M-1グランプリ決勝 魔物と爆発
M-1グランプリの決勝進出者が発表され、もう本番のM-1グランプリ決勝まであと数日となった。
準決勝は毎年熾烈で、日本一面白いお笑いライブと言われていて、M-1において決勝に残る事が大きなステータスでもあるから、最近は決勝進出者の発表も大きく注目されている。
和牛の敗退や、初出場コンビの多さなど、すでに大きな話題になっているが、今回僕が書きたいのは、1回戦〜準決勝までと、決勝との違いだ。
M-1グランプリの決勝は、
本当に残酷だと思う
生放送でこれからの人生が決まるという中で、松本人志や上沼恵美子などが見ているという、物凄い緊張感で行われる。
決勝に進出した漫才師たちは、
言わば準決勝まで今年M-1で全勝してきた人たちだ。
スベる事はなく、そこまで自分達の漫才が通用していたのに、決勝ではスベるコンビも現れる。
それは何故だろう?
明らかにM-1グランプリの空気感は特殊だ。
豪華で物凄く煌びやかなセット、ゴールデンタイムで放送され、ここでの活躍が将来を決めることは明白だ。
先程も書いたが審査員に松本人志もいる。
そして、何より大きいのが過去の歴史だ。
過去のスター達の名演が、観客、審査員、視聴者全ての記憶に刻まれている。
なので、
M-1の漫才はよく吟味されるのだ
この漫才はどういう意図で作られているのか、このネタ振りはどういうボケに繋がるのか、2人の息はあっているか、技術はあるのか、それとも斬新な切り口や発想なのか、そういったものを観客も審査員も自然と厳しく見ている。
なのでどうしたって、M-1の決勝は普通のお笑いライブとは全く違う空気になる。
会場が温まってウケていても、
観客はどこか冷静なのだ。
ウケながらもこれは優勝じゃないなとか、冷静に判断している。
ウケていても審査員の点数は高くなるのかなど何か見えないものを内包した不思議な空気感がある。
それがここ最近顕著に出るのが、
ブラックなネタに関してだ。
普段のお笑いライブは密室的空間で、
勿論ほとんどのライブがテレビで放送される訳では無い。
しかし、
M1グランプリはゴールデンタイムの生放送。
このネタは大丈夫なのか?
流していいものなのか?
笑っていいものなのか?と
慎重な姿勢で観客も見ている。
去年も、スーパーマラドーナのサイコな人間が出てくるネタや、ギャロップのリアルなおっさんのハゲネタなどは明らかにそういうブラックな部分を笑っていいのか?
という見えない空気感に負けた感がある。
特に、予選でギャロップは同じネタをやって、物凄いウケをさらっていたのにも関わらず 、(YouTubeで見て僕自身優勝候補とも思える程、おもろかった。)
M-1の決勝では爆発しなかった。
それ程、M-1には歴史があり、見えないルールがあるのだ。
ただ、面白い漫才では駄目。
色んな見えないルールを超えた、
M-1の漫才になっているかが重要なのだ。
そして、M-1の漫才というのは、準決勝までの漫才と決勝の漫才では求められるものがまた変わってくるのである。
しかし、M-1は厳しいだけかと言えば、そうでもないこともある。
M-1決勝の漫才は、そういう見えないルールがある中で、
斬新なスタイルや発想には物凄く相性が良い
第1回目から全くの無名であった麒麟、
そして、M-1の申し子ともいえるダブルボケの笑い飯。
今では引っ張りだこの、山里亮太率いる南海キャンディーズも結成1年6ヶ月で、今流行りの突っ込み回収型の先駆けともいえる漫才を披露していた。
そして、春日のキャラクターを知らしめたオードリー、第一次M-1終了年の2010年に現れたスリムクラブも今まで見た事のない程の間を持った漫才を見せつけた。
昨年までの常連の、ジャルジャルは今まで誰も考えつかなかったような発想で毎年M-1グランプリを沸かせ、そして、昨年唯一の吉本外事務所の参戦だったトム・ブラウンも最高のインパクトを残した。
このように、新しい漫才、
見たことも無いような漫才には、物凄く寛容なのがM-1の特徴だ。
そんなの1番面白い漫才を決めるのだから、斬新なのが当たり前だし、発想が全てだろうと思う人もいるかもしれないが、それは違う。
現に、M-1では毎年の様に決勝に残っていた笑い飯も、同時期の爆笑オンエアバトルでハマっていたかというとそうでは無いし、M-1で名を売った漫才師、特にアクの強い個性を持った漫才師達は、意外と当時オンエアバトルでは良い成績を残せてなかったりもする。
M-1において、一番面白い漫才を決めるという当初からの目的は、今から考えると当たり前のような事に聞こえるが、劇場レベルで考えるとルックスが良い方が人気があったり、斬新ではないが小器用な漫才師が評価されていたりもする。
圧倒的な発想や斬新さがあれども、それがライブシーンや劇場でちゃんと評価されるかはまた別であって、M-1での活躍を期に、そのスタイルが理解され人気になる事が多い。
なので、漫才において新しい発想や斬新な切り口を持ったニューカマーはM-1という舞台は自分達のスタイルを世に知らしめる最高の舞台なのだ。
色々と話しているが、
じゃあどんな漫才がM-1に愛される漫才になるのかを、ここからは紐解いていきたい。
M-1グランプリで優勝や、好成績を上げた漫才師たちは、少なくともその1年M-1の決勝をイメージして自分達の漫才をM-1の決勝の為に狂気なほどに仕上げている。
昨年、彗星の如く現れ今ではお笑い第七世代を引っ張る存在になった霜降り明星は、M-1の決勝ネタの"豪華客船 "を仕上げる為に、1年間、毎月その為だけにライブを開き、毎月豪華客船のネタをやり、良いボケやツッコミを出し合い、その良い部分を抽出して、作り上げた1年間の集大成らしい。
だから、1本の漫才を作るのにとてつもない程のボケをボツにして、物凄い時間と労力をかけて作った力作であり、最高傑作である。
2005年の覇者、ブラックマヨネーズは、その年の優勝ネタを完成させてからは、自分達の中でその漫才の新鮮さ、鮮度が落ちてしまう事を懸念して、あまり劇場ではやらなかったらしい。
なので本番では、あれだけの爆発を起こした。パッションを鮮度と共に自分達の中で保っていたからなのだ。
フットボールアワーや、チュートリアルという2組の優勝者達は、一回目のM-1で思った成績が残せずにショックを受けてからは、漫才の作り方自体を変え、この2組もM-1仕様の漫才を自分達の中で生み出し、優勝した。
他にも、順調だった大阪での仕事を捨てM-1に賭けて東京に上京し、その年のM-1グランプリを優勝したNONSTYLEなど、狂気な程にM-1の為に自らを捧げて漫才に取り組んで仕上げてきたエピソードが多い。
それ程までに、M-1の舞台は夢であり、漫才師にとって今後の人生を決める場なのだ。
過去の優勝者達は、それ程までに血の滲む努力と、漫才師としての技術を存分に見せてきた、その歴史がある。
そして、
当日の観客も審査員も視聴者もそれを知っている。
その事実は、あまりに重く、それが、魔物が存在する理由だ
M-1決勝の漫才は、どこまで練りにねっても、それがやり過ぎになるどころか、ハマれば間違いなく評価される。
M-1で魔物に捕まる漫才は、総じて展開不足、策が足りない事が多い。
勿論、漫才の技術もあるが、
普段の劇場やライブで見過ごされている構成の甘さ等を存分に、
しかも、ゴールデンタイムの生放送で突きつけられる。
準決勝まで爆笑をかっさらっていた漫才が、本番でイマイチだったり、スベったりするのは、ここまででも何度も言っているが、M-1グランプリ決勝の漫才の基準があまりに高いのだ。
正直、決勝に上がる漫才師達は、
今、劇場やライブではそうそうスベるなんて事は無いエリートだと思う。
いや、決勝と言うか準決勝に上がっている漫才師たちは、普段ネタをする場所では間違いなくウケをとっている、漫才師として優秀な人達だ。
M-1グランプリ創始者の島田紳助氏も、そもそも劇場等で受けるのは当たり前だと言っている。
自身も、紳助竜介の解散時にウケなくなっていたという訳ではない。
紳竜解散の引き金の1つになった、ダウンタウンの松本人志も、紳助竜介がパワーダウンしていたなんて思ってもいなかったと思うし、松本人志自身も紳助竜介と同じ舞台で勝負したかったと語っている。
ビートたけしのツービートも、
傍目には順調だったが、もう漫才は駄目だとラジオなどのピンの活動にシフトチェンジし、それを聞いた島田紳助もその理由が分からないと当時思っていたらしいが、数年後に自分達の漫才も駄目になった時を悟ったという。
このように超一流の漫才師達は、
劇場やライブのウケでなんて自分達の実力を図っていない。
島田紳助氏も、
「漫才をやる時に目の前に座ってる女の子じゃなくて、カメラのレンズの向こうにいるコタツに入ってテレビを観てる兄ちゃん達を笑わしにかかれ」と本で述べている。
要は僕が言いたいのは、M-1準決勝まで進めるレベルの芸人達は、劇場やライブではバカスカホームランを打っている差をつけられないレベルにある漫才師達で、そのスラッガー達を冷静に評価して、そこに大きな差を付けるのがM-1の決勝である。
ここが実はあまり語られない、M-1決勝の肝だと僕は思っている
それはそうだ、語れる人間がまず居ない。ほとんどの漫才師達はM-1の決勝に上がれていないし、上がった人間や優勝した人間ががこんな事を言って得は無い。
だからこそ、全然関係の無い僕は思うのだ。
M-1決勝で負けた芸人が、何故このネタを選んだかという問いに対して、ウケを優先させたと言っている事が多々ある。
これは恐らく普段の劇場やライブでの自分達の感触で、これが自分達のウケるネタだと思ってM-1でもやるのだろうが、
それは過去の優勝した漫才師達から考えると、そんな基準で自分達の漫才を作っていない。
普段のウケとは違う、もっとM-1の決勝という、M-1の決勝での爆発を見据えた自分達の基準で漫才を作っている。
それは先程述べた、霜降り明星やブラックマヨネーズ、そしてM-1の洗礼を肌で感じたフットボールアワーやチュートリアルは正しくそうだと思う。
M-1の舞台というのを見誤っているから、スベったりするのだ。
それは普段の劇場やライブでの自分達のホームランの幻影を追っているからだと思う。
しかし、
M-1決勝の舞台は普段とは全く違う場所だ
M-1の覇者達は、負けた漫才師たちより明らかに高く、M-1の基準を設定している。
だからこそ勝てたのだ。
だからこそ、あの舞台で爆発する程のウケを取れたのだ。
それ程までに狂気に取り組んだからこそ、あの大舞台で爆発をしたのだと僕は思っている。
それ程までに、普段の舞台とは違うM-1の決勝も、今回は初出場が7組と多い。
今年のM-1準決勝の審査基準は、明らかに準決勝でのウケを優先して選んでいると思われるので、こういうメンバーになっているが、過去決勝に進んで今回M-1準決勝で負けた漫才師達はどう思っているのだろうか?
M-1は初出場でまだ知られていないコンビはチャンスである。
知名度の無い全国的に初見のコンビは先入観無く自分達の漫才を見て貰えるので、ぶっちゃけ一番のチャンスが初出場時だと思う。
今回の初出場組の中に、その恩恵を受け優勝できるコンビはいるのだろうか?
そして、
奇しくも実力派揃いとなった敗者復活戦。
そして、
M-1の決勝の舞台を何度も経験し、誰もが優勝者達と変わらぬ存在と認める和牛はどうなるんだろうか?
M-1の決勝の舞台には、魔物が存在する
それは過去の漫才師達が魅せた名演が、生半可な漫才をはじき飛ばしてしまうのだろう。
そして、M-1決勝の舞台はハイライトとも言える爆発を起こす漫才を起こす漫才師達が毎回ほぼ必ず現れる。
その漫才師達は、決して普段の舞台でのウケでなどM-1を考えておらず、物凄く高い所にM-1決勝の基準を置き、自分達の漫才を狂気なまでに研究し、自分達の中でM-1決勝の舞台をしっかりと見誤らずに描けた漫才師だと、僕は思っている。
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