ワークもライフも、なんて我儘
23時46分。神楽坂近くのバーにて。
高校からの友人と定期開催の晩酌。
この時期になると、決まって友人は病む。
当たり前のような休日出勤。深夜1時を過ぎても帰れない日々。社用PCの電源が落ちたあとは、息を潜めるようにノートパソコンを立ち上げ作業を続ける。労基もビックリ、典型的なブラック企業だ。
ウイスキーを掲げながら、
「絶賛13連勤中❤︎」
とにんまりと友人は笑ってみせたが、目の奥は死んでいる。
25歳。上京して東京暮らし。
社会人3年目ももう終盤。あっという間に4年目に差し掛かろうとしている。
先日、職場の後輩には「すごいですね!」と褒められた。聞き返したところ、「3年働いたらもう辞めないじゃないですか!」と。
時折、考える。
おそらく、いや、確実に私は恵まれている。
医療職として就職し、やりがいもある。
職場の人間関係も良く、新卒3年目にしていいポジションをいただけて、それなりに評価もされている。
今の仕事が嫌いなわけじゃない。
ただ、後輩の言葉が引っかかる。
「3年働いたらもう辞めないじゃないですか」
果たして、
“私は、ずっとこのままでいいのだろうか”
連勤の疲労からか、重たくなっている瞼を擦りながらバーのカウンターで友人が言う。
「なんかさ、上司の姿みてると“あー私の将来像これか”って絶望するんだよね〜」
確かに。“上司”といっても様々だろうが、私の上司は面倒見が良く、ユーモアがあって面白い。職場で会えばひと笑いさせてくるような親しみやすさを併せ持つ高学歴ワーママだ。私はそんな上司のことが大好きだが、ふと、ロールモデルとしてはなんか違う、と思う時がある。(失礼極まりない発言をどうか許して欲しい)
都内に立派な家を持ち2人の子供を育てながら、医院の経営・スタッフのマネジメント、教育・採用と多岐にわたって仕事を抱える上司。“バリキャリ”という括りになるのかもしれないが、私の想像とは少し異なる。
私の憧れる「バリキャリ」は“プライベートも充実させている”のだ。
子供を育てながらの仕事というのは、想像を絶するほどの業務量なのだと思う。純粋に尊敬している。
だが、上司の睡眠時間はいかほどだろうか?
よく、深夜2時〜3時にLINEの通知が入ることがある。
「遅くにごめんね〜!あの業務って〇〇だったっけ?」
“幹部”という括りのグループラインが活発に動くのは決まって深夜なのである。
どちらかと言えば朝型人間である私は、いつも起きてからその通知量に驚く。
LINE画面を3〜5スクロールした後に送る、「出遅れましたすみません」が、私の朝の挨拶だ。
大きな目の下にクマを持ち歩く上司に、一度聞いたことがある。純粋に「〇〇さんっていつ寝てるんですか?」と。
上司はいつもの快活とした笑顔で「あー!私ショートスリーパーだから!」と、答えになってるようでなっていない返答をした。
キャリアアップできる職場、というのがうちの魅力ではあるが、“時間外に大量の仕事をこなして”でしかキャリアアップできないのなら話は別だ。
「生産性」という言葉があるように、業務効率を上げて“業務時間内で”成果を出す。
そして定時で帰り、帰宅後の時間は自分自身や家族のために使う。アメリカの働き方を見習いたいものだ。
「ワークライフバランス」が謳われる昨今、自信を持って「ワークもライフも充実してます!」と言える企業がどれだけあるだろうか。
友人は、声をかけてきたナンパ紛いの男性を軽くあしらい、ウイスキーを飲み干した。
「残業なしのいわゆるホワイト企業でぇ〜、ちゃんと稼げて、東京で自立して生活できるくらいのお金があったらいいよね〜。残業代なしで月50万とかあったらいいな〜。ネイルもメイクもヘアスタイルも自由。自分のアガる自分で働けて、あ、あとは福利厚生で週一朝ヨガ会とか。ウェルネスも掲げる会社って素敵じゃない??」
たぶん、ちょっと酔ってる。
頬と耳がほんのり赤い。
「月50万あったら何しようかぁ〜、なーんにも考えずモルディブで海水パシャパシャしたいなぁ」とかぶつぶつ言ってる。
でも、いいなそれ。
私も、グラスを傾け一気に飲み干す。
勢いよくグラスを置いたので、ゴツンという鈍い音が鳴る。
『それ、いいね。乗った』
「え?」
眠そうだった友人が目を見開く。
“ふぇ?”という発音に近い間抜けた声だ。
「...モルディブの話じゃないよね?」
『モルディブじゃない方の話だね笑』
『ないなら、創ろうかなって』
女性が、私たちが、自分を「好きな自分」なまま、美しく、健康に歳を重ねていけるような。
ワークもライフも充実し、人生を謳歌できるような仕組みを創ったらいいじゃないか。
女性のライフスタイルは、目まぐるしく変わる。結婚、妊娠、出産、育児。
その都度、ワークとライフを天秤にかけ、頭を抱える人が多いのが現状だ。
“なぜ、女性ばかりが我慢しなければいけないのか”
こういった考え方も一理あるし、共感できるが、私はこれはある意味特権だと思う。
“女性だから、ライフスタイルが変わるからこそキャリアについて考える機会を多く得られる”のだ。
ワークかライフ、なんて働き方はもう辞めよう。ワークもライフも、私らしさの純度を高く、もっと欲張りに生きようじゃないか。
人それぞれ個性があるように、それぞれの働き方があったっていい。それが自分軸で明確になっていれば、両立は可能なのだ。
ただ、きっと、アンテナが低いだけなのだ。
自分自身の「やりたい」「こうなりたい」の理想にもっと我儘なってもいいと思う。
『よし、サクッと会社辞めるかぁ』
なんて私が言うから、友人は呆れた顔をした。
「あんたの行動力にはいつも驚かされるよ」と。
固定概念というのはとても窮屈で鬱陶しく、でも同調や承認などの安心感が得られる。
人間の本能的に“変わらない”というのは安心するのだ。
だが、私は問いたい。
自分自身にも、これを読んでるあなたにも。
“ずっと、このままでいいのか”
目を閉じて、好きな自分・なりたい自分を想像したとき、それが成長しなければ手が届がないならば、どうにかして変わらなければ実現はないのだ。
将来・お金・恋愛・結婚・キャリア、、、
社会人になって、色々なものが見えてきて、見たくないのに30代という節目なんかもチラついてきて。いいことも悪いことも、ある程度の経験はしてきて、だからこそ先もなんとなく想像できちゃって。20代は悩みでいっぱいだ。
そんな20代に革命を。
変化が怖い気持ちはよくわかる。
だから私が、まず、やる。
私ができたら、みんなの励みになるでしょ?
失敗しても大丈夫。若さというのはそのための保険だ。
友人を乗せたタクシーを見送る。
深夜2時。夜風が気持ちいい。
冬が終わり、やっと春が顔を出した気がする。
季節の境目が曖昧な夜が好きだ。
『よし、いっちょやってやりますか』
タクシーに乗り込み、窮屈なヒールをそっと脱いだ。