「行徳の俎(ぎょうとくのまないた)」
「行徳の俎」と言えば『吾輩は猫である』で有名だから、きっと皆さんもご存じだろう。
私は、若い頃、あまり文学作品を読まなかったために、この言葉と出会うのが遅かった。
そう、あれは、化学会社の研究員として勤め始めたころ、工場が事故を起こして、しばらく稼働できなくなった時があって、新入社員の私は、まだ仕事もできない頃だったから、会長の親戚が経営している小さな出版社に出向を命じられたことがあった。約一年とちょっとの間だったけど、貴重な経験をさせてもらった。
仕事がないからと言って、雇ったばかりの女の子を辞めさせては、大学の教授の口利きで入れてもらった手前もあり、出向の形で取り繕ったのだろう。
その出版社は、ほんとうに小さく、中京区の貸しビルの三階で仕事をしていた。
出版社だから本を出しているのかと思っていたら、今まで出した本は十冊前後で、福祉系の本のようだった。
で、普段は、折り込み広告の構成や、いわゆる「チラシ」の作成を請け負っていて、まだパソコンが普及する前で、キャノワードというワープロが導入されたばかりだった。
だから、まだ和文タイプライターがデスクに鎮座していて、専任のおばさんが度のきつい眼鏡をして、がちゃこん、がちゃこんとタイピングしていたのである。
編集長兼社主の女性(会長の娘だそうだ)と、和文タイプのおばさん、外回りの「磯野波平」風のおじさんの三人しかいない会社だった。
そこに、文章もろくに書けない「こむすめ」の私が、放り込まれたのである。
最初に習ったのは原稿の「校正作業」だった。
誤字や脱字を見つけるのも当然だが、禁則処理の指示やら、句読点のつけ方の是非、ふりがなの指定などをさせられた。
もっといろいろあったが、もう忘れてしまった。
そこでぶち当たったのが「行徳の俎」という文言である。これだけはよく覚えている。
「あの編集長、この…「こうとく」の何て読むんですかね?」
「こうとく?…『ぎょうとくのまないた』やろ。これは」
「はぁ?なんですか?意味がちょっと」
「横山さんやったっけ、あんた『吾輩は猫である』くらい読んだことあるやろ?」
「いや、ちょっと…名前だけは。夏目漱石の作品としか」
「へぇ…理系の人は、あんまり本を読まんと見える。辞書を引きなさい。辞書を…と言っても読み方を知らんのやったら引くこともできんか…あのな、『行徳の俎』ちゅうのはね」
長々と、編集長のお説教が始まったのである。
あとで、文学少女がオトナになったような母に聞いたら、本棚から『吾輩は猫である』の文庫本を抜いてきてくれて「恥ずかしな、ええ歳して今頃」と言って渡された。
母によると、中学生ぐらいで『吾輩は猫である』は読んでおくべきだそうだ。
私は、化学はもとより、中学時代は軍艦や戦闘機の本ばかり読んでいて、まったくこういった文学を手に取ってこなかった。
編集長によれば、「行徳」とは今の千葉県の浦安に近いところにある漁師町で、あの辺りは、後にラムサール条約で保護地となるほどの干潟が発達しており、バカガイがよく獲れたそうだ。
それだけでは何の脈絡もなさそうだが、口さのない江戸っ子は、行徳とバカガイをひっかけて「行徳の漁師はバカなくせに、知ったかぶりをして口がなめらかだ」というように吹聴してきたらしい。
だいたい内房の漁師は、闊達でちゃきちゃきして、調子がいいので有名で、江戸っ子はおもしろくないから、行徳で使われる俎(まないた)はバカガイを下ろしまくってツルツルなはずだから、「人擦れして知ったかぶりの、口ばっかりで中身のない行徳野郎」という暗喩を込めているのだそうだ。
「バカガイってどんな貝なんです?」
「それこそ図鑑なと、調べてみぃな」と突き放された。
インターネットもない時代だったので、帰りに本屋に立ち寄って、魚貝図鑑をめくってみた。
どうやら「アオヤギ」とも呼ばれている、幅が10センチ近くもある二枚貝だということだ。
アサリやハマグリについで良く食される貝で、東京では普通に魚屋で売っているらしい。
ここ京都では、まず見ない貝であるし、私は今まで食べたこともない。
「馬鹿者の口のようにだらしなく、アシが出ていることが多い」からバカガイと言うのだというエピソードも書かれてあったが、諸説あるらしい。
いっぽうで「アオヤギ」はバカガイが取れる千葉県の地名「青柳」から来ているそうだ。つまりは、寿司ネタとして人気のこの貝を、お品書きに「馬鹿」とはあんまりだというわけで、粋な「アオヤギ」にしたというわけ。
私はひとつ賢くなったと、足も軽やかに会社が借りてくれたアパートに向かった。
とにかく、この出版社で学んだことは多かった。
私はそれまで学術論文しか書いたことがなく、説明調で硬い文だと編集長から苦言を呈されることばかりだった。
おまけに、言葉を知らず、漢字もよく間違えていた。
「長幼の序」を「幼長の序」と書いたり、「余人をもって代えがたい」を「余人をもって充てがたい」と書いてしまったり、穴があったら入りたい気分である。
※そのわりには旧字体を知っていたり、軍艦の名前で旧国名を知っていたりしたのは、書道と戦記物のおかげだった。森鷗外など、軍人としての森林太郎としてしか知らなかったくらいだった。
そのころを境に、私は母から文学作品を借りて読むようになった。
教科書に出てくるような文豪の作品を一度も読んでいないということは、かなり恥ずかしいことだそうだからだ。
恥から学ぶことは多い。
そうは思いませんかい?