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消したい思い出に限って

こんにちはおはようございますこんばんは。

笠木颯太です。

note再開しちゃいました。

日常でふと思ったことをたらたらのぺのぺと綴っていきます。よかったら見守ってあげてください。よろしくお願いいたします🙇‍♂️


近況報告

 さてさて、ココ最近の僕はといいますと、「なーんかいい事ねぇかなぁ」って感じです笑。そのくらい、2023年度に入ってから、いつもよりペース早めに不幸な出来事がびゅんびゅん襲ってきました。コンクール落選、度重なるプライベートでのトラブル、友人の死、など…それに加え以前から続いている体調との闘いは続く一方。もはや僕の頭はそんな不幸たちに圧され故障して正常に作動しないみたいです。今必死で修理を頑張っているところです。
 自分の頭を修理するのはとても難しいですね。うまいこと完成形をイメージして部品をはめてみたり形を戻してみたりしても何故かうまく復旧できないなんてことはしょっちゅうです。でもこればかりは自分にしか直せません。この後幸せに生きるのであれば第一歩としてやるしかありません。

思い出の整理

 そんな、自分の頭の修理をする上で必要な作業のひとつに、「思い出の整理」があります。過去の事をいちいち振り返るのは良くないという声もありますが、過去をなくして今はないため、今の自分を見つめ直すためには必要不可欠な作業だと思っています。
 1つの出来事を思い出すにしても色々な視点から思い出を蘇らせることができますよね。わかりやすくたとえると、例えば合宿1つでも、その時に行った場所の事、その時一緒だった仲間たちの事、その時よく聴いていた(弾いていた)曲の事、など…今でも残っている余韻に浸るのは楽しくて幸せです。しかし厄介なのは、できることなら消してしまいたい思い出の処理の仕方です。これもわかりやすくたとえると、例えばいじめを受けた出来事であっても、前述の楽しかった思い出と同じように、そこから派生して、いじめてきた奴らの顔とか、そんな時代に行った場所とか、そんな時代によく聴いていた曲まで、鮮明に思い出されてしまうのです。しかもめんどくさいのは、なぜかこうした消したい思い出の方がくっきりと見えやすいということです。下手するとそういう過去がくっきり見えすぎて幻覚となりそれ以外何も見えなくなってしまったりもします。

僕なりの思い出の消し方

 以前までの僕は、こうした消したい思い出にまつわる物や場所などに関してアレルギー反応を起こしてました笑。それに関する写真も投稿も(なぜか一枚だけ消し忘れてたのを今になって発見した以外は)全部消したし、それを思い起こさせるような曲は意地でも聴こう(弾こう)としなかったし、そこを通ったりその人に出逢っただけで精神崩壊したりもしたし、他人がそれを話題に出すことすらも許せませんでした。そうは見えませんでしたか?そりゃそうでしょう、さすがに他人の前では平静を装うのに必死でしたから。
 でも今は、何故かそんな消したい思い出に、あえて足を踏み入れようとする時ができるようになりました。あの時聴いていた曲を久しぶりに流してみよう、あの時行った場所にまた行ってみよう、あの人と久しぶりに話してみよう、など。そういった行動をしてみると、意外と肩の荷がおりた!なんてこともしばしば。
 自分のやってる事はトラウマを呼び起こしているようなものなのに、何故こんなにも安心するんだろうかと少し考えてみたんです。それで行き着いた答えは、「これが僕なりの思い出の消し方なんだ」ということです。よく考えれば当たり前の話なのですが、過去の自分と今の自分とでは置かれている状況などに色々違いがあります。だから、時間が経てば、例えば同じ場所に行くにしても、今行けばまた新しい思い出として「上乗せ」することができるのです。ここで気をつけたいのは、最初から過去を消すために新しい思い出を作ろうとせず、新しい思い出を作るために新しい思い出を作るということです。消したい思い出を完全に消すのはもう諦めました。過去とは違う目的でそこに飛び込めば、新しい思い出は自然とできて、後でそれに安心して浸ることができるのです。なぜか知りませんがそうこうしてるうちに過去のトラウマなんか「そんな事もあったなぁ」程度になってたりして。
 たとえどこであっても、思い出は積極的に作りに行こうと心に決めた今日この頃です。今度こそ幸せなものになれますように……


ところで最近ほんっとうに暑いですよね!!火の中にいるみたい…

今度、トラウマ時代に買った、GUの10倍のお値段する服着て海にでも行こうかしら。

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