【ためにならない記事】ちょっと憧れる世界の話
通勤の電車でiTunesをランダムリピートしていたら記事を書き始めた途端「昇龍拳が出ない(ザ・リーサルウェポンズの曲)」がかかり始めました、ヨシキです。
今日はタイトルの通り「大してためにならないこと」でも書いてみようかなって感じです。
いつも読み手に何かしらの収穫があるようにと意識して書いているんですが、
かえって「詰め込み過ぎ」になってしまい、読み手疲れるだろうなと反省…
バランス考えないとなぁ、って考えていました。
今日はいいや。開き直りました(笑)
電車に乗るとみんなスマホと睨めっこしているので、はじめは
「実は人とスマホが首輪で繋がれて、実は飼われているのは人間の方で…」
なんて怖い妄想をしていたんです。
(あながち間違ってもいない?)
私が気になったのは
「イヤホンで音楽聴いている人たちが何聴いてるか」
ってことなんですよね。
音楽版すれ違い通信的な何か。
街中で音楽を聴くと、すれ違った人に何を聴いているかを(任意で)共有できる機能とかあったらいいのになぁ…って
それきっかけでコメントしあったり、話しかけることとかできたらすごく楽しそう。
それに限らないんすけど昔のゲームっていいですよね。
据置の家庭用ゲーム機の時代、友達の家に行ってゲームをやる楽しさがあった。
(今はせいぜいLINE通話しながらオンゲーでしょ…)
あの時代はゲームをやるテレビなんてどこの家もリビングに置いていたし(しかもブラウン管だぜ?)、
友達の家族との会話だってあった。
お菓子とかジュース出してもらって、オレンジジュース床にぶちまけて謝ったりとか経験ある子少ないんだろうなぁ…。
ああいうのも一つの「生の体験」ってやつだったんじゃないかなって思います。
「自分の家族以外の家族と触れ合う機会」って実は子どもの教育にとってすごく大切なことなのだと思うんです。
(その手の話題は熱くなり出してしまうのでここまでw)
…さて、電車の話に戻りますが、最近はみんなスマホと睨めっこですよ。
7人がけの席に5人しか座っていない(座っている人の様子からしてソーシャルディスタンスを考えての行動ではない)とかよくあるし、中学生くらいの子供にもよく見かけるんですよね。
まさに視野が狭いというか。
「街を歩いていたらいつの間にか目的地に着いていた」
なんて事あるんじゃないでしょうか??
これって結構怖い事だと思うのですがどうでしょう…?
そこで「すれ違い通信いいな」って思ったのです。
何が良かったって生の体験なしには成り立たなかったことですよね。
ポケモンGOも同じようなものに当たるのかな?って考えが頭をよぎりましたが、
結局画面に縛られたら変わらないよね。って話、「ゲーム性」のために視野を奪い安全性や気づきを奪われたのでは?と考察しています。
音楽ならなおさら都合がいいと思う。
ふと顔を見上げても止まりゃしないし、顔を見上げて空を見ている時、通り過ぎゆく人を見る時、音楽の聴こえ方は変わり、奥行きを持ち、楽しくなるはずだから。
そんなサービスあったらいいな、もうあるのかな?
作ってくれる人現れないかな、出資者いたら先導して作ってみるのもいいな。
そんな世界に憧れるな、という話でした。
(テキトーに書くつもりがやっぱ熱くなりやがった)
今日はここまで、次は何の話をしようかな。
ありがとうございました。