割にはずいぶんネガティブな記事だな」と思うかもしれないが、これが通常運転である。


さて、今日は自分への誕プレとケーキでも買いに行くとするか。

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