暗い歌が好き
こんばんは。わたくし後藤尚子(旧姓横山)、人呼んで「なおぼん」と発します。今は亡き親からは「北河内」で産湯を使いましたと聞き及んでおりやす。生まれも育ちも、気性の激しい北河内でございますから、未通女(おぼこ)い折から男勝りの口をきき、けんかっ早いが情に厚いところも持ち合わせておりやす。おあ兄さんがた、おあ姐さんがた、以後お見知りおきを。
では、すぎもとまさとの『吾亦紅(われもこう)』でご機嫌を伺わせていただきやす。
あたしね、もう親がいないでしょう。こういう気持ち、ようわかるんです。何度も、仕事にかまけて親元に帰らんかったからね。孫の顔も見せられんかった。子供、作らんかったからね。いまさら遅いやね。
これは暗いよ。『赤色エレジー』(あがた森魚)です。「赤色」は「せきしょく」と読みます。「赤貧」のことだと思います。こういうのは『ガロ』だよねぇ。林静一の劇画を歌にしたんだそうです。
暗さでいったら、山崎ハコは間違いなく暗い。
『青春の門』だよ。「しんしゅけしゃん!」泣かせるねぇ。
私は現在、京都府南部に住んでいるので、伏見区竹田地区を良く知っています。そう『竹田の子守歌』(山本潤子)です。
竹田地区は近鉄京都線の竹田駅の周辺でね、名神高速道路の京都南インターがあって、ラブホテルがたくさん建っていたりする。その間に古い民家がひしめいていて、あとは農地。書くと問題があるので書かないけれど、悲惨な過去があるのです。
岡林信康の『チューリップのアップリケ』は歌い継がれていい曲です。格差社会だなんだって今言っている人はこれを聴け。昔はもっと格差があったんだ。
岡林と言えば『山谷ブルース』なんだけど、吉幾三の歌でしみじみ聴いてほしい。
昭和歌謡には暗い歌が多いと思います。高度成長期で所得が倍増した国民はもいれば、地方から出稼ぎで出てくる人、金の卵とおだてられて集団就職してきた年端もいかない少年少女たちがいたのです。井沢八郎の『あゝ上野駅』もそうです。
すると中島みゆきの『ホームにて』(歌:手嶌葵)もそういった故郷を離れて都会に出てきて、帰りたくても帰れない心境を歌ったものだと理解されます。
暗い歌を歌うことで、強く生きることができる…そういった、したたかさがあの頃の人々にはあったのだと思いたい。それは「強がり」かもしれません。うそをついてまで、威勢良く見せる、悲しい現実がある。
中島みゆきの作品にはそういうものもあります『永遠の嘘をついてくれ』です。吉田拓郎とのデュエットでどうぞ。
暗い中にも強靭な芯がある。そういう生き方があったし、今だってあるはずだ。本当に弱りはてた時に、こういった昭和歌謡は助けになるはずです。