今年の陰が極まります。聖者も悪魔も同じ穴のムジナ。二極化でいいじゃん。
今年の陰が極まります。
聖者も悪魔も同じ穴のムジナ。二極化でいいじゃん。
★さて、今週は冬至を迎えます。
ここ暫くずっとブログやクラスの中で申し上げている通り
「陰極まって陽となす」という節目が冬至。
現代では、季節感がだんだんなくなり
そういった節目を気にする人も少ないかもしれません。
しかし、陰陽五行で物事を見たときには
「陰主陽従」であり
陰は全てを含み統一させ
それに従い、それが元となって陽が生まれるわけですので
またここから一年は、
ここまでの一年の集大成が種となり、発展分化という
陽が生まれていくわけです。
今一度、今週は
自らを戒めてきに見直したいタイミング。
腐ってる場合ではありません。
ここで生み出したエネルギーは、来年に引き継がれます。
今週の易経の3択を出してみましたが
やはり、そんな感じで
それぞれに、何を見返した方がいいのか?
というようなアドバイスが易経から出てきていました。
ぜひ、チェックして!
★そして、冬至の翌日は新月です。
先日、古神道の修練を積まれている方とお話させていただきましたが
共通して感じていることがありました。
ともかく
外への依存心や、無駄な承認欲求に捉われていること。
人々が、自らにこのトリックを見破れるかどうか。
来年はもっと、正念場になる。
スピリチュアル性すらも、依存心で見ているならば
それは、真の精神性というスピリチュアルではなない。
サニワの目でみれば、仮面はバレている。
聖者のふりした悪魔も、悪魔のフリした聖者も
どっちも同じアナノムジナ。
薄っぺらい表層を見てで生きるのか?
根源を見ていくのか?
外から入った情報を
さも自分の考えかのように、表層で捉えているのか?
自ら物事の根っこを正念しているのか?
自らの依存に気づこうとせず
支配されていることが楽であるままを選ぶのか?
自らと向き合ったすえに、自由を生きる楽を選択をするのか?
あらゆる分野で
二極化、二極化というけれど
私は、ここが、今後の人々の
生き方の分かれどころだと感じているし
それでいいんだろう。
みんな、自己責任で、好きに生きたらいい。
エーリッヒ・フロムが「自由からの逃走」で書いているとおり
ほとんどの人間は、自ら創造できず
自由から逃走し支配されることを求める。不平不満をいいながら。
自ら、自分を生きることが出来る人のみ
自由からは逃げない。
「自分に由る」から「自由」だろ?
★人間のエゴを、どこまで受けれられているのか?
ここ、ある意味
ますます、これから突きつけられる。
私たちは、ある意味
「所詮、自然の一部」
言い方を変えれば
「全てと同じく尊い、自然の一部」
毎度言っていて、くどいのですが
光も闇も、それはマーヤ。
サットヴァという、根源の本質は
純粋の透明だから、全てを含むことが出来る。
透明だから光を通し、発光出来るのであって
本質は、光そのものではない。
光にも闇にもフォーカスしない。
じゃ、何を観ればいい?
それを見出すことが、正念ということ。
その正念場が「今」
★正念したならば、ナチュラルな自分が
あとは、この地球で、どう生きていくのか!
その種を生み出すためにも、今週は自らと真摯に向き合い
来年をお迎えしていこう!
「本当の自分」
その自分しか、この世界はクリエイトしていないのだから!
ということで
今週の3択★ヴィーナの易経はこちら!
https://youtube.com/shorts/r9lrTGByj5E
★追伸
Veena GEMのオーダーをいただいている皆様
リトリート中
制作が中断しておりまして
申し訳ございませんでした!
順次、レイアウトに取り掛かっております。
また、しつこいお打合せをお願いいたしますが
引き続きよろしくお願いいたします!