バンコク市内、35kgの荷物を背負って死の行軍【地球探究②】
ほんとうは写真をいっぱい撮って、旅先の臨場感あふれる記事にしたいのですが、荷物が重すぎて、それどころではありません。
荷物の重さのヤバさを認識したのは、上海で地獄のトランジットを何とか成功させ、バンコクのドンムアン空港から、空港近くの宿に向かう道中。時刻は22時過ぎ。距離は1.5kmくらいだったので、歩けるかな?と思い徒歩で出発。しかし、歩道橋を渡るために階段を登ったところで、一歩も歩けなくなってしまいました。
全身から脂汗が噴き出し、体中が「もう無理!」と悲鳴を上げています。吉祥航空の預け荷物の枠が広いのをいいことに、野宿ができるキャンプ道具やら、バイク用のヘルメットまでも、日本から持ってきていたので、たぶん、全部で40キロ近くあったのではないかと思われます。
3回ほどの休憩をはさみながら、何とか夜更けの歩道橋を渡り切ります。ここが治安の良いタイで、ほんとうによかった。治安の悪い国なら、たぶんこの時点で、身ぐるみ剥がされているはず。
歩道橋を降りたところで、ベンチに座っていたタクシーの運転手が、話し掛けてきてくれ、結局、宿まで乗せていってもらいました。宿まで100バーツ。日本円で400円ほど。最初からこうしておけば良かった。
翌日。今日は、ドンムアンから鉄道でバンコク市内のエッカマイ・バスターミナルまで移動し、さらにバスでタイ南部のパタヤまで移動します。少しでも荷物を軽くするために、いくつかのアイテムを宿に寄贈することにします。熱帯では無用であろう秋物のジャケット、長袖のシャツ、ノリで持ってきたカメラの三脚に別れを告げ、宿を発ちます。
宿からドンムアン駅までバイクタクシーで移動。ほんとうはもっと中心部まで送ってもらいたかったけど、こちらの意図が通じず、はるか天空までそびえたつ、地上四階建てのドンムアン駅の高架下で降ろされてしまいます。
ここから、35kgの荷物を背負い、灼熱のバンコクを突破するという死の行軍が始まります。階段、乗り換え、また階段、乗り換え。もちろん、バンコクに来たのはこれが初めてです。土地勘もなく、鉄道の乗り方も分からず、迷っては人に聞いて、また迷って、あっちに行ったり、こっちに行ったり。無駄に歩く距離が延びます。
もう、写真を撮るとか、観光とか、そんな次元ではなく、生きるか死ぬかの戦いでした。なぜドンムアン駅の出発ホームは4階にあるのか。なぜモーチット駅への乗り換え通路はあんなに遠いのか。なぜエッカマイのバスターミナルは駅からすんなりと行ける構造になっていないのか。バンコクの交通工学を呪いながら、何のために戦っているのか全く不明な戦いを続けます。もちろん、ほんとうに呪うべきは、巨大な荷物を持ってきてしまった自分自身ですが。
慣れている人ならば、おそらく40分ほどの道のり。しかし、荷物の適切な取捨選択のできない愚か者は、2時間以上掛け、ようやくバスターミナルにたどり着きました。途中、荷物を放り出し、立ちすくむこと十数回。二日目にして、「帰国」の二文字が頭をよぎること数回。前にも後ろにも巨大な荷物を背負い、青白い顔ではあはあ言っている外国人を、バンコクの人たちはどのように見つめたのでしょうか。
ともあれ、何とか死の行軍を生き延び、パタヤ行きのバスに乗り込むことができたのは午後2時。重い荷物から解放されて、初めてバンコクの景色に目を向ける余裕が生まれます。バスの窓の向こうには、日本とは明らかに違う、東南アジアの都会の風景が広がっていました。見慣れない文字で書かれた看板。路地から通りへ、また路地へ、縦横無尽に行き交うバイク。道いっぱいに広がる露店。
旅を続けたいなら、この荷物をどうにかしなければ。荷物を減らすことができないなら、せめてもうひとつスーツケースを買って、重さを分散させることはできないだろうか?そんなことを考えながら、一路パタヤへ向かいます。
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