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究極の愛とは「罪の共有」である
これは「Nのために」のドラマ内で何度も繰り返される主人公の思う愛のカタチ。このドラマは原作が湊かなえなだけあって、完璧と言っていい程の完成度だった。
誰か大切な人と「罪の共有」をしたことはあるだろうか。
作中では、主人公と主人公にとって大切なN(同じ島の同級生)が、互いの為に、互いを庇うために、大きな嘘で全てを隠し通そうとする姿が描かれている。
共犯ではなく、罪の共有。
物語の鍵となるのは「嘘」で、嘘が物語の結末を大きく左右するのである。「自分を犠牲にしても自分の想うNの為に行動すること=愛」だという。
ドラマの概要はさておき、Nのためにを改めて観て、自分の中の考えが少し変わったような気がした。それが具体的に何かは分からない。ただ漠然と「愛」に対しての理解が深まったというか、逆に薄まったというか。知っているようで何も知らなかったんだなと思わされた。
愛を全く知らない訳では無い。究極の愛なのかは分からないが、それなりに愛をもって接する相手もいる。しかし、相手の罪を半分受け持つ心があるのかと言われると難しいかもしれない。
ドラマでは、愛が人を苦しめ、人を変え、歪んだ考えを生み出すということを教えてくれた。
結論何が言いたいかと言われるとそれも曖昧で、ただドラマを完走して訳も分からず苦しいこの気持ちをどうにか吐き出そうとしているだけである。
本当に一度見て欲しい。
最初から最後まで重苦しい内容だが、一人一人の心情が上手く映し出されていてどれも美しい。
最近で言うエモいという感情が丸出しなドラマで、島の素朴で自然溢れるどこか寂しい印象から、上京して新しいものを目にする主人公の前向きな気持ち。
その全てが儚く切なくて、愛に苦しめられ、自分のついた沢山の嘘に毎日悩まされる。
学生の頃のシーンは、定番な自転車の2ケツや、主人公と同級生である成瀬くんが火事を眺めながら手を繋ぐシーンなど言葉にできない良さのある演出で、大人になってからのシーンは、全員が自由を求めて生きようとしているのにどこか孤独な印象を受けた。
人は一人では生きていけないのだという教訓と、罪を共有することが誰かにとっては大切な愛のカタチであることを教わる。そんなドラマ。
私もそんな究極の愛が見つかるといいな。自分が犯した全ての罪、それが例え小さな罪だとしても、その辛さと苦しみを分かち合える存在がいつか現れるといいな。そんな淡い期待を胸に、長々とお気持ち表明してしまったので寝ます、おやすみなさい。
P.S. Nのためにのサウンドトラック「for.N aNother
versioNーvocal」が忘れられないくらい良いから是非聴いて欲しい。Nだけ大文字なのも何か分からないけど良いし、切なくて一生耳に残る、ドラマを見ると、より。
では。