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初春の長野の健やかさ! その1 戸隠

長野への道

長野といえば、現在、善光寺の7年ぶりの御開帳が話題になっている。テレビの旅番組でも何度か紹介されているのを見たし、雑誌で特集されているのも見た。(買った。)

その善光寺に近づくにつれ、さすがに道路が混んできて車の進み方がのろくなった。仕方ない、GWだもの。東京からここまでスムーズだった方が奇跡だ。旅のメンバーはわたしと夫と、友人夫妻のマイケル(仮名・日本人)とちゃんゆみ(仮名)の4人。マイケルの愛車和泉ナンバーの赤い大きな車で目的地へ向かう。ちなみに和泉ナンバーの赤い大きな車は、こだわりのマニュアル車なので、運転手が疲れたと言っても軽々しく「運転変わるよ」とは言えない。わたしが最後にマニュアル車を運転したのは記憶も定かでないはるか昔の話で、どこまで車が動かせるかやってみたい気もするけれど、まあ普通に考えたら運転させてもらえるわけはない。そのため、わたしにできることは後部座席からなるべく渋滞にはまりませんように、と祈ることのみなのだ。ずばり、気楽。

善光寺へは、パーク&ライドを推奨しているようで、長野駅の近くから案内板を掲げた係員が道路のそこここに立っていた。車はここに置いていけ、バスで行け、と訴えてくる係員とはなるべく目を合わせずに、通り過ぎる。
なぜなら、目的地は善光寺ではないから。
そう、混んでるところを避けたい都会人なのだ、わたしたちは。それに同じメンバーで去年参拝している。そんなわけで今回はパス。
ちなみに善光寺は、荘厳ではあるけれど、「牛にひかれて…」という言葉もある通り、田舎らしい大らかさも持ち合わせているイメージのお寺だった。修学旅行生たちがお土産屋さんで買った菅笠をかぶってはしゃいでいるのがよく似合っていた。

善光寺。門の上から見た本堂

さて、善光寺を過ぎると、車の量はぐっと減った。車窓からの風景はあっという間に山里、そして山。道幅も細くなり、路肩にはところどころ雪が残っている。対向車が来たらどうしようと思うほどになった。
気になったのは、途中で見かけた標識に書いてあった「鬼無里(きなさ)」という地名。鬼の伝説があるに違いない。昔は、ここに鬼がいたのだ。いかにも、そんな雰囲気のある山間の里だ。
そう思って、インターネットで調べたところ、わたしが想像しているような、スパッとした鬼退治の話や、本当の鬼は人間の心に住むのです的な話ではなく、諸説あります、ということだった。
ただ、武田信玄が重臣に宛てた書状に鬼無里という地名がでてくるそうで、歴史のある地名であることは間違いないよう。

地名といえば、以前来たときに気づいたのだけど、長野には海がないにも関わらず、「海」や「島」など、海にちなんだ地名が多い。地名に隠された秘密、わかっただろうか。調べると、天然のダム湖があった場所に海という字が使われ、水があふれたときに沈まなかった場所に島といういう字が使われているそう。なるほど。
わたしは声を大にして言いたい。…昔の地名はなるべく残そうぞ。

戸隠蕎麦にありつく

わたしたちの目的地は、戸隠神社だった。ちなみに戸隠神社とは、この一帯にある五つの社の総称ということだ。
最初に向かったのは、その中心に位置する中社。中社へ近づくにつれ、今までの道筋の寂しさが嘘のように人が増えてきた。駐車場もいっぱいで、本当にどこから来たのか不思議なくらい。

ちょうどお昼前に着いたので、まずは腹ごしらえをしようということになった。ガイドブックに載っているお店にしようか、その場の勘に頼るか。いずれにしても名物である蕎麦一択なのだけど。
しかし、最初に地図をもらおうと立ち寄った観光案内所のカウンターで、衝撃の会話を耳にしてしまった。
「蕎麦を食べたいんですけど、さっきお店で2時間待ちって言われたんですけどー。」
2、2時間待ち?蕎麦を食べるのに?驚きのあまり、その後の会話は耳に入ってこなかった。
慌てて近くの蕎麦屋さんに向かうと、確かにお店の前には待っている人たちがわらわらといた。
「どこだって一緒なんだから、入れるところに入ればいいんだよ」「そうだ、そうだ」「2時間も待てるか」「そうだ、そうだ」
というわけで、人だかりのしているお店の隣の、ひそやかにたたずむお店に入ることにした。ちょっぴり心配しながら。
結論。蕎麦の有名な場所は、どこで食べても美味しい。

くるみだれとの相性も最高!戸隠蕎麦


細くてコシのある蕎麦。山菜の天ぷら。そして信州にきたら忘れちゃいけない、くるみだれ。どれも美味しく、しかも待ち時間0。大満足。


戸隠神社 中社

蕎麦でお腹が満たされたので、気持ちに余裕をもって参拝に向かう。冷たい雨は、小雨から本降りになってきた。
樹齢800年の大きな杉の間に、大鳥居が存在感をもって立っていて、ここから先は神聖な場であるぞ、とアピールしている。
その奥にはまだ桜の花が残っていた。雨が花や枝の色をくっきりとさせて、桜越しの神社の光景はなんとも美しい。
ちょうど前日のテレビでタレントさんが、「神社に行ったら鳥居の匂いを嗅ぐ」と言っていたのが面白かったので、真似して鼻を近づけてみた。檜のいい匂いがして驚いた。ちなみにこの大鳥居は2020年に建て替えられたばかりだそうで、まだ真っ白だ。

鳥居の檜はカナダ産とのこと


石段を上った先に社殿があった。境内の隅にはまだ雪が山になって積まれている。鳥居の新しさとは対照的に、歴史の感じられる重々しい社殿だ。少し行列して手を合わせる。知恵の神様がまつられているとのことだ。どうかわたしに知恵を授けてください。
変わっているのは、ここのおみくじは自分でひくのではなく、自分の数え年を伝えて神社の人にひいてもらう方式だということ。やらなかった理由の一つは年を言うのがイヤだったから。なんてね。

重厚な中社


戸隠神社 奥社

車を移動し、奥社へ向かう。
戸隠神社を紹介する写真には、だいたい奥社へ続く杉並木の参道が写っている。写真からも伝わってくる凛とした空気を、ぜひとも自分でも感じたい。

奥社までは、片道40分。ちょうど歩きごたえも感じられるいい距離の気がする。ガイドブックには「参拝の本気度を試される」道のりである旨が書いてあったが、わたしたちは歩き慣れている方ではあるので問題はないだろう。ないに決まってる。戻ってくる人の中には、お年寄の姿もちらほらあるし。

杉並木の参道は清々しかった。圧倒されるほどの木の高さ、まっすぐに伸びる参道。杉の根本には、ところどころ雪が残っていて、水が流れている場所には、水芭蕉が咲いている。ただただシンプルに美しい。2週間前にここにきた友人は、雪が深くて奥社まで行けなかったそうなので、タイミングもよかった。ただ、足元にはところどころ水たまりができていて、人とすれ違う度に少しずつ靴が濡れていく。

杉並木。圧巻

参道を歩きだしてすぐのところの看板に「夏の靴、スニーカーはダメ」と書いてあったような気がしたのは、おそらく見間違いだ。そりゃ、サンダルはダメでしょう、でもスニーカーはこういうところに一番向いてると思うの。ちなみにわたしの足元はズックだ。問題はないはずだ。しかし旅行ということで、浮かれて新しいのを履いてきたことは悔やまれる。止むと思っていた雨は止みそうもなく、靴が汚れていくスピードに心がついていかない。

「今の人見た?」ちゃんゆみが言った。「見てない。」
なんと、すれ違ったおばさんのズボンの膝が血だらけだったという。最初はズボンの模様かと思ったけど「あれは血だった」。「両足だったな。」マイケルも言った。よく気がつく夫婦だ。それにしてもいったいおばさんに何があったのだろう。まだ参道はまっすぐでゆるやかなのだ。この先に何が待っているのか。

そろそろ参道の暗い美しさにも慣れてきた頃、鮮やかな赤い門が目に入ってきた。随神門。藁ぶきの屋根からは草も生えていて、タイムスリップしたかのようだ。

ここで引き返す人も多かったよう


余裕。
と思って歩き始めたのだけど。この門から奥社までの道のりがキモなのだった。急な石段も現れた。そこにところどころ残って凍っている雪が勝負をしかけてくるよう。
写真は撮りたい、傘もささなきゃ、と両手はふさがっている状態で、滑らないように下半身に力を入れて歩くのだが、前を歩いていたおじさんが転んだ。前から来た子どもは氷の上で止まれなくなって、トトトトトとあっという間にすれ違っていった。ここで転んだら、そりゃ膝から出血もするだろうとへっぴり腰にますます輪がかかる。

「神社に参拝したときに、何かそれまでと違うことが起こったら、それは神社から迎えられてるということ。たとえば、降ってた雨が止む、鳥が鳴く、風が吹く、等々。」そうinstagramに書いたていたのは全然知らない人。たまたま数日前に、神社のきれいな写真と共に載っていたのを目にした。無理のないありえそうな自然現象なので、わたしにも起こりそうと思いつつの参拝だった。きっと奥社に着いた時には雨が止むに違いない、なんなら日が射し、虹が出るかもしれない、と根拠のない自信を持っていた。それなりに都合良く信心深いので。そりゃあ、新しい靴で歩きもしたわけで。

ようやく、奥社に着いた。奥社は奥ゆかしい大きさでシンプルな造り。天岩戸伝説に縁があると聞いて想像していたよりもはるかに新しく見える。隣にある九頭龍社は五社の中で一番歴史があるそうで、こちらは小さいながら趣のあるお社。参拝して、御朱印をいただく。
ここまでたどり着いた、という喜びに浸り一休みしたいところだけれど、そういうスペースがないのでそうそうに戻ることにする。
ちなみに、参拝中に雨が止むことはなかった上、「頭がびしょびしょだよ」と指摘されて髪に触ってみると、水がしたたってきた。持っていた折り畳み傘が限界を迎え、真ん中から内側に漏れてきていたのだった。

上の三角屋根の社が奥社

♪行きはよいよい、帰りはこわい
ここまで来る途中、階段を覆う氷が滑り台のようになっている部分を通るたびに、頭の中で流れた。帰りの下りではどうやって超えていけばいいんだ、ぜったい転ぶ自信がある。
階段の上から暗い気持ちで下を眺めていたところ、木の幹に立てかけてある程よい長さの枝を見つけたので、杖として使わせてもらう。おかげで転ばずに戻ることができた。
実はわたしは心願成就の九頭龍社で、「帰り道で転びませんように」と祈っていたのだ。神様ありがとう。

不思議なのは、戻る途中では、杖用の枝をたくさん見かけたこと。行きの道のりではまったく気がつかなかった。気づいていたら行きから使ったのに。

ご自由にどうぞ杖

無事に参拝を終えて、駐車場まで戻ってきた。
わたしの足は、ぐっちゃぐっちゃと一足ごとに音を立てるくらいの、一番気持ちが悪い状態。頭もびっしょり濡れていて、これはもう滝行を終えた清々しさだと思うことにする。
申し訳ない気持ちで車に乗り込み、宿へ向かった。

奥社まで行く人はちゃんとした靴で行くようにね。

続く









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