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自己顕示欲

 私は、大学以降自分を卑下することが増えた。
 「自分なんて、、、」とか「どうせ、、、」とか他人と自分を比べた時に生まれる劣等感によって、自分を低くランク付けすることでどうにか今まで生きていきた。

 しかし、昔から劣等感ばかりだったわけではない。

 小学生の頃は、自分を卑下するなんて思考もなく、目立つということに対してわざわざ自分から向かっていくような人間だった。
国語の音読も率先して、手を挙げて読む。社会の時間に「日米修好通商条約」が噛まずに言えることをみんなに自慢したいがために、そのワードが出てくるたびに代表して、そのワードが言えるタイミングが無いかと待ち構えていた。

修学旅行のバス移動の時、車内のカラオケで「嵐」を数曲、率先して歌ったことがある。さらに、それは周りのウケが良くて調子に乗って、その年の年末ごろに行われた全校で行う忘年会みたいな場で、クラスメイト4人を引き連れて、「嵐」の『Monster』を披露した。

その練習も、おそらくノリノリで行い、ノリノリすぎて若干周囲から冷ややかな目線で見られていた記憶は微かに残っている。


 中学生からは、バスケを始めた。その頃から休みの日にクラスの男女で遊びにいく機会が増えることで、カッコつけ始めることになる。

 服は基本的に、母親が買ってきていたがそれについていくようになったり、あれがいい、これがいいなどと自分の好みが出てくるようになった。

また、中学生の私は身長が小さく、童顔であったため女子からかわいいかわいいともてはやされていた。それに対しても悪い気はせず、むしろチヤホヤしてもらえることが嬉しかった。


 高校生の私は、何か他とは違うことがしたいという意志が出てくる。

 まず、服を自分で買いに行くようになった。ユニクロ、GU、right on。その辺の高校生でも手を出しやすいお店に行った。

 しかし、高校生の私はセンスがなかった。やはりどこかで"目立ちたい"という意欲はあって、とりあえず派手なものとか奇抜な柄のものを選んで、痛々しい色味のコーデを完成させていた。

 覚えているものを2つ挙げてみる。
 ・信号機コーデ
 GUの赤いデニム、黄色の薄いセーター、青いニットカーディガン。
 (おそらく当時はこれが最先端のおしゃれだと勘違いしていた。)

・自衛隊
ユニクロの迷彩のポロシャツ、どこかの迷彩のハーフパンツ、GU?の迷彩のスリッポン。
(迷彩にどハマりしていた時期で、恥ずかしげもなく全身迷彩を楽しんでいた。ちなみにこの頃、リュック、財布、筆箱も迷彩である。)

 高校3年の最後の運動会の応援合戦では、みんなでやる振り付けがやりたくなさすぎて、太鼓役をした。私の叩く太鼓に合わせて、みんなが振りをするその太鼓役をした。太鼓役は私一人で、その唯一無二感がたまらなく心地よかった。

 また、三年間を通してLINEのタイムラインでコンビニやスーパーで気になった商品をレビューしていた。結局、三年間で100個もの商品を独断と偏見でレビューした。


 大学に入り、数年はただ漠然と"目立ちたい"という気持ちは残っていて、体育の授業ではGUの全身真っ赤のスポーツウェアを着たり、髪を金髪にしたりした。

 そして、しばらくして古着というコンテンツに出会う。この古着がのちの私の価値観や考え方を大きく変え、色々な人と出会い、今の私へと繋がっていることとなる。

 古着は、その数も種類も無数にあるのに自分の色や個性をズバッと出せるという点で、自分を魅せることができた。
それは、単に奇抜であるとか、派手とかではなく、基本のバランスは守りつつそこに自分の好みや個性を出していくことが楽しくてしかたなかった。

 女の子にモテたいという浅はかな、欲求ではなく私は老若男女全員からおしゃれだと思われたい。

 しかし、おしゃれという世界は甘くない。たくさん自分よりおしゃれな人と出会ってきて、まだまだだなと沸々としながら、日々おしゃれを楽しんでいる。


 着飾るという、自分を魅せることをしてもなかなか私自身を評価してくれる人はいなかった。(同性は除く)。
 そういった、努力が結果に繋がっていかないことが続いたゆえに、自分て何て惨めな人間なんだろうかと思うようになってしまった。

 自分を卑下しても、それを客観的にみると悲しいだけで何もいいことがない。

 少しは自分を肯定してみるのもいいのかもしれない。

 なかなか自分を認めてあげられない方々に送ります。聞いて下さい。

 ≠MEで『自分讃歌』


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上海蟹取引男
チキン南蛮定食をたべます。