あそびせんとや生まれけん
咳(せき)の子の なぞなぞあそび きりもなや (中村汀女)
お母さんと子供のふれあいが、微笑ましい一句です。
咳が出て、しんどいのに、なぞなぞをつぎからつぎへと母にねだる子・・・
「もう、この子は、寝なさい」
と、たしなめる母親。
あたしと母との思い出を、彷彿(ほうふつ)させる句なので、好きなんです。
あたしが風邪をひいて、学校を休んだときです。
母は、お蜜柑(みかん)を剥(む)きながら『セロ弾きのゴーシュ』のお話を寝床でしてくれました。
ゴーシュが楽団で失敗ばかりするので、一人で夜遅くまでセロの稽古(けいこ)をするんですね。
そこへ、いろんな動物たちが、やってきます。
ネコだったか、タヌキだったか、とても横柄(おうへい)で失礼なことをゴーシュに言うんですね。
(ネコです!)
すると、ゴーシュも頭にきて、『印度(インド)の虎狩り』という曲を激しい音を立ててセロで弾きまくるんです。
驚いたたぬきは、すっとんで出て行きました。
(だから、ネコですってば)
その『印度の虎狩り』を、あたしは『印度の虎刈り』だと思って、母に「虎刈りって、散髪屋さんの曲なん?」
って訊いたのね。
母も、そう思っていたらしく、
「インド人の散髪屋さんが、へたくそで、お客の頭を虎刈りにして、お客が激しく怒った曲なんやろね」
「そっかぁ」
アホな親子ですね。
この曲『印度の虎狩り』は賢治の創作だそうです。
ずいぶん後になって、高校の現代国語の先生に教えてもらいました。つまり十七のええ歳になるまで「虎刈り」やと思っていた私。
「ゴーシュ」とは「左利き」の意味があるそうで、転じて「ぶきっちょ」を意味していると、物語の解説にはあります。
あたしは大学の有機化学の授業で、「立体化学」のところで再び「ゴーシュ」に出会いました。
「1,2-ジクロロエタンの立体配座を塩素原子に注目して」と、三種類の図を、助教授が黒板に書きます。
「この塩素がぁ、向き合って同じ方向にあるときをシスって言うんやったね。エタンは炭素、炭素の結合の回りに自由に回転できるからぁ」
白墨でカンカンと叩くように助教が書きます。
「こう、回ると、塩素が対角に位置するようになると、トランスと言う…、で、その中間のだいたい、塩素がお互い60度くらいに位置する時をゴーシュって言うんです」
エタンの塩素置換体は、炭素・炭素「一重」結合の回りで自由回転できるものの、塩素原子は電気陰性度が高いので、シス型だと、陰性(マイナス電気)度が高く反発力が強く働き、その位置を保ちにくい。
反対にトランス型は塩素原子が互いに遠いので安定である。
その中間のゴーシュ型は、反発力も中間で、取りうる位置の確率も中間だと言うのが助教の説明だった。
おもしろいことに、ゴーシュ型からトランス型に移るまでにもう一度(約120°)エネルギーレベルが高くなる部分があるそうだ。
どうやって、これを測定するのかが、あたしには今もわからない。
ちなみに「ゴーシュ」はフランス語なんだそうだ。
話は飛ぶが、小さいころ、あたしは積み木を買ってもらえなかった。
それで、父の麻雀牌を積み木代わりにして遊んでいた。
箱に同じ仲間(ピンズとかソーズ)を入れて、一個だけ抜いて「箱入り娘」という遊びをしたこともあった。
神経衰弱もトランプじゃなくって、牌でやるの。
見ちゃいけないから、「盲牌(もうぱい)」を使っても良いというルールでね。
指先の感覚を研ぎ澄まして、当てるのよ。
「山崩し」やら、「仲間はずれゲーム」やら、お城を作ったり、無限に遊べる麻雀牌は立派な「知育玩具」だと思うわ。
麻雀自体、本式に覚えたのは大学ですよ。さすがに。
さて、夜も更けました。
こいつをナイトキャップに…
カナディアンクラブが千円切ってたんで、つい買ってきました。
ハイボールにして、広島レモンの青いやつをキュッと絞れば、ほのかな甘味と酸味が口に広がります。
いやあ、飲みやすいんで、すぐに空っぽになっちまう。
スコッチのような田舎酒のクセがないんですよ。
実にアーバンだ。
うん。
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