感謝ということ

今、このページを「読んでみようかな」「なんだこれ?」など、何かしらのきっかけで開いてくれた貴方、開いてくれてありがとう。

最後まで読んでくれたら、もっとありがとう。

スキをタップしてくれた貴方、ありがとう。

そんな貴方、最後に「ありがとう」と誰かに伝えたのはいつだろうか?

仕事で誰かにありがとう

家で家族にご飯を作ってくれてありがとう

一緒に遊んだ友達にありがとう

いろんなありがとうがある。

時には、立場上や義理のような形でありがとうをいうこともあるだろう。だが、そのありがとうも心を込めて伝えると、どうだろうか。

私は三十路差し掛かる手前の今日、素直な気持ちで「ありがとう」と伝えた。相手は一度も話したことのない他人だ。それでも、伝えた後、どこか忘れていたかと思わせるような温かく、そして清々しい気持ちになった。

「あれ、ありがとうって言葉、こんな気持ちよかったっけ」ふと、心の中でそう呟いた。

普段の仕事では「ありがとうございます」と反射的にいうことがある。だが、その時、私は正直な気持ちで伝えていなかった。どちらかというと、仕事で助けられ、「なんでこれくらい自分一人でできないんだろう」とか思ってしまう。劣等感を抱きながら、その言葉の意味に含められる相手は言った相手に向けてではなく、言った自分自身への戒めであったりする。

だから、全然気持ちよくない感謝の言葉だった。

私は、自他ともに認める責任感の強い"バカ"真面目である。

誰よりもできる人間でありたいし、完璧主義でもある。

だからこそ、自分の手がける仕事に関しては誰にも負けたくないし、誰にも取られたくない。(ちなみに、私はエンジニアという立場で、営業が獲得してきた案件を担当して顧客へサービスを提供する。そして、社内で与えられたある分野で唯一の担当者が私だ。)

今日、知らない間に私が担当するべき分野の仕事を他に回されていた。しかも話を最初から一切私を入れずに、だ。

怒り以上に、虚無の感情に覆い尽くされ、次第に怒りの感情が泉源を掘り当てたかのごとく湧いてきた。

私は8月にうつの診断を受け、1ヶ月ほど休職していた。9月に復職してから約2ヶ月超。1ヶ月ほどくらいまでは確かに周りも気にかけてくれていたが徐々に周りも気にせず通常通りの仕事を回されてきていた。そんな中での、私にとっては「裏切り」とも思える事実であった。

休職してたから任せるのが怖かった?

単純に頼りなかった?

それとも...

気を緩めたらまた鬱という沼に転げ落ちそうな衝撃を受けている。


けど、私は今日「ありがとう」の強さを感じた。

有り難う。対象に対して日常的に「有り難い」。だからこそ有り難う(ありがとう)。

私はその気持ちを持つことができた。そして、相手に期待をせずに、私が成長するためのチャンスをないがしろにしていたかもしれないという事実に直面させてくれたと気づく。

ありがとう。

そして明日は明日で出社して自分のものにするための仕事をしよう。


私の決意に賛同してくれますか?

ありがとう。


2019-11-26


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