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90年代とoasisが教えてくれたこと。
2021年9月23日よりoasisの歴史的野外ライブの模様を映像化した「oasis KNEBWARTH 1996」が一週間限定で全国公開された。
2日間で25万人超を動員した当時の野外コンサートの動員記録を更新した<オアシス>史上最大規模の野外ライブ。チケットは1996年5月11日に発売され、地元のレコード店やチケット売り場には一晩中行列ができ、世界中のファンが一日中電話にかじりついてもなかなか予約電話は繋がらず!すべてのチケットは24時間以内に完売し、英国のあらゆる興行記録を更新。主催者は、イギリスの人口の2%以上がチケットを購入しようとしたことから、バンドはその2~3倍のチケットを販売できたと推定。そして今でも語り継がれる90年代最大のコンサートが実現した。(公式HPより一部抜粋) https://www.culture-ville.jp/oasisknebworth1996
【以降ネタバレあり】
先ほど、この映画を見終わり、帰りの電車の中で考えてたことをそのまま書いてまーす。
- 感 想 -
結論、最高だった!映画を観たというよりもライブ参戦したような感覚に近く、oasisの楽曲を爆音で聴けただけでも映画館に足を運んで良かった。
SNSもコロナ禍もない世界の中で、密集しながら生の音楽を全身で浴びている映像は、今や貴重な記録になってしまいましたね。
「oasisが好き」という1つの理由で、イギリス中の若者たちが一体化していて、チケット競争から会場に向かう過程もライブに含まれるといった感覚は、凄く共感してしまった。会場で友達になったり、ラジオ放送をカセットに録音したり、何と言っても画面に映るナチュラルハイなみんなの笑顔が溢れかえっていて、それを観てめちゃくちゃエネルギーをもらった。(イキイキしてていいなぁ...)
- 1990 / 2020 -
リアムが後半語っていた言葉に考えさせられた。
「90年代は、インターネットが普及する前の最後の時代であった。」
インターネットの普及により、当時は「人と人とがより繋がりやすい時代なる」と予想されていた。しかし、当然ながら、その予想には違和感しかなく、孤立化が今やどんどん進んでる気がする。
- 「好き」が多様化してしまった2020年代 -
情報化が進みまくり、今や「情報爆発」と言うらしい。日々生まれる膨大な情報量の中に、スポーツ、カルチャー、コンテンツも爆発的に増えた。
個人の「好き」が重んじられて、共通の「好き」が消えてしまっているからこそ、逆に繋がりづらくなったのかもしれない。ほんと皮肉。
例えば、友達、家族、恋人、と話していても、自分が熱狂的にハマってるのものの話とかしたいけどできない。そんなことはないだろうか。
自分「昨日、Netflixで面白いの見つけてさ!□□っていう...」
相手「俺、契約してないんだよね。(好きなアーティストの話したい)」
↑私の場合、結構あるあるです笑
例え相手がNetflixに契約していても、その人はおそらく観ないだろうし、期待もしなくなってしまった。それほど個人の「好き」が多様化してしまい、昔と比べ共通の「好き」で繋がることが難しい構造ができてしまった。それが、2020年代という私たちが生きている時代だと思う。(だからこそ、巡り会えた時の感動はバカでかい。笑)
「90年代はSNSが無かったからこそ"繋がることができてた"最後の時代。」
そんなメッセージをリアムから受け取った気がした。
「最近、綺麗な景色とか観ても全然感動しなくなったな。」そう感じたことがある人は私だけではないはず。情報化でここまで解りきった世界の中で暮らしていると感動も薄れるのかもしれない。同じ景色を観ても、1990年代の人と2020年代の人とでは、きっと感動の大きさも違う気がする。
- 最後に -
初投稿で読みづらい点もあったかとは思いますが、最後まで読んでいただきありがとうございました!
個人「好き」が重要視されてる世界なので、もしかしたら、この記事すら誰も読まないかもしれないですけど。笑
読んでいただいたお礼に、今回の映画の中で印象的だった「Champagne Supernova」の映像を載せておきますね。