志村けんのコントが流れる、当たり前の日常。

小さい頃から見ていたというのが、恐らくこれほど当てはまる日本のコメディアンはいないだろうという、志村けんが亡くなった。

亡くなってから、爆笑問題の太田が「国民全員が遺族みたいなもの」と言っていたが、
まさにそれに当てはまる、当てはまりすぎるのが志村けんだ。

世代を越えて愛された喜劇王
について、今回は自分なりに色々と考察していきたいと思う。

まず先程も書いたが、
世代を越えてというのが理由として当てはまり過ぎるのは、志村けんがドリフターズに加入して第一線で活躍し始めたのが1974年だからという事だ。

今の芸能界において、
その頃から活躍していた、タレントはもはや数える程しかいない中、当時から今までずっとお笑いの超第一線にいるのは志村けんぐらいだ。

年上のビートたけしやタモリですら、
世に出ていない頃からテレビに出続けているというのは、今回、亡くなってしまって改めて気付かされ、そういえばそうだったと思った。

それくらい当たり前に、
日本国民の中に志村けんはあったし、志村けんのコントを1度も見た事ない人を探すのは難しいくらいに、世間に認知されていた。

そして、
その存在はあまりにポップでキャッチーだった

バカ殿や変なおじさんなど、志村のやってきたコントは一言相手に伝えると相手はコントの空気感までイメージできる。

他の大物芸人と比べると、明らかに志村けんはずっと同じ事をやり続けてきた。

もちろんコントの中での革新は、
色々あったがバカ殿、変なおじさん、ひとみ婆さんなど、皆がみたいものを志村には絶対に見せてくれるという安心感がどこかにある。

漫画で言えば、少しこち亀に似ている。
圧倒的に認知されている愛されるキャラクター

そして、人間の欲望を素直に表していてマンネリを越えても続けてきたという意味でも、両津勘吉と志村けんのコントは被る所がある。
あと余談だが、作者の秋本治と志村けんも顔が似ているw

話を戻すと、
舞台の志村魂でも、頑なに同じものをやり続けていたらしい、そして志村は「まだ、全国には見てない人がいるからやり続けるんだ」と脚本をしていたラサール石井に言っていたらしい。

つまり志村けんは、確信犯的にある意味戦略的に、同じ事やり続けてきたのだ。

一流の表現者が同じ事やり続けるのは、実は難しい。

一流であるが故に自分の才能を色んな形で表現したくもなるし、一流であるが故にその繊細な感性から時代の空気をビビットに感じてしまうものなので、大きな変化をする事の方が多く、そして、逆に変化をしないと生き残れない事も分かっている。

志村けんの中でも、志村どうぶつ園などは昔の志村のイメージには無かったもので、時代に合わせて志村けんというコメディアンも変わってはいったが、バカ殿やだいじょぶだぁなどのコントを地上波のゴールデンというど真ん中で何十年と守り続けた。その事実は圧巻だ。

志村の中で変わらなかった根っこにある喜劇、コントへの情熱とそれを表現する力、
やり続ける事の凄みを志村けんに対して感じるし、やり続けるという事は変化するより逆に難しい事なんだと改めて感じさせてもらった。

ここで一先ず最初に戻ると、
世代を越えて愛された喜劇王。

一応、ここまで(世代を越えて)の部分を自分なりに分解してきたが、ここからは愛されたという部分を深堀していきたい。

志村けんのコントのキャラクターというのは、他の芸人のコントのキャラクターよりも間違いなく愛されている。

愛される要素が、他の芸人よりも多いのだ。

僕は世代的にも、ダウンタウン世代で正直ダウンタウン信奉者だ。

それは、今の中堅芸人がほとんどダウンタウンに憧れて芸人になったように、僕の中でもコントと言えばごっつええ感じのコントが今でも一番レベルが高いと思っていたりもする。

ただ、誰もが認めるダウンタウンのコント、
僕も腹を抱えて笑ったダウンタウンのコントだが、そこに愛されるキャラクターがあったかと言われるとそれは疑問だ。

ごっつええ感じをやっていた当時は、ダウンタウンもイケイケでかなりブラックなコントも多かったので、愛されるキャラクターを作ろうとしていたとは思えないが、面白いけれどそこに愛せるものは自分的にはあまり感じなかった。

でも、志村けんのコントはひとみばあさんにしろ、バカ殿にしろそこにかわいげがある。

志村けんのコントのキャラクターが愛される理由として紐解くとするならば、志村けんのコントのキャラクターにはどれもモデルになった人や演劇などがあるという事だ。

ひとみばあさんもモデルが実在するらしいし、バカ殿も歌舞伎の一条大蔵譚のパロディらしい。
そして、変なおじさんの時の変なおじさん〜という歌は、ハイサイおじさんという沖縄民謡を元としている。

このように、元となるものがあって作られただけに志村けんのコントには一見ムチャクチャに見えても、他にはない不思議なリアリティがある。

そう考えると、ダウンタウンのコントのような発想の鋭さや、尖ったギャグなどは愛されるコントという目線で考えると実は諸刃の剣で、
志村けんは現実や日常というフィールドを飛び越えないように、キャラクターとして愛される要素が無くならないように、そうやってコントのリアリティを守り、キャラクターを守って来たのかもしれない。

志村けんのコントはかなり緻密に作られた、コントの世界観とキャラクターなのだ。

と、ここまで自分なりに志村けんが世代を越えて愛された喜劇王たる所以を語ってきた。

最後にここからは僕の個人的な志村けんへの気持ちを語りたい。

僕は、志村けんのコントの中で一番子供の頃に印象に残っていたのは、宗次郎の曲をBGMに大切な人の死を描いたシリアス無言劇のコントだ。

本当に自分も幼い頃泣いた。

志村は持論として、笑わせるより泣かせる方が簡単だと過去に言っていた。

でもそれは志村けんにとってはであり、
高い演技力と、表現力を持ってしての才能だったと思う。

そこを志村にもっと見せて欲しかったという思いが僕にはある。

あのシリアス無言劇で見せた、大切な人を失ったサラリーマンなどの佇まいを映画で見たかった。

シリアスな姿を、笑い無しの映画で世界に発信して欲しかったなという残念な思いはある。

きしくも映画の撮影が入っていた矢先の出来事だったが、もっと早く映画俳優として目覚めていれば、そんなシリアスな姿も映画で見れたのかなというifを個人的には見たかったなと思う。

季節が変わる度にバカ殿が放送されなくなった日常に寂しさを感じるだろう。

志村けんのコントがテレビから流れる事は、日本人にとって当たり前の日常だったと失って改めて思った。




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