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君の絵

先日私生活で結構なやらかしをしてしまい、推し活で張りつめていた気持ちの疲れもドッと出て何もできなくなってしまいました。

落ち込むと絵も描けなくなるんですね。
いつもは出来ていた30秒ドローイングの練習も、いざやろうとしても全然形を捉えることが出来なくなってしまって、何も描けなくなりました。

Xも投稿できませんでした。
自惚れかも知れませんが、Xの投稿は常に推しに見られることを意識していて、あんまり暗いポストをしないようにしようという自分の決め事もあって、うかつなことも書けないし心配をかけないためには書かないことが最善かなと判断した結果でした。

と同時に、オタ仲間が言っていた言葉を思い出しました。
「こんなに辛いを思いをするなら、出会わない方が良かったんじゃないか…」
言われたときの自分は「そんなことはないよ!」と言って励ませたのですが、いざ自分がこんな状況になってしまうと、推しのために何も出来ないしこんな情けないやつに推されても推しは嬉しくないんじゃないか、、、とどんどん落ち込んでしまいました。

ただ、時間は待ってはくれません。
推しの卒業までもう一か月を切りました。

何日かぼんやりとすごし、ちょっとずつ気持ちが回復していく中で、自分の気持ちを救うには結局、今一番描きたい絵を描いたらいいじゃないかと思うようになりました。

ペンを取り下書きを始めると、また絵を描く時の感覚が戻ってきていたので安堵しました。自分にはこんなことしかできないけど、きっと喜んでくれるだろうか。

理想の絵を描きたいと思う中で、ここ数か月は絵の練習をしていました。70日以上続けている30秒ドローイングもそうですし、柔らかい印象の絵にしたくて、SNSで見つけた素敵なイラストレーターさんの絵を模写したり、色合いの研究をしたりしていました。

あとは人物の背景にお花を描きたくて…
知り合いのお花屋さんに相談して花束を作ってもらいスケッチしたりいろいろしたのですが、これがとても難しいのでした。花弁が多いものを精密に描き写してもくどい描写になってしまうし、シンプル過ぎてものっぺりしたものになってしまいます。なので、絵としてある程度のデフォルメを行わないといけないようなのです。
また、とりあえずお花を花瓶に飾ってみても、絵の中心には人物が来てしまうので、そのまわりにうまい具合にお花を飾るには結局実物とは別にイメージで配置するしかありませんでした。

そうやって練習や下準備、試行錯誤を重ねて出来た絵がこちらです。

新潟の推しグループRYUTist(リューティスト)です。12月に全員卒業します。

描き終えたとき、結構勝手に救われた気になっていて、ずっと描きたかったものがちょっとでも目の前に表現することが出来たと思いました。

推しへの愛って自分では見えなくて、あまつさえ本人がどう受け止めているかも聞きようがないので、周囲の仲間たちからどう見えているかということでしか確認しようがないのです。
なんか変に迷惑に思われてないか、気持ち悪くないか、常識の範囲内か…バランスのとり方が心配で、いつも綱渡りしているような感覚です。

でもこの絵を見た同じファンの仲間たちが「いい絵ですね!」「愛が詰まってますね!」と言ってくれたのと、ファンでなくてもお知り合いの方が「ひやまさんの中でその方たちをどう思っているのか、伝わります」と言ってくれて、嬉しくてこっそり泣きました。
推したちにもなにか伝わっているといいな。


誰もが文字を書けるように、絵を描く力って誰でも持ってると思っていて。
結果的に絵という手段を選択してきたかどうかだけだと思っていたんです。
ただ、一度落ち込んで描けなくなった経験を経て、技術だけあっても描いて表そうという意志がないと描けないのだなと実感しました。
逆に、別に技術は無くたって意志さえあれば絵は描けるのだと思っています。この絵を描いて「推しに伝わってるかな~」なんて心配しているので言えた義理ではないんですが、その意志があればきっと推しは喜んでくれるのだと思います。

ファンアートのプロジェクトも立ち上がったみたいです。
気持ちを伝えようってたくさんの方が参加してくれればいいなと思っています。


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