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オトナ未満(4)

まだ梅雨は明けないが、高校生になって初めての夏休みが近づいてきた。
科学部では合宿を兼ねた「フィールド・サーベイ(FS)」を主催するのが恒例となっている。
本校のFSは、科学部部員だけでなく、全校生徒を対象に自由参加で行われる、約一週間の旅行である。
自然科学系、人文科学系の先生たちも同行して、日本の地形や地質、動植物の観察、地理的、歴史的な特徴などを探査する旅行だから「サーベイ(探査)」なんだそうだ。
途中、軽い登山も経験し、キャンプなどの野外活動が盛り込まれ、教員と生徒の親睦も深めようという意図もある。
つまるところ、学生の自主性を重んじた大人の旅を経験するのである。
修学旅行とはまた違った、1年生から3年生までの混成の旅行だから部活動をしていない生徒にとって、またとない先輩後輩との出会いの機会だった。
もちろん費用もかかるので自由参加となっているし、八月上旬の計画なので、運動部の生徒にはスケジュールが合わず参加できないという欠点はしかたがなかった。

「なおぼん、クラブ局の申請を出したで」と西村さんが教えてくれた。
アマチュア無線では、免許を有する人が集ってクラブ局(社団局)を開局することができ、コールサインも別に付与されるのだ。
「定款とかどうしました?」
「数学の小野先生っていはるやろ?あの先生が1アマやねん。そんで、先生が代表者になって、定款とかつくってくれはったんや」
※「1アマ」とは一級アマチュア無線技士のことで、アマチュア無線技士のうちの最高資格。
「うわぁ、よかった」
「FSまでには、コールサインとかも間に合うと思うよ」
西村さんが、
「小野先生はワンゲルの顧問もやってはるから、FSには合宿と重なるんやて」
「それで?」と佐野さん。
「それやがな。ワンゲルも信州方面に行くらしいから、無線で連絡を取り合おうって」
「そら、おもろいな。楽しみやな」
期末試験を前に、あたしたちは勝手に盛り上がっていた。

家に帰ると、父がJARL(日本アマチュア無線連盟)のビューローから届いたQSLカードの束をチェックしていた。
交信記念の証書であるQSLカードは郵便で送り合うこともできるけれど、数が多いと切手代もばかにならない。
だから、交信相手もJARL会員だったら、JARLが「ビューロー」というシステムで無料配送してくれるのだった。
そのため、ひと月にまとめてJARLに自分のQSLを送り、反対に、自分宛の各局からのQSLがJARLからまとまって送られてくるのだ。
「これが、なおぼんの分や」
「サンキュ。お父ちゃん、あんな」
「なんや?」
老眼鏡を鼻先にかけて、父があたしを見る。


「合宿のことやけど」と、あたしは切り出した。
「ああ、信州のほうに行くんやて?」
「行っていい?」
「かまへんがな。行っといで。学校の先生もいっしょやろ?」
「そやけど。四万五千円くらいかかるねん」
「ええよ。娘一人にお安い御用や」
「無線機、もっていっていい?」
「そうやな、移動運用もおもろいな」
「先輩とおんなじこと言うてる」
「そうか。先輩にも無線やってるのがおるんか」
「二人いてはる。それに今度クラブ局を申請したら、代表に数学の先生がなってくれはった。小野先生って言うてな、1アマやねんで」
「へえ。いっぺん交信させてもらいたいもんやね」
「コールサインが下りたら、学校から、お父ちゃんを呼ぶわ」

日々は飛ぶように過ぎて、一学期の終業式になった。
通知簿はご想像におまかせするが、楽しい夏休みの前に、そのような些細なことはどうでもよかった。
一学期最後の部活動ということでお昼前に科学実験室に科学部員が集まった。
「部長の中島君は、こんどのFSには参加されません。三年生なんで勉強の方に力を入れたいということで、みなさんも理解してあげてくださいね」と顧問の山本真理子先生が言った。
部長が照れくさそうに立ち上がって、
「すまんね、勝手言うて。そのかわり、副部長の長谷川に全部任すから。頼むわな、長谷川」
「はい、オッケーです。部長の医学部受験、応援してますから。なあ、みんな」
みんなで応援の拍手をした。
「やめてぇな。おれは浪人覚悟でやってみるねんから」
実際、科学部の三年生は部長を入れて四人いるが、進学を控えているので参加しない。
それはみんな承知していた。

「ほんなら、みんなちょっと集まってくれるか」長谷川さんが前のテーブルに促した。
FSの資料とか、部屋割り表をそこに広げた。
「山本先生と北先生と、なおぼんは一緒の部屋な」
あたしはみんなから「なおぼん」と呼ばれるようになっていた。
女子生徒の参加は、あたし一人だったので顧問の山本真理子先生と、社会科の北早苗先生と一緒の部屋になった。
地学の秋山和夫先生の一班、生物の植村修司先生の二班、物理の岸本健夫先生の三班、化学の萩野忠先生の四班の総勢二十三人、バス一台で構成された部隊だ。
そしてクラブ局のコールサインが二年の佐野雄二さんより発表された。
「府立門真高校無線クラブJR3Y**と決まりました。今回のFSから初運用となります」
拍手が起こった。
クラブ局のコールサインはプリフィクスの後、YまたはZで始まる三文字のアルファベットという決まりになっているそうだ。


バスの車窓から、大阪の景色が過ぎてゆく。
真理子先生と一緒の席で、あたしを窓際にしてくださった。
「先生は、大学はどこなんですか?」
あたしは、何を聞いていいかわからず、そんな質問をした。
「あたし?大阪工大って知ってるかな、淀川の川べりにある」
「名前は知ってます。うちの学校からもけっこう行ってますよね」
「近いからね。大阪工大の応用化学科で教員免許を取って、門真に来たんよ」
「へえ、お家は遠いんですか?」
「野江(のえ)。京阪の」
「ああ、京橋の一つ手前ですよね」
「そうそう。各停しか停まらへん駅。なおぼんは、化学は好き?」
「あたしは好きですよ。電気も好きやけど」
「無線、面白そうやね。クラブ局もできて、今年は、なんか科学部もすごいことになってきたなぁ」
「あたしも、どうなるかわからへんくらいワクワクしてます」
「なおぼんみたいな女の子がもっと入ってくれたら楽しいのにねぇ」
「FSも女の子は参加しませんね」
「以前は二、三人は参加してくれててたんやけどね。まぁ、あたしも赴任して三年、あ、四年か今年で…しかならへんからね」
「化学の実験をもっとしたいです」
「そうやねぇ、見栄えのする実験とかやりたいんやけど、時間と予算がねぇ」
「科学部でも実験するんでしょ」
「簡単で安全な、しかし深い実験をしますよ。シャボン玉の膜の厚さを測定するとか、五月の連休明けにやったでしょう?」
「シャボン玉を強くするとかなら、中学の時にやったけど、膜の厚さの測定は難しかった」
「シャボン玉が薄膜だということから、虹の干渉縞が観察されるわね、あれ自体は幼稚園の子でも知ってる。高校生ならもっと掘り下げて科学する目を持ってほしいと思って提案したのよ」
「物理の実験でしたよね、中身は」
「実は、そこんところを感じてほしかったの。化学も物理も垣根はないのね。みんなは化学は「暗記もの」だと言ってるけれど、じつはそうじゃない。やっぱりサイエンスなのよね」
バスの中で、お菓子を分け合いながら真理子先生と科学についていろいろ話した。
名神高速道路から中央道に入って、恵那山トンネルを抜ける。
抜ければ「伊那」だ。
社会の北先生によれば、「恵那」も「伊那」も同じ地名で、なまっているだけだそうだ。
恵那峡を抜ければ、発音が変わって「伊那」になるとか。
北先生は結婚されていて、小学生のお子さんもいるんだけど、FSに参加するんで実家に預けてきたとおっしゃった。
「どうせ、夏休みだし、早めに、ばあちゃんのところに行きたいって言うし、預けちゃったのよ」
「北先生は田舎はどこなんですか?」
「四国の丸亀、団扇(うちわ)と、うどんが有名ね」
「へぇ」
長いトンネルだった。
ツーンと耳がおかしくなる。
あたしは、すこし体がすぐれなかった。
生理が来そうなのだ。
お腹がちょっと痛い感じがするのである。
多めにナプキンを用意していたし、つぎのサービスエリアでちょっとつけて置こうと思った。
もうすぐ「諏訪」のSAだと長谷川さんがマイクで告げてくれた。

(つづく)

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