働くということ
書庫にこもって、埃と格闘しながら、古い書籍を整理していますと、「私は働いていないのではないか?」とふと思うのです。
人にも会わず、今月は、家事と夫の介護以外は、ずっと二階の書庫にいて、日が傾き、暗くなるころに「今日はここまで」と階下に降りる。
特定小電力トランシーバーで階下の夫と連絡を取るだけです。「おしっこ」「すぐ降りるわ」…
手には数冊の未読の本を携えて。
確かに賃金をいただく働きはしていない。
内職的な、部品の加工を平日の1時間から、多くて3時間程度をする程度です。
今の会社との雇用契約は「正社員」ですが、内容はもはや「内職」もしくは「パートタイム」です。
社会保険が「労使折半」になっているとうことだけがメリットです。
リーマンショックのときには「給料遅配」も経験しました。
でも文句は言わなかった。経営が大変だということを知っていたし、私がぶらぶらしていたときに、社長が拾ってくれた恩もありました。
賞与は雇われた時から「ない」と言われていて、もらったこともない。
当然、退職金も無いと雇用契約を結ぶときに納得済みです。
私は世帯主ですから、本来、こんな雇用形態なら、さっさと辞めて新しい会社を探すべきなんですよ。
友人からも、強く言われました。
「そんなブラックな会社は辞めてしまいな」とね。
でもね、決して「ブラック」ではないんですよ。
介護しながら、家で仕事してくれたらいいと社長が言ってくれたんです。
いじめも虐待もありません。
ただ、お金がない。そういう会社です。
現在の自民党政権は、このような会社は「潰せ」と言わんばかりでした。
前の、民主党政権では「潰れないように補助金を」という政策でした。
民主党のおかげで今があるわけですが、「あのとき潰れていてくれたら」と思うこともあります。
まだ夫が倒れる前でしたから、条件のいい職場を探せたかもしれないからです。
なるほど、生産性の無さで言えば、私たちの会社は「社会のお荷物」かもしれません。
ほそぼそと自社製品を作っているのは買ってくれる人がいるからです。
でもまったく採算が合っていない。
経営も杜撰と言うか、幼稚なんです。
私が前に勤めていた化学会社は、そこそこ大きく、年二回の人事査定で厳しく評価を決定されていました。
研究職でしたから、研究テーマの進捗を会議で追及されます。お偉方の前でね。
さらに、年に一度の研究発表もせねばなりません。
成果は、その製品が売れているかどうかや、将来性がどれだけあるかで示すほかありません。
化学品ですから、顧客に採用されれば、この先、何年も使っていただける可能性が大きい。
ライバル製品が市場にあっても、最初に採用されると強みになるんです。
一度採用した顧客は、なかなか新しい同等品を、価格だけで変えようとしないことが多かったからですが、バブルがはじけて、顧客の台所事情が苦しくなってくると、そうも言っておられず、あるとき何トンも売り上げのあった製品が、ばっさり切られてゼロになったこともありました。
しかしそれは、研究者の責任になるんですね。
「先を読んで、切られないような性能を出せ」と上は言いますから。
「良い物は高くても買ってもらえる」というのが当時の会社のモットーでしたからね。
私の開発した新製品を、新しい工場で作るとなったとき、私はプラント設計のチーフに任命されました。
責任だけが覆いかぶさって、「稼働はいつからだ?」と上からは会議のたびに追及されます。
また生産部門からは「こんな複雑な製造装置は使いこなせない」と突き上げられます。
実際、実験でうまくいったはずのことが、本式の製造装置ではできないのです。
何トンもの不合格品ができてしまいました。
部下は一人だけでした。彼も疲れ果てていました。
責任は私一人が負わねばなりません。
私は化学者であり、プラントについては素人です。
ゆえに、プラント設計会社にまかせっきりでした。
粘性のある液体の挙動、管内の流れの状態などをまったくわからないで、プラント設計者の言うとおりに理解していました。
ポンプの能力、管径、大気圧、温度そういった諸々の条件を電卓で弾いてました。
適当なシミュレーションソフトがあればよかったのですが、当時はそのようなものはなかった。
出来上がった建屋付きの三階建ての製造装置は、それは見事でした。
感動しました。
その感動もつかの間、まったく予定通りに動かない。
私は悲壮感にさいなまれました。夢にも出てきます。
朝から夜遅くまで、生産部員と作業しました。
生産部員は、文句も言わず、あれこれ力仕事を受け持ってくれたんです。
内容量を減らし、脱臭脱色用活性炭の能力が十二分にあるので、とりあえずポンプの能力の範囲で稼働させることにしたんです。
生産性はガタ落ちでしたが、時間を掛ければ製品が得られました。
当然、会社の私への評価もガタ落ちです。
私の心に、すき間風が吹きました。
「なんやったんやろ」
契約というものの重要性を、思い知りました。
プラント設計会社は、彼らが「自信をもって」設計したはずの装置を、中途半端な完成度で私に押し付けてきたのです。
法律が、少しは救ってくれました。
向こうが「効果があるから」と押し付けてきた「砂ろ過装置」をタダにさせ、トータル金額を下げさせたのです。
当初の1億円が8千万円まで下がりました。
二年ほど、支払いのごたごたが続き、騙し騙しプラントを生産部員の努力で使い続けました。
私は疲れました。
確かに給料やボーナスは下がったとはいえ、ほどほどにもらえてました。
でも自由になりたいという気持ちが勝ったのです。
子供がいなかったこともありました。
辞表は、けっこうあっさりと受け取ってくれました。
女で、管理職は無理だと思っていたのでしょう。
厄介払いというわけです。
約400万円の退職金と、自社株売却益13万円が私の口座に振り込まれておしまいでした。
それで5年ほどぶらぶらしていたんですよ。
司法書士の資格を取りたくて予備校に通ったりして。
5年目の試験で不合格だったので、このままではいかんと、ハローワークに行き、今の会社の面接を受けたら「明日から来てよ」ということになりました。
そこからです。私がのびのびと仕事を楽しめたのは。
機械製造の会社で、化学に明るい人が欲しかったそうです。
ものにならなかったけれど、法律を5年間かじったので、契約書関係や申請書関係にはそこそこ明るくなっていたし、特許出願は前の会社で何件か経験していたので、そういう事務作業も受け持たされました。
あと、英語を少しできたことが重宝がられました。
のびのび働けて、認めてもらえるけれどボーナスや退職金のない働き方と、安定で高給が保証されるけれど、重圧も大きい働き方とどっちがいいのだろう?
私は本を片付けながら、そんなことを考えています。
ただ、この会社も、経営が風前の灯火なのです。
こんどこそ、会社は耐えられないだろう。
その時、わたしは、この生活を維持できるだろうか?