![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/60114000/rectangle_large_type_2_653e22e8d2473ec2f8e40815f5293423.png?width=1200)
目
篠原直樹(36歳)は刑期を終えて府中から娑婆(しゃば)に出てきた。
「人殺し」のレッテルを背負ってこれからも生きて行かねばならない。
秋晴れの、高い空の下、直樹はとぼとぼと街へむかって歩いていた。
それは、誰にもわからない…どうして田村という男を殺してしまったのか…
「目だ…」
直樹は、自分だけにはわかっていた。
殺意の理由が。
田村佐千夫は存外、親切な男だった。直樹だけにではなく、だれにでもそうだった。
半グレの直樹を立ち直らせようと、親身になって世話を焼いてくれた、二つ違いの先輩だった。
田村がいたから、休みがちな高校も卒業できたのだった。
そして、車の整備工の就職口も世話になった。
世間に背を向けて、片意地張っていた直樹の心をほぐしてくれたのは、ほかならない田村佐千夫だった。
なのに、直樹は佐千夫を刺し殺してしまった。
警察の取り調べや、検察庁での尋問でも、結局「衝動的殺人」だと片付けられた。
「田村さんは、おれにないものを何でも持っていた」
直樹が反芻(はんすう)する言葉は、いつもこれだった。
生まれた家柄も、たくさんの友人も、彼女だって…
しかし、直樹は、そんなことぐらいで殺意は芽生えなかったと気づいている。
「目だ。目なんだよ。憐れむような、蔑(さげす)むようなあの目でおれを見たんだ。だから…」
信じていたものが、音を立てて崩れる瞬間だった。
直樹は三十六歳の誕生日を刑務所で迎え、その年に出所した。
あの頃と変わっただろうか?
矯正教育も受けた。
「学ぶ」楽しさも少しはわかった。
しかし、人に対する疑心暗鬼は増すばかりだった。
親切にされると、身構えるというひねくれ根性は、むしろ若い頃より強くなったと直樹自身が感じている。
出所してまず訪ねたのは、田村の父親だった。
田村の父親は学校の教員だった。
服役中も、田村の親父さんから手紙をもらっていた。
自分の息子が殺されたその犯人に、励ましの便りをよこすのだった。
直樹はそれを読むのが辛かった。
最初の数年は、封も切らずにうっちゃっていたが、刑務官に促されて最初から読むようになった。
十数通の手紙には、直樹への恨み言など一切書かれてはいなかった。
直樹がはやく立ち直ってくれることを、息子を殺された父親が切々と書き綴っているのである。
世田谷にある田村の家は、庭が広く、しかし手入れが行き届いているようには見えなかった。
手提げかばん一つで、田村の表札の上がっている門柱の前で直樹は直立不動だった。
呼び鈴を押そうか、どうしようか逡巡している風だった。
すると、後ろから近づく人があった。
「きみは、篠原君だね?」
ふりむくと、白髪の老人が立っている。
「私が、田村健介です。佐千夫の父です。出てこられたんだね?」
「あ、はあ。どうも」
直樹は、拍子抜けした感じで、老人に会釈した。
「さ、中へ」
促されて、直樹は門をくぐり、玄関に導かれた。
家は古く、どうやら戦前から建っているようだった。
佐千夫の家には一度だけ来たことがあった。だから、今日も迷わず来ることができたわけだが。
「家内は、一昨年に亡くなりましてね、もう、わたしひとりですよ」
問わず語りに老人が言い、直樹を居間にいざなった。
がらんとした、六畳間の鴨居には健介氏の両親の色褪せた遺影に並んで、佐千夫と、まだ新しい夫人の遺影があった。
線香の香りがかすかに直樹の鼻をくすぐる。
茶器をもって再び部屋に入ってきた健介氏は、よくみると、佐千夫に似ていた。
直樹は、ますます居づらくなった。
「長かったですね」健介氏が茶を入れながら、話しかける。
まったく、直樹を息子の仇(かたき)などとはおもっていない風情だった。
怒りくるって、感情をむき出しにしてきてもおかしくないのである。
直樹はどう答えていいのか、言葉に詰まった。
「あの。あの、その節は、取り返しのつかないことをしてしまい…大変、申し訳ございませんでした」そう言うと、直樹は深々と頭を下げた。
「篠原君、おもてを上げてください。もう、十分、あなたは罪を償ったのだから」
直樹のほほを涙が伝った。肩が震えている。
直樹の前に茶が差し出された。
「お前が、殺ったんだな?」
取り調べの刑事がゆっくりとした口調で詰問した。
「はい…」
「出所したその日に、それも被害者の父親をどうして」
「わかりません…ただ」
「ただ、なんだ?」
「目が…」
「目がどうした?」
「健介さんの目が、佐千夫と一緒だったんだ」
「そりゃ、お前、親子だからな。それが理由か?え?」
「同じ目をしておれを見るんだ」
「はぁ?」
「同じ目なんだぁ!」
直樹は取調室で号泣して、机に突っ伏し、取り乱した。
翌日、直樹は送検された。
(おしまい)
今朝、私が見た夢の断片から作ったお話です。
登場人物は架空の人です。世田谷には行ったことがありませんが、最近、世田谷自然食品の宣伝がうるさくって頭に残っていたのでしょう。
刑務所といえば網走か府中しか思い浮かばず、網走は閉鎖されて博物館になっているらしいし。