書きたいもの
創作は好きだがいつまで経っても理想としたものを描き終えることができない
やり方が悪いというのもあるが、原因はもっと本質的なところにある
人のありのままの姿を書きたい、それは突き詰めるとありのままの自分を書いて受け入れてほしいということだ。
だがありのままの自分を他者に受け入れられた経験が極端に少ない為か、
自分が書きたいように書いたところで人が読んでくれるのか、読んで不快にならないか、
要するに読む人が自分の世界を正しく受け入れてくれるか、誤解されたら自分の世界を否定されたような気がして怖い、
そんなことを考えてしまう。
もっと突き詰めると、ありのままを許せない自分がいる。
俺はどの人と対面するにしろ、その人の前専用の自分をセットしてから対面しに行くやり方しか知らない。
ありのままで人前に出る、とは一体どこの星の言葉ですか?と言わんばかりに。
俺という人間には仲が良い人が数人いるが、各人から俺の印象や俺の性格を質問したとすると、どの人からも違う答えが返される。
唯一共通する答えは、変だけど面白い奴って事だろうが、これもまた俺が狙ってそう演じているだけなのだ。
俺のように無個性で自己主張しない空気のような人間が人に覚えてもらうには、ちょっとしたインパクトというか、普通の人と違うモノが必要だ。
もちろん、俺が会う他者は皆性格や趣向が違う為、俺が出す個性は各人に合わせる。
人に離れていかれると喪失感を味合わないといけない、それは俺にとって生活に支障をきたすほどしんどい。
俺は自分から人に話しかけに行くのがとても苦手だ。人付き合いは好きだがあくまで自分のことをわかってる、またはわかろうとしてくれる人と積極的に付き合うのが好きなだけで、誰にでも話しかけにいけるような人間ではない。
だから、自分のことを大切にしてくれる人がいなくなってしまう事にとても恐怖感がある。
自分を分かろうと努力してくれた人や、関係性が長い人ほど、離れていかれるのがとても怖く感じる。
そんな恐怖を味合わない為に、変だけど面白い奴を装う。
意外とこれが人に飽きられないものなのだ。
だんだん自分が本当は変で面白い奴だと錯覚するようになるが、
社会的に見えてる自分があくまでそうというだけで、生身の自分は面白くもなく、ましてや変になれるほど狂えない。
そもそも創作は、他者に介入されないものでないといけない。
表現の自由がすべての人に担保されている。
自分が好きなように表現する場だ。
書きたいように書けばいいのだ。
頭では理解している。
自由に思ったことを書いて、マイワールドを展開するのが好きだから、もともと何をやっても長続きしない俺でも、創作活動だけはやめられずにいる。
読む人のことなんか本来考えなくていいのだ。別に公に会社を通して出版するわけでもないし。
頭の中の外側の世界という多種多様な色と粘度のインクの雨が、
俺という無色透明な素材でできたスポンジをめがけてドバドバと降ってくる毎日。
俺が書きたいのはインクの話じゃなくて、無色透明のスポンジの話だ。
スポンジが身を清めるには無色透明な水と強力な洗剤だろうか。
澄んでいて美しいと思える環境に身を置いていたい。
いろんな色があるこの世界で、無色透明であることは、他者から見たらまるで死んでいるような感覚がしなくもない。
だがそもそもありのままが無色透明なのだ、無理にインクを吸う必要もない。
自分のペースで、書きたいように書く。
ありのままに書きたいのなら、本来の自分の色に戻れるまで浄化すればいい。
忘れそうになりがちだが、自戒の為にここへそう示しておく。