#いにちうむ デュサパン・ホリガー・エッシャーひとくちnote
(文: 柳嶋耕太)
デュサパン: 死の影
レクイエムの典礼文および昇階唱Si ambulemのテクストを順不同的に散りばめる形で作曲されているデュサパン: 死の影でコンサートは幕を開けます。主にソプラノとベースによって断片的旋律が交わされるなか、そこへ微分音(1/4音)のぶつかり、あるいは息を多く混ぜて喘ぐような音色などいくつかの特殊な技法を用いながら他パートが呼応します。しかしそういったやり方が意味的不穏さに直接寄与するかどうか、というよりは、それでもこれは素朴な祈りである、としてうたうことを大切にしたいと考えています。この曲においては、不協的な音の重なりはわかりやすい音楽からの逸脱ではなく、自然な声の線の交わりの結果として現れます。できる限りニュートラルに、そこに生ずる音へ耳を傾けていただけると嬉しいです。
ホリガー: 詩篇
次のホリガー: 詩篇は旧約聖書をテクストとする作品ではなく、パウル・ツェランの詩によるものです。文体として神なる主を讃えるようでありながら、肝心の「主」ということばが入るところにはNiemand(だれでもないもの、nobody)ということばが用いられ、空疎そのものに対して祈るという構造になっています。このテクストのあまりの空虚性を音楽として捉えることをホリガーはどう試みたかというと、それは(ほとんど)一切の有声音を用いないというやり方によってでした。ディクションは子音によってしめされる外殻だけとなり、母音のない、うたのない空洞となります。
エッシャー: 平和のほんとうの顔
これらに続く、今回の演奏会テーマの借用元作品でもあるエッシャー: 平和のほんとうの顔は、ここまでとうってかわって調性的な、色彩にあふれた作品です。過去記事でも言及しているとおり、ピカソとエリュアールの合作による同名の詩画集がテクストとなっており、その前向きで意志の力に満ち溢れた内容にふさわしい音楽です。とりわけ中間部においてバスによって奏されるテーマ(下画像)が作り出す「巨人の歩み」(訳詩参照)の律動が印象的で、一度聴いたら口ずさみたくなるかもしれません。さらにこの律動を下敷きにし、歩みの幅を共にしながらも、さまざまなパートがそれぞれに異なるリズムパターン、語りかたでおのおの自身のことばを口々に紡いでいく、というのはある種、閉ざされていた社会が回復していくプロセスのようでもあります。
最後に、この3曲の中からホリガー、エッシャーのリハーサル映像の一部を貼り付けておきます。ぜひ、会場でお楽しみください!
vocalconsort initium ; 6th concert
- Le vrai visage de la paix -
11/22 Tue. 19:15〜
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