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原点に戻る

つかれた。つらかった。漠然とした不安やさみしさはどうしてこうも襲いかかってくるのか。安心しようと息を吸っても、喉のところで貼りついて、ひりひり痺れる。何かがないと、何かにすがりつかないと、やっていけない時がある。それが今だった。

たすけて、と思いながら久々に懐かしい漫画を読んだ。本棚の一角を陣取る、大好きな作品。背表紙のキャラクターたちをなぞって、作者の名前をなぞって、涙が出た。大好きな、死ぬまで忘れないであろう漫画だ。記憶が震える。想い出がきらめく。

今じゃ有名すぎて、好きだと言っても「あれねえ」と一蹴されてしまうことが増えた。私がこの作品に出逢った頃は、ここまで有名になるとは思ってもみなかったけど。でも、初めて読んだときの激情は、ずっと残っている。友達が学校の先生に秘密で持ってきた、週間少年ジャンプ。真ん中から少し捲ったくらいにあったページ。あれは確か冬の終わりだった。刺すような空気がやんわりと和らぎ、少しずつ、春になろうとしていた。
前提として、私の家庭は漫画より本派だ。家に漫画というものはほぼない。あるとしても父親のベルセルクとか進撃の巨人とかそういうので、私は数ページ読んで飽きてしまった。なんかむさくるしいし、血が出て痛そうだし、グロいシーンもあるし。だから、その日彼女から借りて読んだそれこそが、生まれて初めて、ちゃんと読んだ漫画だった。
「これ、人気出るの?」
読み終えてそう聞いたのを覚えている。片手で渡したジャンプ本誌は、ずっしり重かった。
「まだ。でも絶対来る」
彼女の言った言葉を、はっきりと覚えている。

鬼滅の刃。
私はまたたく間にその漫画の虜になった。しばらくしたらアニメも始まった。アニメが相乗効果となり、日本中で大人気となった。その勢いは日本に留まらず、世界へ広がっていくことになる。そして今では国民的とも言われるほどの作品になった。本当に、本当にうれしいことだ。たくさんの人がこの作品を愛してくれること、その終わりを見届けてくれること。彼らにとって大事な物語になってくれるといい。私のように。

今でも思い出す。大好きなYouTubeのmad、TikTokの音源、占いツクールで更新を待っていた作品。中学入学と同時に買ってもらった、ガラケーの小さいスクリーンを覗き込む。数センチの小さな画面に世界が詰まっていた。私は泣いたり笑ったり切なくなったりしながら、一生懸命生きていた。すべてが初めてで、新しくて、まぶしかった。
鬼滅の刃は、私の青春そのものだった。
本誌に振り回されていた月曜日。イタいくらい書き連ねた妄想を裏紙に書きつける。私の外側で回っていく世界と、私の想像上の世界は食い違い、変な感じだった。クラスの椅子に座る私、その内側で渦巻く感情。話しかけてくるひと、今日の本誌で死んだ彼。現実と想像の境界が希薄になる。三次元のことも、二次元のことも、同じように傷つき、涙し、悲しんだ。全身全霊であの世界を感じていた。
学校からの帰り道。鬼滅の刃が好きな友達とこれからの展開を予測する。青空の下でバカみたいに大声で笑い合う。クラスの好きだった男子におすすめしたら、彼もハマってくれた。見つけたから、とグッズを買ってきてくれた。不死川実弥が好きだったよな?と笑った。
すべてが嘘みたいだ。何も考えず、とにかく好きなものを好きだと言えたあのころ。全力でぶつかれていた自分自身。

読み終えて裏表紙をなぞると、ひんやり冷たかった。そのつめたさが愛おしかった。忘れないでいよう、と思う。あのころの痛々しいくらいのきらめきのこと、どこまでも真っ直ぐに素直だったこと。

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