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悟りあきらめよう!手をあげて観念しよう☆これからの因果応報④
YouTube版・AI
https://youtu.be/PuF1aisttBc
☆これからの因果応報シリーズ、③までのつもりでしたが
まだ伝えきれていない感じでして・・
まだ続きます。
今日もまた、「パワーかフォースか」の意識マップをお借りして
お話進めていきます。
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昨日までの、おさらいです。
プライドより下層が、人生を困難にする意識エネルギー
勇気より上層が、人生をスムーズにする意識エネルギー。
博士は、こういう意識状態を、エネルギーの数値で表しているが
私は周波数の軽さ・重さの指標にも、比例しているなと感じている。
意識はエネルギーでもあり、周波数でもあります。
そして、昨日の記事までには
より本当の自分として目覚め、
その新周波数での世界線をクリエイトしていこうとするとき、
下層の意識のままの選択では、それがアンカーという重しになって
目覚めへの船の、出航を邪魔してしまうよ。
というお話をしてきました。
悟りや喜び、愛を見出し、そこにとどまりたくても
表の下層にあるような意識が、潜在意識の中にある限り
そこに引き戻されてしまう。
アンカーをまだ外していない状態です。
今日は、もう少し
この話を掘り下げていきます。
☆パート②の記事の中では
意識を「真我の本質」である、愛や喜びや悟りの領域に一致させていくことと同時に
「自我の重い意識」は手放していく必要があると書きました。
それをいくら「臭い物には蓋をしろ」で、見ないことにしても、
潜在意識の中にある限りは、アンカーになります。
普段は出てこなくても、何かってときに出てきます。
それを人は「お試し」と呼んだりする。
まだあるよ~。っていうだけのこと。
確かに、真我の意識の領域を見出すことで、
アンカーは外しやすくなる。
外しても大丈夫な、信頼できる視座が、見つかっているからね。
しかし、あまりに根深く、重く繋がれてたアンカーがあると
なかなかその視座に、昇華しにくいのです。
☆もちろん、重い周波数の意識が、何かへの原動力になることもあります。
重い意識を、勇気や受容や愛に、書き変えていけるとも、昨日は書きました。
「しかし、本当に書き変わっているのか??」
ここは、よく内観したほうがいいポイントです。
☆例えば、小さいころに自分を卑下されてきた経験のある人がいたとします。
というか、これは親がよくやってしまうので、多くの人にあるあるです。
その人は、そんなみじめな自分を感じたり、そんな自分はダメなんだ、価値はないんだと思ったり
または、それを感じたくなさすぎて、第二感情で怒りやプライドが生まれたとします。
もし、これが上手に隠され、封印されたとしても
潜在意識の中には残っている。
それは、誤認知という観念で、私達を支配します。
そんな自分を変えたくて、
「ダメなんかじゃない!私を生きよう!」とします。
ここで分かれ道。
Aさんの、発想の根本は、やはりアンカーです。
みじめな自分を見返したい、価値があると認めたい・・・・
潜在意識ではいつまでも、それを根にもっている。
そのアンカーを自分自身に上手に隠し
「ダメじゃない私」を生きようと振舞います。
一方Bさんの、発想の根本には、アンカーはありません。
それらは手放したあとに、自分自身を生きる喜びの意識が発想となって
「本来の私を生きよう!」としています。
Aさんの場合、起こりがちなのは
承認欲求に振り回されてしまうことです。
まだ、自分自身で、自分の存在も、力も、愛も受け入れていないので
それを外に認めさせようという潜在意識の働きが起こります。
しかし、Bさんはすでに誤認知を昇華させ
本来の自分自身を認めているので
ただ、そのまま、ありのまま生きるだけです。
☆「悟りあきめる」
最近、その言葉が気に入って、よく言うとります。
重い意識を、あきらめる。
「観念しろ」と言いますね。
警察が、犯罪者に「手をあげて、観念しろ」という時のには
ある意味、あきらめろってこと。
しかし、本来の観念とは
真理を心静かに観て、悟り、その本質を認めてしまうこと。
諦めとは、明らかにする「明らめ」でもあります。
自我の持つ意識をあきらめ、真理を明らかに受け入れる。
そうだよね。
本当の自分は、そうじゃないって
認めさせたいよね。
仮面の子は、見返したいのかもね、その場合
そのエゴの要求のためには、重い周波数というアンカーが必要なのだ。
それが原動力になるのだから。
でも、もうよかろう?
そのエゴの要求を、本当の自分に昇華させるのだ。
「どうせ、All is Well」
いつまでも、自我の要求に振り回されるのではなく、
真我の声に、サレンダー、つまり委ねることは、
ある意味、悟りあきらめることだと思うのです。
宇宙と一致してれば、どうせ予定調和しちゃうのです。
☆悲しみや怒りをバネにしよう!
なんていう言葉がある。
確かに、いい言葉だ。
でも、悲しみや怒りをそのままにして、バネにしていっては
やはりアンカーになる。
そのままを、駆動力にすると
重い周波数の世界のクリエイトになる。
発想元の周波数を、チェック。
私達は、今までの分断の世界の周波数ではなく
「新周波数」で世界を具現化・クリエイトしたいのだ。
シャンティな世界。
全ての色を透通す、透明な世界。
その世界は、透明だから七色を通す。
レインボーにも見える。
それは、既にここにある。
☆ということで選択のパターンを変えようと
先日の記事で言うとります。
何に変える?
何が起こっても
受容や、赦し、愛や喜びといった視座に
スイッチしてから、を選択すること。
アンカーがまだあっても、それは
外していくことが出来る。
とりあえず、スイッチの癖!
その癖づけをしていくだけでも
自分の周波数は、軽くなる。
波動あげあげです。
そこにマインドフルネスするのです。
私は記事を書き始めてから、結局これしか、言うとらんのだ。
☆ここからは、色いろ物議が起こりそうなので
あくまで、私が好き勝手に言っていると思っていただきたいが
例えば、ここ数年問題になってた
お注射や、マスク問題。
私は、はっきしいって
どっちでもいいじゃん。と感じている。
怒られても、そう思う。
ただこれも、何発想なのか?ということなのです。
重い意識に「恐れ」がありますね。
どっちを選んだとて
発想の根本が何だったのか?
周波数とは面白いもんで
波動医学や、波動ヒーリングで、食べ物も、石も、人も変わるように
結局、自分の中に取り入れたものも
意識次第で、そのものの周波数に影響がある。
恐れでそれを取り入れた人も
恐れでそれを取り入れなかった人も
似たような周波数だし
楽天的に取り入れた人も
楽天的に取り入れなかった人も
似たようなもん。
私が感じた違和感の話、ここで詳細は書けないが
何が言いたいかというと、
ともかく
どっちがどうとかいうような、分離や抵抗が起こること自体が、
流行り病より、大きな疾病に私達人類がかかっていることを物語っている。
現象の裏には、必ず、潜在的な問題が、隠れているのだ。
☆何が起こっても、何が目のまえにきても
意識をどこに、戻すのか?
もちろん、みな
ブレる。人間だもの。
それを克服し、
何に昇華していくのか?という体験をしているのだ。
それが、私達の今、体験して観測している宇宙である。
自我により、時に怒り、時に悲しみ、時にみじめになったとしても
立ち戻るところは
自分の黄金軸、宇宙意識である真我である自分自身。
その立ち戻る場所を見出すこと。
それが、本当の自分として自由に生きるポジションとなる。
ということで
引き続き
徹底・的に・楽しく
TTTでよろしくお願いします(*‘∀‘)