マスクを買いに並んでみた日①
2020年3月に、マスクを買うために早朝の列に2回加わった。この文章はその時のことを残してみようと思って書いている。
家族にハウスダストアレルギーがおり自分が花粉症なので、マスクの買い置きは家に少しあった。が、家族も自分もまだ通勤しており、この勢いで毎日使うならストックが底をつくという心配があっただけでなく、息子のひとりがマスク習慣のない地域の海外に住んでいて、かの地で必要になったときにまず入手できないだろうから送らなくてはと考えたのが、並んでも買おうと決めた主な理由だった。
その数日前、目薬か何かを買うのに近所ではあるが普段は足を踏み入れないドラッグストアにふらりと入って、会計の時にふと「マスクって全く入荷しない状態なんですか」と尋ねてみたら、「いいえ、基本的に毎日入りますよ。入らないのは週1回だけです」と思いがけない返事が返ってきた。「ただ、自分が開店1時間前に出勤すると、もうけっこう並んでおられますね」と。それでこの店に開店時に並べば買えるかもしれないと思った。うまくしたら息子の分だけでなく自分たちのストック分も買えるかも、と期待した。どのくらい入荷するのか、尋ねもしないで。
1回目は通勤日の朝。ドラッグストアの開店が9時、自分の勤務開始時間は遅めでそのあとそのまま出勤すれば間に合う計算なので、仕事に出る準備を全て整えてコーヒーを1杯飲んで7時半に家を出た。
果たして店の前にはすでに8人並んでいた。自分は9番目。これなら買えるかな、と思った。並んでいる人は男性が多い。老人ではなく壮年ぐらい。小さい老婦人が前のほうにひとりふたり。最後尾に加わると、前の前にいる男性がまわりと話をしていた。「…のところの店は、入荷する日がすくないんだよね」「…は、先週並んだときは、箱のは2人分しかなくて、あとは10人ぐらいみんな3枚とか7枚入りの袋だったんだよ」「早くから並んで3枚だと、がっかりしちゃうよねえ」「この店は先週は割と多めに入荷してたよ」
ここにいる人たちは、どうやら百戦錬磨なのだ。地域のあちこちのドラッグストアに並んでいて、たくさん情報をもっている。そしてそれはつまり、すでに何度も買っているのに、それでも並び続けているということだ。
春めいて暖かくなり始めていたその週の、この日はとても寒い朝だった。風が強く、日の当たらない歩道でただ立ち続けるのは結構つらかった。でも、この時点ですでにふたつの情報が得られた。こういう列の前のほうに並んでいる人たちは、まず「常連」であること。そして、マスクの入荷は数十枚入りの箱が詰まれるような規模のものではなく、わずか数箱で、あとは枚数の少ない袋ものしかない可能性があること。それどころか、列の後ろのほうであれば、3枚入りの袋すら買えない可能性があること。
この時点で自分は状況を相当甘く見ていたことを悟った。たとえ朝7時半から並んでも、買うことさえできればなんだろうと御の字だ、と考えなければいけないのだ。寒さに足踏みしながらひたすら耐えていると、少しずつ日が高くなりビルのすき間から日光が差し込んできた。そうするうちにドラッグストアの開店準備が始まり、外置きのかごやワゴンが配置され、そして開店15分ほど前に、ドラッグストアの白衣の店員が我々の列に近づいてきた。
近づきながら彼女は説明した。「今日の入荷は8点です。8番目の方までしか購入できません。今から購入できる方に整理券を配ります。」
えっ。
並ぶ人が少しずつ増えていく間、何度も何度も自分の順番を数えて確認していた。自分は9番目。そして白衣の店員は、ぴったり自分の前の人まで整理券を配り「ここまでです。後はお並び頂いてももう今日の分はありません」といった。
この日自分の後ろに並んでいた人は10人ぐらいで、そんなに長い列ではなかったけれど、でも整理券をもらえなかった我々は呆然とあきらめるしかなかった。寒い風の吹きすさぶ中1時間ちょっと並んだぐらいでは、マスクが買えるとは限らないのだ。ともかく開店前に結果が判明したのでいったん家に取って返し、温かい紅茶を飲んで人心地をつけ、そのまま出勤した。1回目のトライはそんなわけで惨敗だった。