叡智〜みんなはひとつ〜
ふだん生活してると、自分はひとつの個体で、他にもたくさんの個体がそれぞれ生活してると感じがちだ。
みんながひとつの星に生きる共同体なんだという実感なんて、とくに感じない。
だが、私には、みんなが共同体なんだと感じざるを得なかった出来事がふたつほどあり、そこから大事な感覚を学んだ。
ひとつめは2011年。
東日本大震災の時の福島第一原子力発電所にて。メルトダウンした原子炉建屋の上空を、自衛隊のヘリが少しでも熱を下げようと決死で放水しているところをテレビの中継で観たときだった。
人間の叡智ってなんだろう。後の世代がどうしてこんな尻拭いをするんだろう。そういう想いもあったが、圧倒的なエネルギーがそこにはあった。出来るだけ多くの人を生かすために、生き抜くために、延いてはこの星を生かすために、我々は犠牲になっても構わない。そんな覚悟のエネルギー。それがヘリから放たれていて、絶望感や気怠さとともに殴りつけられるように一体感を感じさせられた。
そうだった。わたしたちはひとつだ。
とても切なくかなしかった。
ふたつめは2024年。
セブンイレブンのちいかわのクリスマスケーキだ。
きっとちいかわファンには勿論、そうでない人たちにもクリスマスに笑顔を届けたい一心で企画されたこのケーキ。命とも言えるちいかわの顔はチョコペンで描かれたものだけに、個体の当たり外れが多い。こんなのちいかわじゃない。目描いたの誰や笑など、みんなブツブツぼやきながらも実は変顔を楽しんでいる。ナイフで真っ二つに割られてもわらっているちいかわの顔は健気だった。
お茶の間を楽しませたい愛ある一心に技術が追いついていない供給側のやりきれなさと、思い入れが強すぎて本気で不機嫌になったり、妥協して面白がっていたり、はたまた一連のそれ自体を俯瞰して楽しんでいる需要側のその雰囲気に、私はあの一体感を感じた。
13年前ぶり2度目のこの一体感。
今回も不思議とかなしみはあるが、でもそれはあたたかい儚さと哀愁のようなものだった。
人間の叡智。
知恵を出し合っていい案が出て、それを形にして、上手くいってるぞ!なんて浮かれている時にはそれは現れない。
挫折したときのその後の拾い方、リカバリーの時にこそ、人間が本来持ち合わせている一体感を感じ取れる。それは、底力ともいえる。
叡智というのは、そんな仕組みになっているんだよ。
と。ものすごく大きな"ひとつ"に教えられた気がする。
また、いつ、急に、何をきっかけに感じることになるか予想できないこの哀しくも愛おしい感覚。
わたしもわたし以外のあなたも、きっと意識していないだけで実はこの"ひとつ"と常に繋がっている、ということなんだろう。
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