あの時の北京の空気 ①北京で見たもの
北京を旅行したのは6年前のことだ。
旅行先に北京を選ぶなんて、よっぽどのパンダ好き(←成都)か、三国志好き(←成都)か、変わり者の大学生(←当たり)だけだろう、という程度にしか北京に興味がなかったわたしが、北京に行くことにした理由。
北京に駐在している友人夫妻がいるから。
友人に会いたい(そして向こうも会いたいに違いない)というピュアな思いと、珍しい場所を案内してもらえるに違いないという調子のいい下心と、こういう機会でもないと北京に行くことはないだろうなという好奇心。
とんとん拍子に話は決まった。もたもたしていると、帰国してしまう可能性もあるので、そこは早かった。
友人Tと成田から北京へ向かう。フライト時間は3時間。北京は思っていたよりも近かった。世界がコロナウイルスに翻弄される前、中国の脅威のイメージが今とはだいぶ違っていた頃の北京。3泊4日の旅で印象に残っていることを記しておこう。
大都会の威容
空港から、友人の住む街までは電車で向かった。途中からは地下鉄に乗り換える。
改札では手荷物のチェックがあり、ペットボトルを持っているとその場で飲んでみろと言われるのは、空港のよう。
車内は静かで乗っている人もお行儀がいい。お年寄りに席を譲るというのも徹底しているよう。混んでいてワーワーうるさいことを覚悟していたが、そんな心配は無用だった。基本的には安心して乗っていられる気持ちのいい空間。
途中駅で、カセットレコーダーから大きな音で音楽を流しながら歌うおじさんが乗ってきて、少し緊張した。NYで地下鉄に乗った時にも、同じように歌ってチップをもらう人に出くわしたが、NYが5人組ドゥーワップだったのに対して、こちらはど演歌。NYほどの迫力はない。どちらも目を合わせないでやり過ごす。こういう人に会うのはかなり珍しいこと、とは北京に住む友人。
友人夫妻の住んでいる街には、高層ビルが立ち並んでいた。建設中のビルもあちこちで見られた。
わたしのイメージしていた北京とは大違い。
だって、ニュースで北京が話題になるときに映るのは、毛沢東の写真がバーンと中央にある、あの広場越しの建物じゃない。ああいう広々とした景色が北京だと思うじゃない。
見事に裏切られた。
ビルを見上げながら大通り沿いを歩くことになるとは思ってなかった。
人通りは少ないけれど、歩いている人は一様にスリムでおしゃれだ。ホテルの中にはハイブランドのお店ががずっと並んでいる。
友人夫妻が住んでいるのは「東京でいえば、丸の内」。高層ビル群の中のタワーマンションだった。週に2回お掃除の人が入るホテルライクな暮らし。羨ましくて鼻血が出そうだったが、落ち着けわたし。
万里の長城
宇宙から見える唯一の人工物、というキャッチフレーズは神秘的で大げさで魅力があって、子供のころからいつか見てみたいと思っていた万里の長城。
お城といえば、シンデレラ城のようなイメージなので、そういう形のものが何百キロにもわたってあるわけないと半信半疑だった。
結果。
あった。万里の長城はちゃんとお城の形をしていたし、
長かった。山の向こうまでずっと続いている。まさしく長城。
おみそれしました。
長城が初めに造られたのは、2,300年以上前。周の時代に境界として造られたのが初めで、秦の始皇帝や漢の武帝が長くしたり広くしたりして、明の時代にくっつけたりしっかりさせたりした。って感じで合ってると思う。
全長は…と調べて驚いた。
各時代のものを全部合わせると、21,196㎞。
東京-大阪間の直線距離は約400㎞。どちらか、間違ってませんか?というくらい距離の感覚が違う。
ちなみに検索したところ、日本のJRの線路を全部足した距離が、約20,000㎞とのこと。
現在も残っていて、観光ができるのは明の時代の約6,000㎞とのことだが、それでも、万里の長城、長すぎ。どれだけ長いかが数字でわかり始めてくると、逆によくわからなくなる。途方にくれるしかない、そんな距離。
なんだかもう、スケールが違うという言葉は、万里の長城のためにあるといっても過言ではない。すべての想像を軽く超えていてすごい、としか言いようがない。
長城を歩くというのは、ちょっとした山歩きだった。この時に行った八達嶺長城はちゃんと整備されていて足元は石畳、急なところは階段になっていたりしていたが、険しい山の中で荒れ果てている場所もあるそう。
はるか昔に、どんな方法でここを造ったのか、どんな命令系統だったのか、そんなことを考えながら歩く余裕はなく、急な階段にハーハーしながら、見晴らしのいい場所では記念撮影に興じながら歩いているうちに、目的の城楼に着いた。
さて、ここからの帰り道。明の時代には影も形もなかった乗り物が、わたしたちをスタート地点に戻してくれた。
なんと遊園地のようなスライダーがあったのだ。世界遺産の歴史ある建造物となんとも対照的で面白い。
レールの上のスライダーも、間に張ってあるネットもイマイチ信用できなかったけれど、乗ったらあっという間。意外と楽しい、なにより楽。降りたところにはなぜかクマ牧場もあって、なんだか高尾山に遠足にきたよう。楽しい思い出となった。
天安門から紫禁城(故宮博物院)
わたしの思っていた北京、天安門にも行った。広場はそれはそれは広大で、毛沢東の肖像は大きい。広場は閑散としているように見えたが、門に近づくにつれ、実は人が大勢いることに気づく。門の前に人などアリンコ同然、それくらいの大きさの門だ。
紫禁城の見学は、ここから始まった。このあまりにも有名な、門という名の楼閣は、名実ともに北京の中心。もともとは紫禁城の正門で、今はここを入った先が紫禁城の入り口になっている。実はこの門は1970年に造られていて、主に1400年代に造られた中の建物に比べると相当に新しいそう。前の古くなった門はわずか20日できれいさっぱりと壊されて、同じ形を模した門が4カ月後にお披露目されたそうだが、そんなエピソードもなんだか中国っぽい。
地方から団体でやってきましたよ、という感じのグループが多い。大人でもお揃いの帽子をかぶっていたりして、ちょっとかわいい。しかし、うるさい。
紫禁城(故宮博物院)は南北で1kmの距離、東京ドーム15個分というめまいがしそうな大きさというだけあって、歩いても歩いても、次から次へと建物が現れる。
点在するいくつもの建物は、それぞれにストーリーを持つ。
例えば、皇帝の即位などに使われる太和殿。玉座の上の大きな玉は、皇帝にふさわしくない人物が座ると落下して、頭を割るという伝説があって、袁世凱(えんせいがい)は、これを恐れてわざと玉座をずらして座った、とか。
西太后の嫉妬をかって、殺された珍妃。その際に投げ込まれた井戸とか。
建物に続く階段、美しいレリーフの真ん中は皇帝しか通れないとか。
既に何度も訪れている駐在妻Yちゃんは、すっかりガイド化していた。
それぞれの建物には凝った装飾が施されていて、眺めているだけでも面白い。興味を持ち始めたら、とても1日で見終わりそうにない。
しかし、見学に没頭できないのは、とにもかくにも人の多さ。特に有名な場所では、みんなが殺到し、写真を撮りたがる。もちろんわたしもそう。
一つの建物に近づいたところ、中央付近でおしくらまんじゅうに巻き込まれた。今までそれなりに旅行をしてきたけれど、一番命の危険を感じたのは、間違いなくこの瞬間だった。
圧死するかも!
ああ、しかし、ここでわたしが命を落としたら、一緒にいる友人たちに迷惑がかかってしまう。そんなことまで頭に浮かんだ。重い、痛い、助けて!
四方八方から力任せの押し合いに、命からがら逃げた。
玉だったか玉座だったか額だったかは見損ねた。
Yちゃんが教えてくれた建物の外観の楽しみ方。
走獣。
建物の屋根の端には、仙人などの装飾がついているのだが、その数が多ければ多いほど建物の格が高いというもの。先頭は仙人、一番後ろは龍。その間の動物を模したものが走獣(神獣、など色々な呼び方がある)。
走獣が多い建物は、気合を入れて見なければと思う。我ながらゲンキン。
後半にスタミナを残しておくのが賢い見学方法だ、と後から気づいた。
とにかく広いので、途中でみんな疲れ始める。そのため、奥の方は人が少なく、ゆっくりじっくり見れるのだ。ペース配分を考えて、うまく見よう。
主な宝物は台湾にあるとはいえ、とにかく見応えがありすぎる場所だ。
普通の街
わたしが北京でしたかったことの一つは、ハンコを作ること。石を選ぶところからできるというのを聞いて、Yちゃんに連れて行ってもらった。
街の名前は失念したが、東京でいうと神田や神保町といったあたりだろうか。どこのショーウィンドーを見ても、書道関係のものなどが並んでいるエリアにきた。店構えに趣がある。
一つのお店に入って、まずは石選び。これが、色も形も大きさも様々で、なかなか決まらない。
色も形も大きさも…様々で…なかなか決まらない。決まらない。決まらない。あれもいいねこれもいいねと、言いながら×3人分。めちゃくちゃ時間をかけて選んだ。
わたしは鯉のような柄の、赤と白の石にした。
その後、書体を選び、文字の並びを選んでオーダー。出来上がりまで数日かかるので、Yちゃんに受け取りを託す。
この界隈もそうだったが、観光地化されていない普通の街を歩くのが楽しかった。建物も街を彩る小道具も、雰囲気がある。街灯、自転車、鳥かご…。
②北京で食べたもの に続く。